山の上においてきたもの

……本当にヤチヨはいいんだね?」 「もちろん。ヤチヨが望んだことだから。」

 ヤチヨのポーズに合わせて完成したばかりの義体が軋んだ。多分右足の関節かな。登山の前に1回メンテナンスが必要そうだ。

「もちろんかぐやもついてくよ!」 「でしょうね。そしたら、二人とも明日は早いんだからね。」

 そう告げて私は二人をおいて寝室に向かうと、枕元に並んだ3つの大きなリュックの中身をもう一度確認した。かぐやのリュックには潤滑油と応急電源と簡易工具セットが入ってる。YC型はまだ慣れきってないみたいだけど、それでもこれだけの道具があれば問題ないはずだ。私のリュックにはカップラーメンや水を入れれば完成するレトルトにチョコバーや飴がたくさん詰め込まれてる。そしてヤチヨのリュックにはテントやダクトテープに埋もれて、もと光る竹。

 何回もシミュレーションをした。この日のためにFUSHIに怒られながらももと光る竹を盗んで、筋トレだってしたし、YC型の出力も難所が十分乗り越えられるように調整した。それでも

「本当にできるんだよね……。」

 確認を終えて布団に潜っても不安ばかりがこみ上げてくる。これはあれだ。ヤチヨと初めてライブした前日の夜と同じだ。収まりが悪くて右に左に寝返りを打っていると、私の胸に何かが潜り込んできた。

「彩葉、不安なの?」 「…..まあね。」 「大丈夫だよ。だってかぐやたち最強! でしょ」

 変わらないな、かぐやは。暗いはずの布団の中に太陽が咲いたみたいな笑顔だ。首元にサラサラの髪が触れると少しくすぐったい。かぐやを抱きしめると、今度は頭に温かい感触がする。ヤチヨは何も言わないまま私の頭を撫で続けている。ヤチヨがどんな顔をしているか知りたくて、知りたくなくて、振り向けないままに私の意識は闇に沈んでいた。

 朝と呼ぶにはまだ早すぎる時間。研究所に行くよりも少し早いくらいの時間に目が覚めた。かぐやを起こさないようにして布団から出ると、カーテンを開けて眠ったままの世界に向けて伸びをした。部屋を出る前にヤチヨの顔を見ると笑ってた。いつかの言葉が頭に浮かぶ。「それがヤチヨだから」、きっとそれは義体を得た今も変わらないんだろう。

 リギングに降りて朝食の準備をしようとしていると、階段からドタドタと足音が聞こえた。

「いーろは! おはよ」 「おはよ。かぐや、朝ごはん作ってくれる?」 「もちろん。彩葉はパンだけ焼いてくれたらいいよ」

 はいはいといってトースターに三枚パンをいれる。その間にかぐやは胸元に魚のマークの付いたエプロンをつけて、髪を後ろで結わえていた。キッチンに立つかぐやは配信の時みたいにいちいちポーズを取りながらフライパンを振っている。作っているのはただのスクランブルエッグなんだけど。

 かぐやのボディに問題がないことに安心していると、消え入りそうな新しい足音と駆動音が耳についた。

「彩葉、おはよー。ごめんね、ヤチヨがお寝坊さんで」 「いまかぐやが御飯作ってるところだから大丈夫。それより、行く前にその右足だけメンテナンスしていい?」 「彩葉って本当によく見てるんだね。うん、いいよ」

 悪い事をごまかす子供みたいな笑顔がヤチヨの顔を彩った。張り切って天井に届きそうなほど高く待っているスクランブルエッグが気になったけど、ヤチヨを共有スペースのソファに寝かせる。

「ごめんね」

 ヤチヨの意識をオフにして、右足の関節部分に少しだけ潤滑油を垂らしてなじませる。少し動かしてみたけど問題はなさそうだ。安心してヤチヨを起こすと、照れくさそうに笑いながら一緒にリビングに戻った。

「じゃじゃーん。中華風スクランブルエッグと特製ドレッシングのサラダと自家製ヨーグルト。召し上がれ~」

 シェフ気取りのかぐやが料理の説明をしていく。前にもこんなのあったなと思いながら席について朝食を取った。かぐやの料理はいつ食べても美味しい。オイスターソースと鶏ガラが漂うスクランブルエッグもたしかに美味しかった。スクランブルエッグとは言い難いけど。

 昨日中に選んでおいた厚手のセーターに袖を通し、その上にウィンドブレーカーを羽織る。本当はもっと地味な色が欲しかったけど、ピンクのほうが少し安かったから買ってしまった。あとからその方がいいとヤチヨに言われてお財布の諭吉が解けたのも我慢できた。

「彩葉、準備できた!?」 「ヤチヨたちはいつでも行けるのです」 「それじゃあ、行こう」

 三人並んでマンションに挨拶を済ませると街に繰り出した。電車に何度か乗り継ぎ、目的の場所につくまでに眠っていたはずの太陽は街に影を作っていた。

 ネットに書いてあったとおりに登山届を提出すると、日本一高い山の麓を前にした。

「ここが富士山か~。かぐや配信すればよかったかな。かぐやが日本で一番高いところにいるよ~って」 「充電がもったいないからだめ。とりあえず頂上まで行くんだから、それまでは我慢して。ヤチヨは荷物重くない?」 「大丈夫だよ、彩葉。さて、ゆこうか」

 そのセリフ取られた、なんて思いながらヤチヨに続いて私も登山道に足を踏み入れる。

「かぐやが先~」 「ちょ、ちょっと。道幅狭いんだからゆっくり歩いてよ」

 後ろにいたはずのかぐやが私を追い越してヤチヨの前に躍り出ていた。どこか胸の上の方でつかえていたものが、少しお腹の方まで落ちていく気がした。

 登山道は思ったほど危険なものではなかった。足を踏み外せば滑落なんて可能性もあるけれど、人が十分通れる道だし、東京に比べればまだ人が少ない。この山小屋にだって、今日泊まっているのは私たち以外に二組しかいないらしい。しかも向こうは下山組だ。

「彩葉がカップラーメン食べてるの、少しだけ新鮮かも」 「そう?」 「だってかぐやが来てからはかぐやのご飯食べてたじゃん。もちろん、カップラーメンばかり食べてたのも知ってるけどさ。」 「ヤチヨは見慣れちゃったかな。こうして食べると意外と美味しいんだね、カップラーメンも」 「えぇ~。帰ったらかぐやのほうが美味しいラーメン作るから」

 ぷんすかという絵文字を体現したようなかぐやをたしなめるヤチヨ。こんな絞刑が実現しているんだなとしみじみ思いながら、飽きるを通り越して味を感じないカップラーメンをすする。帰ったらかぐやは麺からラーメンを作るんだろうなぁ。

 寝袋に三人で並んで寝る夜はあっという間に時間が過ぎていった。うん。私が寝る間もなく。

 ようやく私の意識が沈みかけたときに、見知らぬ声が耳を撫でた。それはアスファルトのようにザラザラしていて、眠りを妨げるには十分だった。

「そろそろ起きんさい。山の日の出は遅いけん、はよせんと登れんくなるたい」 「す、すみません」

 怒られたのかと思って目を開けると、巨木のようにガッシリとした体型のおじさんが優しい瞳で私のことを見ていた。目を開いたのを確認すると、すぐに山小屋を出ていった。

「ヤチヨ、今の言葉わかる?」 「九州の方言だね。山の日の出は遅いから、もう起きないと山頂に間に合わないよって感じじゃないかな。」 「そうだったんだ。お礼、言えなかったな」

 何はともあれ予定より少し早くに起きることができたのはいいことだ。寝ぼけているかぐやも起こして三人で朝ごはんを食べると私たちも山小屋を後にする。ここからはまだ雪が残っている地帯、後少しと言っても油断はできない。

 一歩一歩踏みしめるようにしては体を持ち上げる。ちょっときついなって思ったときには、すぐにヤチヨとかぐやが手を貸してくれる。そうだ、私は一人じゃない。そう思えると足取りが少し軽くなる。

 ちょうど太陽が頭上に煌めいた頃、目指していた場所が見えてきた。富士山本宮浅間大社 奥宮の鳥居。

「ひゃっほー」 「こら、怪我しても知らんよ」

 駆け出すかぐやを制止しつつ、いつの間にか私の後ろにいるヤチヨに手を伸ばす。義体は私より少し重いけど、持ち上げるのを手伝うくらいはできる。最後の踏ん張りを効かせたヤチヨの視線が私と重なった。

「やっとここまでこれたね」

 ヤチヨの、かぐやのお願いでここまで登ってきた。振り返れば眼下には多分日本全体が広がっているんだろう。私の目には今日泊まっていた山小屋がぎりぎり見えるくらいだったけど、ヤチヨとかぐやの目にはもっと遠くまで写っているはずだ。

 神社の境内に踏み入ると、神域は外よりさらに少し冷たい風が吹いているようだった。ヤチヨに言われるがまま、境内の中を進んでいき、本殿を通り過ぎて少し開けた場所に出た。

「ここ、なんだね?」 「うん。彩葉、手伝ってくれる?」 「もちろん。ほら、かぐやも」

 三人でスコップを使って穴を掘っていく。雪の層の間は簡単に穴が作れたけど、土の層になると固くて私の力では歯が断たなかった。任せとき! といったかぐやが最後はシャベルを何度も地面に押し当てて、十分な大きさの穴ができた。それはちょうど生まれたばかりのかぐやが入りそうなくらいの。

 その穴に、ヤチヨはリュックから取り出したもと光る竹をおいた。私がかぐやを起こさないように布団に寝かしつけたときみたいに優しく。「ありがと」と言い残すと、鈍色のたけのこが虹色に煌めいてからまた色を失った。きっと役目を終えたのだろう。ヤチヨは手ですくった土をもと光る竹にかけた。それを見て私とかぐやも掘り出した土と雪を見えなくなれまで被せた。

 言葉をかわさないまま神社にお参りを済ませて鳥居を出ようとすると、ヤチヨとかぐやが呼び止めた。

「彩葉、右手のそれ借りていい?」 「これ、いいけど」

 かぐやからもらったブレスレット。あの時、唯一かぐやが私に形のあるものとして残してくれた、大切な贈り物。二人の手に渡すと、いつしかのようにそれは太陽の光を乱反射した。二人がブレスレットを天高く持ち上げるのを見て、私も手を添える。小さく聞こえるのは、ヤチヨの歌声。

「お別れしたのはもっと前のことだったような」 「悲しい光は封じ込めて かかとすり減らしたんだ」 「君といたときは見えた 今は見えなくなった」

 いつしか声は2つになって、3つになって、小さな歌声は天に登る合唱に変わっていった。伴奏もドラムもないただのアカペラも2人が歌えば天女の歌のようだった。

 長い、長い3分間。ヤチヨの歌声が途切れた瞬間に、太陽のすぐとなりで一瞬何かが輝いたような気がした。

 無言のままヤチヨからブレスレットを受け取ると、もう一度右手にはめる。やっぱりこれがないと落ち着かない。ヤチヨが踵を返そうとしたとき、かぐやがまた歌いだした。

 ほら、帰るよ。暗くなる前に山小屋にいかないと。言うべき言葉はわかっている。それでも、私の口から出たのは、

「仕方ないなぁ」

 誰に見せるわけでもないのに歌って踊るかぐやの前で私もその歌を口ずさんだ。それは私を支え、ヤチヨを支え、そしてかぐやを導いたあのメロディー。気がついたらヤチヨも口ずさんでいる。照れくさそうな苦笑いを添えて。

 かぐやがつかれるまで歌い終わる頃には日が傾いていた。駄々をこねるかぐやを引っ張りながら、山小屋まで三人で急ぎ足で歩を進めた。聞くなら今なのかもしれない。そう思ってもヤチヨに声をかけられない自分がもどかしくて、何度もヤチヨの方に手を置こうとして、すり抜けていった。

 山小屋について三人で帰納と同じカップラーメンを食べて寝袋に入ると瞬間的に睡魔が襲ってきた。ヤチヨの見逃し配信を見ていて徹夜した次の日の古典くらいに睡魔は一瞬で私の意識を奪っていった。どこか遠くで私の歌姫の声がしているような気がした。

 次の日、荷物の最終確認をして2人の義体の確認を済ませると山小屋を後にした。2日間泊まった山小屋は私が寝ている間にかぐやとヤチヨがきれいにしてくれていたらしい。そこかしこに色んな形の雪だるまが並んでいる。ウサギやキツネの形のは今にも崩れそうだったけど、メンダコとFUSHIの雪だるまはしっかりとその形を保っていた。

 日が昇る前に下山を始めたからか、まだ日が昇り切る前には麓までたどり着くことができた。ヘトヘトの体を押しながら電車に乗り込むと、左隣のかぐやはすぐに寝息を立てた。

 窓の外、遠くに過ぎ去っていく富士山を眺め続けるヤチヨが不意にこちらを向いた。いつも世界中に見せていたあの笑顔で。

「彩葉はさ、なんで埋めたんだろうって思ってるんだよね?」 「う、うん」 「彩葉は子供の頃と高校時代と今と、一日が一番長く感じていたのはいつの頃?」 「それは、子供の頃かな」

 お父さんとピアノを弾いていたとき、お兄ちゃんとキョーダイ会議をしていたとき、お母さんがまだ笑ってくれたときは毎日が長すぎるくらいに感じていた。高校の頃はバイトと勉強のスケジュールをこなすのに追われていて、振り返る時間もないまま過ぎ去っていったけど、あの一ヶ月だけはすごく長くてあっという間だった。今は、平日は研究室と家を往復するだけの生活、もちろんかぐやとヤチヨに囲まれて楽しいけど、もう一日一日の区切りさえわからないくらいだ。

「それはヤチヨも同じなんだ。」

 小さく、歌声よりも儚い声が僅かに鼓膜を揺らした。やっぱりヤチヨは笑っていて、泣きながら笑っていた。

「だから、この時間を大切にしたくて、1回きりしかない人生にしたかったんだ。こんなわがままなヤチヨでごめんね」

 意識の外で私の腕はヤチヨの首に回していて、抱き寄せたヤチヨの唇を自分ので強引に塞いだ。どれほどの不安が、恐怖が、悲しみがヤチヨを包んでいたのか私にはわからないけれど。それでもその全てを抱きしめることならできる。私より少し細いヤチヨのボディは小さく震えていて、追加したばかりの涙腺機能が私の肩を濡らした。

「あー、かぐやも彩葉にぎゅってしてほしい~」

 しんみりした雰囲気をかぐやが切り裂いた。ヤチヨ引き離すと、二人で苦笑いを交換した。

「はいはい」

 かぐやを抱きしめると、やっぱり大きくなったんだなぁと感じる。全く、いつの間にか私に追いついちゃうんだから。私以上の力で私を抱きしめるかぐやに「痛い」って言うと「もうちょっと」と駄々をこねられた。

「そういえば、かぐやはなんであそこで歌ったの?」 「私のコピー、月においてきちゃったじゃん? こっちは楽しくやってるよ~って伝えたかったんだ」

 そうか、昨日は新月だったんだな。ハッピーエンドはまだ来ない。

updatedupdated2026-06-012026-06-01