まだ時間は余裕がありそうだし
「折角だから、このまま少し話を発展させようか。」
私が言うと、雅君は少し待ってほしいという様子を取った。さすがに、このまま先走ってしまうのはすこし早とちりだったかな。
「大体感覚はつかめたんですけど、他のcosやtanについて少しふれておきたいなと」
「そうだったね」
そういえば、さっきは$sin$の事しか触れていなかったから、それが気になっていたんだね。まあ、$sin$がわかっているなら、そんなに難しい話じゃないんだけれどね。
「さっき、ちゃちゃっと書いちゃったけど、$cos$の場合は斜辺と隣辺の比だし、$tan$の時は隣辺と対辺の比を出してくれる機械だよ。まああ、その認識ももうすぐ変わっちゃうんだけどね。」
と、あえて少しだけネタバレをした。ここで、あんまり変の比という認識を強く持たせてしまうと、この先に影響を出しかねないから。
「え?じゃあ、さっきの$sin$も変わっちゃうんですか?」
と、雅君はびっくりした様子で言った。完全にネタバレがいい方向に向いてくれた確信を持たせてくれた。
「まあ、部分的に一緒の部分もあるんだよ。ということで、ここからは三角比じゃなくて、三角関数の世界に移ろう。」
そういうと、私は三角関数の授業で見慣れたあの図を描いた。と言っても、やっぱり私の図はへたくそで、どうしようもないと思ったら、先輩が昔描いてくれたものが見つかったから。、それを引っ張り出した。 それをホワイトボードの適当なところに貼ると、また雅君の方に向き直った。
「これなんだと思う?」
多分ぐもんなんだとは思うけど、いちいち確認してしまう。
「座標平面上の円ですか?」
「そこは自信持って言っていいんだよ」
ちゃんと雅君は分かっているのに、自信なさげに言うから、分かってないように感じてしまう。ちゃんと自信をもっていってくれればいいのにな。
「そう、これは座標へいっ面上に描かれた、半径が1の円なんだ。この図の中には半径の情報は書かれてないけどね。」
雅君はその図を見ながら、これから話される内容を探ろうとしているみたいだった。でも、やっぱりやったこともない内容だと、予想するのも難しいと思う。だから、ちゃんと私からヒントを出していく。
「さっき、三角比をやったときに、斜辺を1に固定すると面白い公式が導けるんだ。」
と言って、ホワイトボードにある程度綺麗な図を描いた。まあ、これぐらいの図は描けないと、数学がやりにくい気がしちゃうレベルだけど。
「ここから導ける$sin\theta$と$cos\theta$の関係はわかる?」
「三平方の定理ですか?$sin^2\theta^ + cos^2\theta = 1$」
「やっぱり自信なさげだよね。折角あってるんだし、もっと自信もって答えてほしいな。」
意外にも、雅君は図を見抜くセンスはあるようだった。まあ、私は先輩にあきれられたレベルで図を見抜くのが苦手だったから、私の感覚と周りの感覚は別なのかもしれないけど。
「今出した公式は、$\theta < 90$までは使えるよね。それで、斜辺が常に位置ってことは、この頂点を固定して、$\theta$の値だけ動かすと、第一象限の部分は完成するんだ。」
「第一象限って何ですか?」
あちゃ。先走って用語を多用しちゃったかな。ちゃんと説明しないと。
「第一象限っていうのは、座標平面の右上の事だよ。$x$も$y$も正の数の場所のことを指しているよ。」
「なるほど。」
というと、雅君は少しの間押し黙っていた。三角形の図から、円の図へと精いっぱい持ち込もうとしているんだと思う。だから、作っと私が一本だけ補助線を引いてあげた。それは、円の図に第一象限の方に一本だけ引いた半径。多分これだけでも雅君ならわかってくれると信じられる。
「あ、わかりました!!円周上の点の$x$座標が$cos\theta$で$y$座標が$sin\theta$になるんですね。」
「そゆことだね」
やっぱり、雅君は私の期待を裏切らない。雅君みたいな論理的な思考が私にもあったらなぁ。なんて羨ましく思っちゃうほど、雅君の考え方は数理論学的に筋道をしっかりたどっている。
「これが、三角比から三角関数への入り口だね。ということで、三角関数は、さっき作った三角比の公式を拡張していくよ。」
というと、雅君は未知のものを陰から眺めているような、恐怖心と好奇心のせめぎ合いを表情に見せた。
「さっきは第一象限しかできなかったよね。それは三角比だったから。だから、今度は全体も可能にしちゃおう。つまり、原点を中心とした半径一の円の円周上の点っていう風に考えよう。」
と、いきなり壮大な話っぽく振ってみた。雅君がどんな対応をするのか内心興味津々で見ていると。
「それって、ありなんですか…?」
と、いつものおどおどした様子に加えて、的確な指摘をしてきた。雅君らしさを結集したような発言だった。
「三角比だったらだめだね。三角比も無理に拡張すれば$180\circ$まではいくんだけど、$360\circ$までは対応してないよ。だから新しい三角関数という存在を作ったんだ。」
「なるほど…」
きっと、この時に三角比のことを詳しくやりすぎていると、新しい$sin$達に慣れにくくなると思って、大まかな説明しかしてこなかったんだ。これが通じてくれると信じるしかない。
「すんなり飲み込めました。$\theta$には制限なく、何度であっても、半径一の円周上の点の座標が、$(cos\theta ,sin\theta)になるんですね$」
「Congrats!!」
何とか理解してくれたみたいでよかった。本当は三角比の公式とか、やらなければいけないことがたくさんあったんだけれども、そのすべてを飛ばしてここに来たかいがあった。
「だから、三角関数で言う$cos\theta$は原点を中心に、(1,0)の点を$\theta\circ$回転させた時の$x$座標だし、$sin\theta$なら$y$座標に相当するんだ。ちなみに、$tan\theta$は傾きに相当するよ。」
三角関数は、どうしても躓きやすい単元だと思う。それは、三角比を熟知していると、かえって理解しにくくなることがあることと、三角比が理解できない人には一切理解できないことだ。この二つは、延長線上にあるのに、異なる性質を持つことがあるから、三角比の気持ちで三角関数をやると整理できなくなることがある。とはいえ、理解しないで先に進むことができない二つだから、先にある三角関数から逆戻りするのも手だと思ってる。
「これが三角関数の公理だね。公理は覚えるというか、身体に刻んでおかないと、いずれ困るから、今のうちに沁み込ませておいた方がいいよ。ここからすべてが始まるんだからね。」
「はい…」
あんまり怖がらせるつもりもないんだけど、三角関数は公式がとにかく多いから、丸暗記は厳しいんだ。まあ、この部活にいる以上、理解して進むのは当然なんだけれど、それでも公式を忘れやすい。だからこそ、基礎となる公理と一部の公式だけ覚えて身体に沁み込ませれば大丈夫。
「まあ、何度も使っているうちに慣れていくと思うから、まずは使ってみようか。$sin\theta$や$cos\theta$が分かる角度だけでいいから、求めてみよう。$30\circ$とか$60\circ$とかね」
「やってみます」
雅君は、新しいことにおびえつつも立ち向かう少年のようだった。そんな姿を見て、母性本能っていうものなのかもしれないけど、くすっと笑いながらも、少しうれしくなってしまった。
あ、そこの君もやってみるといいよ。ほら、そこでわあたしの頭の中を覗いてるそこの君だよ。
私もやらないとね。ある程度やっていくと、ほとんど覚えてしまうから、わざわざ考える必要なんてなくなっちゃうんだよね。今からならまだ間に合うかな。
0 | 30 | 45 | 60 | 90 | 120 | 135 | 150 | 180 | 210 | 225 | 240 | 270 | 300 | 315 | 330 | 360 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
sin | 0 | 1/2 | √2/2 | √3/2 | 1 | √3/2 | √2/2 | 1/2 | 0 | -1/2 | -√2/2 | -√3/2 | -1 | -√3/2 | -√2/2 | -1/2 | 0 |
cos | 1 | √3/2 | √2/2 | 1/2 | 0 | -1/2 | -√2/2 | -√3/2 | -1 | -√3/2 | -√2/2 | -1/2 | 0 | 1/2 | √2/2 | √3/2 | 1 |
tan | 0 | 1/√3 | 1 | √3 | -√3 | -1 | -1/√3 | 0 | 1/√3 | 1 | √3 | -√3 | -1 | -1/√3 | 0 |
「終りました。大体$30\circ$刻みでやりました。」
「お疲れさま~」
ずっとホワイトボードに票を書いていたら、手が疲れちゃった。先輩らしく頑張らないとって、身体を奮い立たせなきゃ。
「雅君が計算している間に私もできる限り書いてみたよ。でも、これを今度はまた新しいグラフにしよう。関数っていうんだから、関数らしいグラフが欲しいよね。」
三角関数を教えているときは、やっぱりここまでたどり着いたときが一つの峠だと思う。ここまでこれたなら、ここから先は少し楽になるはず。
「これが、sinのグラフなんだ。さて、このグラフの縦軸と横軸は何に当たると思う?」
これをノーヒントで理解できるようになったら、それこそ完璧に三角関数をマスターしているって言えると思う。ここまでの内容が完全に頭に入っていれば理解できるけど…
「少し考えさせてください。」
「うん。焦らせないからじっくり考えていいよ。」
人が考えているのを待つっていうのは、数学をしているときにはとっても退屈な時間なんだね。全く知らなかった。前は、先輩が待っててくれたから、私はいつもついてい行くだけで精一杯になっていた。こうやっているのはすごいもどかしいんだ。でも、手出しは厳禁だもんね。
「多分ですけど、さっきの$y$と$\theta$のグラフですか?」
「Nice!」
すこし辛抱したかいがあった。こうやって、教えた人が理解していく様子を見ているのを楽しそうにしていた先輩の気持ちが、今なら少しだけわかるような気がする。まあ、先輩には全く及ばないけど。
「そういうこと。ついでに$cos$と$tan$のグラフも書いておこうね。」
「上が$cos(x)$で下が$tan(x)$のグラフだよ。このグラフまで来たら、三角関数は半分ぐらい来たって感じだよ。ちなみに、$sin(x)$のグラフの曲がり方をサインカーブって呼んでいて、いろんな物事で出てくるから、結構大切なんだ。」
「サインカーブですか。例えばどんなところに出てくるんですか?」
雅君は聴き慣れない単語を、自分なりに発音していた。だから、少しイントネーションが違っていて、少し笑っちゃった。
「身近なところで行くと、ばねの振動の速さとかかな。理科関係で結構出てくる印象だね。あとは、円が出てくる時は使えると思うよ。正n角形とかの問題でも、意外と使える時もあるよ。だから、常に意識しているといいかも。」
「わかりました。それで、これからは何をするんですか?」
「そうだね〜。」
三角比と三角関数について一気に教えていたら、もう日が暮れてしまっていた。ここからもまだ長い話が残っているんだけど、時間的にももうまずいかな。
「今日はもうここまでにしようか。私から教えるのはここまでだけど、宿題を出してあげるね。解けなくてもしょうがないような問題だから、ゆったり家で考えてみて。まあ時間があったらだけど。」
と言うと、私は近くにあった雑紙を取って、問題を4問書いた。
$$cos(A)=b^2+c^2-a^2/2bc (三角形abcにおける余弦定理)を導け$$ $$a/sin(A)=b/sin(B)=c/sin(C)=4R (三角形abcにおける正弦定理 Rは三角形abcの外接円の半径)を導け$$ $$sin(a+b)=sin(a)cos(b)+cos(a)sin(b)$$ $$cos(a+B)=cos(a)cos(b)-sin(a)sin(b) (三角関数の加法定理)を導け$$
「はい、これが宿題ね。明日解説する予定だけど、もう少しやりたければ、先に別の話をするからいくらでも待てるよ。」
その紙を受け取ると、明らかに雅君は何にもわからないと言う表情を作った。まあ、ほとんど無条件で、誘導もなしで解くのは難しいとは思うけど、こう言うのにも慣れて欲しいからね。
「一応今日話したことを使えば解ける問題だよ。上2問が三角比の問題で、下2問が三角関数の問題だよ。上2問は、三角形っていう条件を忘れないようにね」
「はい。がんばります。」
そういって、変える支度をしようとする彼を、私は引き留めた。
「ちょっとまた窓のところにおいでよ。」
そういうと、彼は私の横に来て、一緒に夜空を眺めた。
「数学はね、夜景に似ているんだ。低いところには、いろんな問題があって、それを照らす光がある。学校で教わるものや演習問題がそんな感じ。高くなればなるほど、物が少なくなっていく。そして、やがて星をとらえようとするんだ。限りなく遠い光を追い求めて。」
ふと、彼がどんな様子で私の話を聞いているのか見てみたら、真剣そうな表情で闇色の六等星を目で追いかけていた。だから、数学の話を続けたくなってしまった。
「空高くいけばいくほど、空気は少なくなるけど、自由になっていく。そうして、一人一人自分の影を地球に残すんだ。私も君も、数学が好きなら、そんな人になれたら、数学者としては成功なのかもね。」
「夢のような話ですね。」
「数学っていう世界自体が、夢の一部だからね。全てのものに綺麗な答えが割り振られるようなことは、普通じゃないんだよね。それを当たり前に思ってしまうのは、数学好きだからなのかもね。」
数学っていう世界は本当に良く分からない。新しいものをいくら導入しても、破裂しない。外側から概形をつかもうとしたら、いつの間にか中に入ってしまうのは、クラインの壺の形をしているから、それとも境界線がないからなのか、それとも私自身が中にいるからなのかもしれない。中を調べて、同じものを積み木で組み立てると最深部から崩れてしまう。数学の比喩に使えそうなのは、この世界しかないけど、この世界自体は完全に数学と相反する。本当に矛盾ばかりが整えられた世界だ。
「それじゃあ、そろそろ帰ろうか。こんなに暗くなっちゃったら、危ないからね。」
というと、彼は窓から顔を離して、自分の荷物を背負った。私も、自分の荷物を取った。
「そうですね。それでは。」
というと、彼はこの部屋を後にした。私も、廊下に溶けていく彼に言葉を送った。
「お疲れ様。また明日。」
その声は、彼の背中に届いたかわからなかったけど、私はそれで十分だった。最後に、ホワイトボードの文字を綺麗に消すと、私もこの部屋を離れた。
三角関数について、少し駆け足でやっちゃった気がするなぁ。まあ、また明日、公式についてしっかり触れたら、それで十分かも。はてさて、今度は何の話をしようかな。楽しそうなのは、ネイピア数とかだと思うんだけど、それまで長いし。まあ、もう手軽なのはないから、時間はかかるのは仕方ないかもね。
今日のホワイトボード 足りないもの
数
- $e$
- $\theta$
- $i$
関数
- $sin$
- $cos$
- $sout{指数法則}$
三角関数 座標平面上の半径一の円周上の点において、 $$sin\theta とは、\theta\circ の時のy座標$$ $$cos\theta とは、\theta\circ の時のx座標$$ を表す関数 $sin(x)$が成す曲線のことをサインカーブという