五話目

 慣れてしまうと、高校の授業時間なんて一瞬で過ぎ去ってしまう。今日の授業は一限から英語、数学、歴史総合だ。英語の授業は先生が黒板に英文を書き写すだけで授業の半分ぐらいの時間がたっている。残りの時間は、その英文を和訳したり音読したりするだけの平凡なもの。教室を見渡したり、教科書の読んでいない文章を読んでいたらあっという間に終わってしまった。

 ほかの科目も、先生たち特有の授業を展開してくれるので、それぞれこんな授業だったなぁと思いだしていると時間が遠く流れて行ってしまった。いつの間にか昼休みになっていた。昨日と同じように、二人に連れられて連れてこられた、突き当りの小部屋は昨日から掃除されていないようだった。

 昨日と同じように席に着くと、それぞれのお弁当を出し合った。

「毎日見ているけれど、桃花のお弁当作りはすごいわ」

 美雪が桃花のお弁当を見ながら言った。後頭部を書きながら美雪ははにかむように答える。

「まあ、中学時代からやってたらなれるってもんですよ。それに美雪のほうが料理得意だしね」

 お互いをほめあって照れている二人を眺めていると、少しだけ疎外感を抱いてしまい、一人で自分のコンビニ弁当を見つめていた。それに気が付いたように、桃花が声をかけてくる。

「晴翔は何のお弁当買ったんだっけ」

「これはチキン南蛮弁当だね。野菜が多そうだったから買ってみたんだ」

 と自慢げに答えたけど、二人のお弁当にはかないそうもない。

 桃花のお弁当は、美雪が言っていたように彼女自身で作っている。日曜日に揚げているという唐揚げや冷凍の春巻きなど、なるべく楽をしているとは言っているけれど、毎朝作っているだけで十分すごいと思えるもの。

 美雪のお弁当はお母さんが毎朝手作りしているらしい。卵焼きやホウレン草のお浸し、ミニトマトなどを彩りよくちりばめていて、それだけで絵になるようなものだった。昨日食べた時には、どれも優しい味付けで、美雪が好む味ばかりだった。

 私が黙っているのを見かねた美雪が声をかける。

「せっかくだから食べましょう」

「それもそうだね」

 と桃花が言うと、合掌した。つられて私も手を合わせると

「いただきます」

 と言った。

 コンビニ弁当の一口目は無性においしく感じられる。揚げたてのようなサクサク感のあるチキンに甘酢たれが絶妙にマッチしていて、薄っぺらいご飯がいくらでも食べたくなってしまう。

 数口食べたところで、二人に気になっていることを聞いてみた。

「実際勉強はどうなの?」

 今朝先生に言われたことよりも、昨日二人に部活を止めるときに言われたことのほうが気にかかっていた。二人ともそろって箸をおくと、先に飲み込んだ桃花が答えた。

「正直私には難しいよ。なんでこの高校受かったんだろうって思えるぐらいにはね」

「高校でやる内容はどこも同じよ」

 と、冷たく美雪は言う。それから私のほうを向くと、語調を変えた。

「そうはいったけれど、それなりに難しいのは確かよ。だから、あなたがいなかった分を取り返すのは大変だと思う。」

 さっきまで頼りがいのある発言をしていた美雪にそう言われてしまうと、私は自信の支柱を失ってしまった。しかし、美雪はさらに言葉を重ねる。

「だから、晴翔に教えるのは必要な部分だけに絞る予定よ。どの科目も学期が変わると単元が変わるから、新しい単元部分だけ抑えれば次のテストは取れるはず。」

 そういうと、美雪は卵焼きを箸で切り分けてから口に入れた。飲み込み終えると、少しだけ続きを話した。

「勉強できなかった部分は余裕が出てきたら勉強したらいいわ。」

 そういうと、彼女はお弁当に集中した。私もチキン南蛮をもう一つ食べる。一度慣れてしまうと味付けのきつさにおいしさよりもくどさを感じてしまう。本当にコンビニ弁当のおかずは不思議だと思う。今度はキャベツらしいサラダ部分を食べて口直しをした。

 それから、二人に別の話題を投げかけた。

「そういえば、二人って部活何してるっけ」

 すると、今度は美雪が先に答えた。

「私は弦楽器部よ。バイオリンを前から練習してたから誘われたの。ちなみに今日は練習日」

 まだ入学したての頃に、そんなようなことを聞いたことがあった。さすがお嬢様。口には出さないけどそう思ってしまう。

 今度は桃花に視線を振ると、唐揚げを飲み込んでから答えた。

「私は入ってないよ。家のことで忙しいからね」

「そっか」

 言わせてしまってから、彼女の家の事情を思い出して申し訳なくなる。それでも桃花はあまり気にしていないようなので、下手なことは口に出さない。

「それより晴翔、もしかしてバレー部のこと気になってるんでしょ」

 春巻きをほおばりながら桃花が言うと、美雪が行儀が悪いと指摘した。私が何とも返事をしないでいると、今度は美雪が少し強い声で言った。

「別に私たちはあなたが部活に入るのを止めたいわけじゃないの。でも、あなたが不登校になったきっかけも部活でしょう?」

 そういわれて、頭に数か月前の様子が浮かぶ。

 まだ入学したての頃のことだ。高校に入ったらまた運動部をやろうと思っていた。ただ、中学の頃にバスケで苦い経験をしたので、それ以外のスポーツを望んでいた。

 しかし、どこからか私がバスケ経験者だということが漏れてしまったらしい。連日のように私のクラスに顧問が声をかけに来たり、先輩があからさまに恩を売りに来たりして、私のほうが折れてバスケ部に入部した。けど、本当の地獄はこの後だった。

 一年生は私以外に四人が入部したので、ギリギリ一年生で一つのチームが作れた。秋ごろには一年生大会があるので、入部してすぐにポジションを決めて試合形式の練習をやるようになった。

 私は連携のかなめであるPG(ポイントガード)を任命された。身長が低いけれど足が速く、経験者だからパスもうまいだろうという見立てだった。

 しかし、まだ顔も名前も知らないような人と連携をとることは難しい。しかも未経験なので、ポジションの役割も基本の動きも理解せずに試合なんて成り立つはずがない。前線に立たないSG(シューティングガード)や、必死にパスを求めるC(センター)など使えない選手がいると経験者はどうなるか。

 一人で試合をすることになる。

 相手の強い選手を抑えてボールを奪って、そのままゴールまで走りこみ、また自陣に戻ってくるという、シャトルランになる。私だって本当は周りと連携して試合をするほうが楽しいと思う。けれども、顧問も先輩たちも私の活躍ばかりをほめるせいで、この戦い方が定着してしまった。

 チーム練習が始まって二週間たったころ、だんだんとほかの一年生との疎外感を感じ始めた。よくある女子特有のいじめみたいなやつだ。

 例えばパス練習をしようとすれば、パスの相手が私だけいない。結局先輩とペアを組むことになる。

 例えばシュート練習をしようとすれば、私にはボールが回ってこない。一人だけボールを求めてゴール下を走ることになる。

 その中でも特に、燈子というSFの子が私のことを嫌っていたらしい。彼女は顧問から好かれようと媚びを売る場面はよく見ていたが、あまり相手にされていなかったように感じる。多分顧問に目にかけられている私が気に食わなかったんだろう。

 はたから見てもいじめと分かるようになっても、私はあまり文句は言えなかった。逆の立場だったら私も同じようにしていただろうから。

 ただあの事件さえなければ。

バシッ

 急に左肩に痛みが走り、思考が中断される。気が付けば三人しかいない部屋に意識が戻ってきていた。

「そこまで晴翔のことを思いつめさせようと思ったわけじゃないんだけどさ。まあ、そんなわけだから、部活のことはまだ考えなくていいんじゃないかなって。」

 桃花は少し口ごもりながら私に告げた。それは彼女なりの気遣いで、口下手な彼女らしい言葉だった。そこまで言われてしまっては、彼女の言葉を無碍にするのも気が引けた。

「まあ、すぐ入るとかいうことはないから大丈夫」

 私がそういうと、机の右側から美雪のコップが視界に入ってきた。香り高いアールグレイの紅茶が注がれているコップを私が見ていると、美雪の声がした。

「紅茶を飲めば心が落ち着くわ。一杯だけ分けてあげるわ」

 彼女からもらったアールグレイに口をつける。特有の紅茶らしい高貴な香りが鼻から抜けていき、後にはさっぱりとした苦みが口の中を満たす。私の子供の舌にはそのおいしさが深くは感じられないのだろうけど、苦みが私の思考をちょうどよくかき乱してくれた。

 空になったコップを美雪に渡すと、水筒からさらに紅茶を注いでそのまま一気に飲んでいた。飲み終えると、三人で教室までの道を歩いた。

 廊下で一人の女子生徒とすれ違ったとき、顔を覗き込まれるように見られて、何やら小さな声でぼそぼそというとそのまま立ち去って行った。気味が悪い生徒だなと思うと同時に、何か見覚えのある姿に引っかかるものを感じた。

 午後の授業はほとんど寝てしまったので覚えていない。唯一覚えているのは現代文の先生が言った「自分が足りがつまらない人間にはなるなよ」という言葉だけだった。

 ホームルームが終わって二人と一緒に帰ろうと思って声をかけたのだが、あいにくと二人とも用事があるから一人で帰ることになってしまった。美雪は弦楽器部の活動、桃花は家の用事と言っていたから、多分お母さんのお見舞いだろう。

 仕方なく一人で帰ろうと歩いていると、今日も体育館からバレー部の練習する音が聞こえてきた。辺りを確認して体育館の小窓から覗き込むようにして練習風景を眺める。今日はまだ柔軟体操をしていた。どこかに見たことのある姿はあるだろうか。

「バレー部に興味あるの?」

 鈴の音のように澄んだ声が耳元で揺らいだ。ぱっと声のほうに振り向くと、バレー部のマネージャーさんが立っていた。

「そんなにじろじろ見てたら部員が恥ずかしがるよ」

 諭すような声に、とっさにごめんなさいと言ってしまう。ようやく思考と体が接続されてマネさんの姿が頭に送られてくる。

 黒い髪の毛は風になびく風鈴のようで、ポニーテールが背中辺りまで伸びている。黄金比の輪郭に大人びた目元、小鼻にきゅっとした唇はブルべの薄いメイク。高校生に人気の少しおしゃれな半袖Tシャツに学校指定のジャージのパンツ。   「あんまじろじろ見ないでよ、恥ずかしい」

 大げさに顔を振って視線を逸らすマネさんにもう一度謝罪した。明るく笑いながらも、どこか人のことを見透かしたような口調で語り掛ける。

「せっかくバレー部に興味があるんだったら、少しだけ見て言ってもいいよ。今日は顧問がこないから自由だし。うちは今マネージャー募集中だからね」

 私が中を見たいというと、ちょっと待ってねと言ってマネさんは一度体育館に戻り、部員の一人に話しかけていた。その間、私は美雪と桃花がこの近くを通らないか不安で、ずっと昇降口のほうを見ては、人が現れるたびに見えないように隠れた。

 しばらくして帰ってきたマネさんは、キャプテンから許可が下りたからというと、私を体育館内に案内した。入る前に女バスの練習場所を聞くと、こっちの体育館には来ないよと言われて、安心した。

 柔軟を終えた選手たちは幅を数メートル開けて二列に並び、キャッチボールをしていた。

「お邪魔します」

 精一杯振り絞った声は、扉の前にいた数人にしか伝わらなかったらしい。声に気が付いた部員たちは、私のことを見ると、十人十色の反応を示した。好奇の視線を向ける人、近くの人に話しかける人、まったく気にも留めずにキャッチボールをつづける人。

 その中で、やたら身長の高い部員が私に手を振ってくれた。よくわからないまま小さく手を振り返す。なんとなく見覚えのある立ち姿だったので、同じクラスとかだっただろうか。

 コートの端を歩いて、私がのぞいていた小窓の内側に立つと、マネさんが立ち止まった。

「ここが私の定位置。多分安全だと思うけど、ボールが来たら自己防衛ね。

 話の途中で飛んできたバレーボールをちらっと見ただけでキャッチすると、誤りに来た部員に投げ返した。部員はそそくさと帰っていった。

「そういえば、自己紹介してなかったね。私は、小森 貴音。二年生だよ。気軽に小森とでも呼んで。」

 小森先輩と呼んでみると、みんなと一緒だねと言ってにこにこしながら練習のほうに視線を向けた。

 せっかくだからということで、小森先輩は少しだけ選手の紹介や練習内容について説明してくれたけれど、初めてのことばかりで覚えられなかった。ただ先輩がこの二人だけ覚えておきなといった選手だけは覚えた。

 一人目は佑月 俊という 一年生だけどレギュラーで活躍している身長の高い選手。さっき手を振ってくれた人だ。

 もう一人は小川 大祐で、コートの中央付近でキャッチボールをしている筋肉質の選手。彼もまた一年生レギュラーらしい。コートで一際大きく聞こえる声の主だ。

 この二人は同学年だから覚えておきなと言われた。なんかもう私が入部する前提で話が進んでいるようだ。とはいえ綿所の心もまんざらではなかったけど。

 小森先輩とコートの隅から見る練習風景は驚きの連続だった。漫画やアニメで見るようなプレーを普通にしていたり、スパイクが発砲音のようにコートを震わせたりすることが当たり前のように起きていた。その中でも特に例の二人は初心者目線でも圧倒的なプレーをしていた。

 練習が終わった後、小森先輩から「ついでに部員と一緒に帰ったら?」と言われたので、体育館の外で彼らが着替えを終えて出てくるのを待った。

 二年生の選手たちが先に出てくると、小森先輩はその集団に溶けるように入り込むと、私に手を振って夕焼けに向かって歩き出してしまった。一人取り残された私はボーっと小森先輩の背中を見つめていた。

「お、例の子じゃん」

 体育館で最も響いた声が背中のほうから聞こえてきた。

「あ、あ、」

 私が声を出せないでいると、いつの間にやら私の周りには五人の部員が集まっていた。私のことを取り囲むと、大祐君が私の肩をたたいた。

「一緒に帰ろうぜ」

 向日葵のように笑う彼を見ると、自然にこちらも笑みがこぼれた。

「そうだね」

 私の言葉を皮切りに、取り囲んでいた部員たちも口々に話を始めた。今日の部活の練習、夏休みの課題、別のクラスの色恋話。高校生たちの話題は尽きない。

 六人で帰っている途中、ふとその輪の中に俊君がいないことに気が付いた。大祐君に聞くと、あいつは一緒に帰らないんだよなぁ、と彼のことを不思議がるように言った。周りの部員からも交友関係が薄いと言われていて、少し意外だった。

 途中まで一緒に帰り、彼らは最寄り駅のほうに向かって言った。部員たちと別れた後、いつものようにお夕飯の具材を買って家に帰る。夏の夕焼けは入道雲に反射して眩かった。

 家に帰ってスマホを確認すると、美雪からのメッセージが入っていた。バレー部の見学のことを隠していることを知られたのではと思い、不安になりながらメッセージを開くと

「今日の夜、九時に集合。必要なものは紙とペン、それから正直な心ね」

 と書かれていた。

updatedupdated2024-03-212024-03-21