四話目

 なんだか嫌な夢を見ていたような気がする。残暑のせいか、寝汗がひどいパジャマを脱ぎ捨てながら昨日の夢を思い出そうとしてみるも、うまく思い出せなかった。パソコンと向き合って寝るだけの日々を過ごしていた頃は夢を見ることがなかったから、かなり久しぶりに夢を見た。

 時計を確認するとまだ時間はある。とりあえず美雪に連絡を入れて、今日に荷物を確認してから、台所に向かった。冷蔵庫を開けると、昨日買った麻婆豆腐がなくなっていて安心した。その隣にある冷蔵のパンを袋から一枚取り出して、トースターに入れる。パンが焼きあがるまでの時間で洗顔を済ませると、きつね色にやけたパンを取り出す。

 パン粉をこぼさないように台所のシンクの上で慎重にそれをほおばると、小麦の子おばしい香りが口の中に充満する。市販のパン特有のバターの芳香と混ざり合って、それだけで十分なご馳走のように感じられる。

 六枚義理のパンを一枚食べ切ってしまうと、携帯を確認する。私が食べている間に美雪からの返信が届いていた。みると

「数学2B 英語 現代文の教科書。弁当 筆箱  あとは暇つぶしになるものがいるわ」

 と書かれていた。どうにも彼女らしい文面を見て春先を思い出しながら、端的に「わかった」とだけ返信しておいた。

 ついでに時計を確認するが、まだお母さんを起こすには早い。先に言われたとおりに教科書の準備をすることにした。

 自分の部屋に戻ると、ちゃぶ台に鎮座している昨日切れにしたばかりの教科書の山を眺める。その中から、言われた教科書を丁寧に取り出す。昨日すべて拭くたはずなのに、すでに埃をかぶっていたのでもう一度、手元にあったティッシュで拭うとリュックにそれらを詰め込んだ。

 積み重なった教科書の上に筆箱を入れると、リュックのチャックを閉めた。弁当は行きがけにコンビニで買えばいいし、暇つぶしは彼女なりのネタだろう。久しぶりに女子高生らしい重さのリュックになったそれを背負ってみると、少しだけ気分が上がった。

 リュックを戻すと、そろそろだろうと思ってお母さんの寝室の扉を勢い良く開ける。

「朝だよ、起きなさい」

 収入減にそう声をかけると、やはり今日も怒声が帰ってきた。

「朝からうるさい」

 そういいつつも、今日のお母さんはそれ以上文句は言わずに起き上がった。久しぶりに故郷のものを食べられたから機嫌がいいのだろうか。それとも昨日の帰りが遅かったのはあたりの日だったからだろうか。

 お母さんは一人でリビングに向かうと朝食の準備をしていたので、それ以上手足はせずに自分の準備に専念することにした。昨日干しておいた制服の状態を確認して、パジャマを脱ぎ捨てると制服に着替えた。昨日はまだ着慣れなかったけれど、今日はこのセーラー服が体にフィットしている気がする。

 ついでにパソコンデスクの前に座ると、引き出しから使えるか怪しい化粧道具たちを取り出した。昨日はあきらめたけれど、そのうちのいくつかを適当に振ってみたり、たたいてみたりする。顔を作ることはできなくても、せめて日焼け止めぐらいは使えないかと思って、ジェルタイプのボトルを振ってみると、案外使えそうだった。

 蓋を取って手に出してみると、中身が分離してしまったらしく、液化している部分と個体部分がばらばらに出てきた。無理やり混ざるように手ですりつぶして、腕全体に広げると、一応肌になじんでくれた。

 ふたを閉めると、日焼け止めはリュックの前ポケットにしまっておいた。そして、リュックを背負うと、なんとなく女子高生っぽくなったような気がする。

 携帯を取り出して時間を確認するついでに、美雪に準備ができたことを報告しておいた。まだ彼女たちが車で時間はあるようなので、充電を気にしながらも、バレー部のSNSに投稿がないかを確認する。細心の登校はなくてがっかりしたけど、代わりに昨日は見なかった動画や投稿をいくつか見ることにした。どれも上手に編集されていて、迫力や分かりやすさがこだわられていた。

 産米の動画を見ていた時に、今度は桃花から連絡があった。

「もうすぐ着くよ」

 それを確認した私は、軽く返信してから荷物の再確認を行った。美雪から言われた教科書や筆箱は詰め込んであるし、日焼け止めは塗ってある、それにセーラー服だって問題ない。締め切った窓を鏡代わりに自分の立ち姿を確認して

「よし」

 と一言つぶやくと、玄関に向かった。まだ彼女たちが来ていないことを確認してから、お母さんの様子を見た。ちゃんと朝ご飯を食べて仕事の準備をしているので大丈夫だろう。二人が来るのを楽しみに待つことに集中した。

 しかしあれからだいぶ待った気がするけれど彼女らから連絡がない。気になって玄関を注視すると、その奥にぼんやりと二つの影あるのを見つけた。口元がほころびそうになるのを抑えながら玄関の扉を開けると、

「やっと気が付いた」

 と、楽しそうに笑う桃花と、眠そうな美雪の姿があった。

「ちゃんと来たなら来たって言ってよね」

 と二人に行ってから、家のほうに振り返り

「行ってきます」

 とだけ言い残して玄関の戸を閉めた。

 三人で階段を降りると、昨日と同じように三人並んで高校までの道を歩く。これから毎日二人に会えるんだなぁ

「当たり前でしょ。」

 と、急に左の肩をたたかれた。

「もしかして今の声聞こえてた?」

 頭の中でとどめていたつもりが、どうやらさっきの言葉は口からこぼれてしまっていたらしい。桃花は私の肩をバシバシたたきながら言う。

「晴翔はそういう大事なことを面と向かって言ってくれないからなぁ」

 そういう彼女の顔はひまわりのようだった。右側からは小さく

「あなたが学校に来てくれればね」

 という美雪の声が聞こえた。いつものより少しだけ柔らかい声に、彼女もきっと私が学校に来ることを喜んでいるのだろうと思う。桃花はだいぶ奔放な人だから、もしかしたら少し寂しかったのかな。

 朝日が元気を出して私たちの登校路を強く照らし出す。今は三人で歩いているけれど、今なら一人でもこのまぶしさに耐えられるような気がした。

 コンビニを通り過ぎようとしたときに、二人に弁当買ってくると言い残すと店内に入った。いつ作って何が入っているのかよくわからないコンビニ弁当の中から、野菜がそれなりに多そうなやつを選んで会計を済ませる。久しぶりに連日現金を使ったので、財布の中を確認すると、だいぶ怪しい金額になってしまった。

 コンビニを出ると、二人が何かを話している姿が目に入った

「何話してるの?」

 と二人に声をかけると二人は振り返って声をそろえて言った。

「文化祭の準備の話」

「文化祭の準備?」

 私がいた頃には聞いたことのない話題だった。いや、文化祭実行委員を決定したり、テーマを決めたりはしていたらしいけれど、実際の準備はまだまだ先という感じだった。

「文化祭って何やるの?」

 何も知らないので、とりあえず内容を聞いてみると、二人は桃花は少し意外な顔をしながら言った。

「お化け屋敷だよ。たいしたものは作らないから、夏休み中に小道具は用意して、あとは前日準備で済ませるんだってさ。」

 ここまで言うと、一呼吸おいて視線をそらしながら言葉をつないだ。

「てか、晴翔はこのころからもう来てなかったんだっけ」

 桃花のその言葉に、少し寂しい思いをしながら返事をする。

「うん。何にも知らなかったよ。」

 すると、桃花と美雪が丁寧に文化祭の準備の状態を教えてくれた。どうやら夏休みに準備を進めるのが恒例らしく、それに合わせて内容を決めたり、役割を分担したらしい。それで、美雪は小物道具を任され、桃花は当日の客対応をやるらしい。そして私は美雪と一緒がいいだろうということなので、小物道具班に所属させられているとか。まあ、夏休みに仕事は終わっているので、あとは前日の準備だけ参加すればいいと言われた。

 昨日よりは早く学校に着いたので、あまり焦ることなく教室に入る。始業時間数分前なのに、まだ半分ぐらいの生徒しか登校していない教室は、まばらな話声で閑散としていた。特に数人はまだ課題に追われているらしく、話しどころではなさそうだ。

 美雪の隣の席に座ると、リュックの中身を引き出しに詰め込んでぼんやりと朝のホームルームの時間を待った。やっぱり美雪の言うとおりに暇つぶしでも持ってきたほうがよかったのかもしれないと思った。

 少しずつ教室に人が入ってきて、ようやく教室がそれ内に埋まったころ、担任の先生が教室に入ってきた。ホームルーム前に入ってくるのは珍しいなと思いながら見ていると、ちょうど私の席の列の間を歩いてきた。まさかと思うと、私の席の前で泊り

「あとで」

 とだけ言い残すと、私の机に付箋を張り付けて戻っていった。先生が帰っていったのを確認すると、付箋に書かれている内容を見る。

「HR後職員室まで」

 煩雑な文字でそう書かれていた。なぜかアルファベットだけ妙に整っている自体が気になったが、それ以上に呼び出しを食らったことに驚いた。

キーンコーンカーンコーン

 美雪にこのことを話そうと思ったちょうどその時に、チャイムが鳴ってしまった。ホームルームが始まるので、仕方なく言葉を飲み込むと状況を反芻する。

 よくよく考えてみれば呼び出されて当然のような気もする。そもそも不登校だったわけだし、その前から成績はかなり怪しかったんだ。夏休み前のテストで頑張らないと二年生になれないぞなんて言われていたぐらいだ。

 驚きが恐怖にだんだんと変わっていき、大丈夫だろうかという不安がこみあげてくる。職員室に行くのが嫌だなぁと思っていると、ちょうどホームルーム終わりの号令の声が聞こえた。憂鬱な気分で立ち上がると、礼をして席に着いた。

 ホームルームが終わると、先生は私のほうをちらっと伺ってから教室を出ていった。私は少しの間自分の机でボーっとしていると、急に左側から声がした。

「あなた、いったい何をやらかしたの」

 美雪が私の机に貼ってある付箋を覗き込むように見ながら言った。私は美雪波に小さな声で返答した。

「まあ、成績悪かったし不登校だったし、色々聞きたいんじゃない?」

 明らかに不安な私の声音をうかがってか、美雪は優しい言葉をかけてくれた。

「不登校の子が学校に通い始めたんだから、あまりきついことは言わないと思うわよ。さっさと行ってきたほうがいいわ」

 その言葉少し元気をもらった私は、美雪にありがとうと告げると、席を立って職員室に向かった。

 教室を出てから、どっちに職員室があるか度忘れしてしまい、ホームルーム終わりの別のクラスの担任の先生の後をつけていった。予想通り職員室にたどり着くと、扉の前で深呼吸する。

 本当に何を言われるんだろうか。

 どうにか不安を少しでも払しょくしようと、顔をぺちぺちたたいていると、扉から担任の先生が出てきてしまった。

「そんな緊張するぐらい何を言われるのか怖いのか?」

 いつものようにひょうきんな声をした先生は私の前に立つと、何かのファイルを見ながら言った。私がこくりとうなずくと、余計に笑いながら先生は言う。

「まあ、急に留年。なんていうことはないから大丈夫」

 まったく安心できない言葉を言うと、私に視線を合わせた。何を言われるんだろうなぁと思いながら、先生の顔を見ていると、急にその声音からピエロが消え去った。

「前々から成績が怪しかったけど、学校来てなかった間勉強してた?」

 真剣な口調に、泣きそうになりながら首を振る。しかし、当然といった様子で先生はしゃべりだした。

「まあ、一学期の成績は何とかしてある。ただ、二学期はちゃんと頑張らないと、留年がかかっていると思ったほうがいいよ。」

 そこまで言うと、先生は持っていたファイルを閉じてから、思い出したように言った。

「そういえば、晴翔が仲良かった美雪は、あの子はそれなりに成績がいいから、彼女に勉強を教えてもらったらどう?彼女のほうが僕より教えるのうまいだろうし」

 そう言い残すと、先生は職員室の中に帰ってしまった。

 一人取り残された私は、教室に帰る元気もなくてしょんぼりとしていると、廊下から何やら明るい声が聞こえてきた。

「晴翔~、面談どうだった?」

 間延びするその声は桃花のもの。そして案の定そっちに目を向けると、桃花に注意する美雪の姿があった。私はとぼとぼと歩きながら二人に近づいてさっき会ったことを話した。すると、みゆkヒア少しうれしそうに左手の人差し指で頭をとんとんしながら言った。

「任せときなさい。次のテストからいい点が取れるようにしてあげるわ」

 桃花は私の美雪を見ながら

「晴翔だけじゃなくて私にも教えてよ~」

 と駄々っ子のように言うと、美雪はさも当然といった様子で答えた。

「もちろんじゃない。次は赤点回避なんて姑息なことしなくても充分な点数が取れるようにしてあげる」

 美雪が誇らしそうにしている姿を見て、少し自信が出てきた。三人で教室に戻ると、一時間目が始まりそうだったので、すぐに各々の席に戻って準備をした。

updatedupdated2024-03-212024-03-21