ホワイトデー

ワイトデー それは愛や友情の贈り物のお返しをする日 ただほとんどの男子にとっては関係のないものであると思われている 特に僕のような日陰者は

 いつもと同じ通学路を図書館で借りた一冊の音もとともに歩いている。今日はやけに浮足立った生徒が多く、道の雪は踏み荒らされている。下手に体重がかかって固まった氷はそれ以上踏まれまいと滑りやすくなるので、油断すると足を取られてしまう。ちょうど前のほうで一人の生徒の頭が沈むように消えた。

 僕は本のページを開いて字面を追ってはいたが、内容あひっさい頭に入ってこなかった。その代わりに周りの生徒たちの視線がさす先ばかりを気にかけていた。一人でも自分を注視している人がいないだろうかと。

 そうやって誰からも気にかけられていないのを確認しながら学校に入った。教室も同じような雰囲気だったが、わずかに違うのは匂いだろう。カカオの甘ったるい香りと焼けた小麦のぬくもり、、バターの芳香にわずかなアルコール。箱の中に隠していても匂いばかりは閉じ込められない。それは女子たちの何かをくすぐるらしい。僕にはわからないけれど。

 今日は世間ではホワイトデーというらしい。バレンタインにチョコをもらった男子はこの日にお返しを返す。その返事によってそれからの女子からの好感度や来年もらえるチョコの数が変わるのだ。世間体や人間関係を大事にする人にとっては重要な日だろうが、僕にはあまり親しみのない文化だ。何せ僕にチョコをくれるのは一人しかいないから。

 僕にチョコをくれるのはたった一人の幼馴染だけである。彼女とは保育園のころから一緒にいたらしいが、記憶にあるのは小学校からだ。母子家庭であまり裕福ではなかった彼女はお母さんがまだ帰らないからと、小学校が終わると僕の家に居候していた。まるで寝床が別にある家族のような関係だった。僕の思い出に彼女の顔が写っていないことはない。

 そんな関係も中学に入ると少しずつ変わってきた。積極的な彼女は部活に入ると夜遅くまでバドミントンの練習に精を出した。そしてうちに寄らずに家に帰るようになってしまい、帰宅部の僕と関わる機会はめっきりなくなった。時々朝会うとあいさつを交わす同級生ぐらいだ。

 それでも彼女は毎年バレンタインになるとチョコを僕に渡してくれた。小学校時代は近所のスーパーのお菓子を箱に詰めたものだったが、中学になるともう少し値の張るデパートのものになった。いつも当日の昼休みに僕のところに押しかけてきてチョコを置いて帰ろうとするから周りからの視線も痛かった。そのころになると僕は彼女からチョコをもらうのが申し訳なくなり断ろうとしたこともあったけど、そのたびに彼女はこういっていた。

「どうせ私からしかもらえないんだからもらっときな。女の子からもらえるなんて希少なんだよ」

 確かに彼女の言う通り、他の人からチョコをもらう機会はなかった。そのたびに受け取っては、ひと月かけてお返しを考えた。大体は手ごろなクッキーだったり、彼女が好きそうな小物を渡した。それらを翌日彼女が身に付けているのを見るとなんだかうれしくなるんだ。

 しかし今年のバレンタインは少し様相が違っていた。示し合わせたわけでもなく同じ高校に入ったからには今年もチョコがもらえるのだろうと慢心していたのだが、昼休みに彼女は僕の前に姿を現さなかった。それどころか、一日中彼女の姿を見かけなかった。

 いいお返しをしない僕にチョコを上げるのが嫌になったんだろうか、それとも彼女に好きな人でもできたのだろうか。できたら後者であってほしいけど、いずれにせよ彼女の言う通り、女子からもらえるチョコは希少なんだなぁと実感した。

 帰り道に自分用にチョコを買おうかと思って学校を後にしようとした時だった。下駄箱を開けた時、何かがひらひらと舞い降りた。紙製のそれが地面に着く前に何とかつかむと、一枚のメモ用紙を小さく追ったもののようだった。わずかな期待とともにそれを開くとつぶれかかった文字で

「18:00」

 とだけ書かれていた。裏返しにしてみても何も書かれておらず、ただ首をひねったがただ時刻が書いてあるということしかわからなかった。

 そもそもこの紙が僕の下駄箱から落ちたのか、棚の上から落ちたのかすらわからないし、この時刻だけを僕に伝える人の姿が想像できなかった。だからきっとこれは僕以外の誰かにあてたものだろうと思って紙を下駄箱の上に置くと家路についた。

 帰りに寄った駅前のデパートの地下にはたくさんのお菓子メーカーや輸入店が所狭しとで店を出してチョコを打っていた。そのなかに、昔彼女が買ってくれたお店があったので、そこでちいさな四つ入りのチョコレートを一箱買った。帰ったらコーヒーでも淹れて食べようと思っていた。

 家の前に着いたときに親に連絡していなかったのを思い出してスマホを取り出すと、画面には18:00と表示されていた。それを見て、そういえばあの手紙はちゃんと宛先に着いたのだろうかと思った時だった。

「ねぇ、なんで先に帰ったの?」

 苛立ちをあらわにした声だったが、それは僕が求めていたものだった。

「一緒に帰るなんて約束したっけ?」

 質問に質問で返すな、なんていう彼女の姿を想像しながら振り返ると、そこにいたのは想像と違う表情の彼女だった。

「あんたの下駄箱に時間書いておいたから待ってくれると思ったのにさ。それを読まずに帰ったみたいだったから部活を早退して急いで追いかけてきたのよ。」

 起こっている彼女の言葉はあまり僕の頭に入らなかった。それ以上に彼女の右手にぶら下げているパステルカラーのオレンジの紙袋が頭の片隅にこびりついていたから。

 彼女はそれからも少し僕に不平を述べた後、少しうつむいてから改まった様子で言った。

「ハッピーバレンタイン。今年はちょっと頑張ったんだから、お返し期待してるから。」

 右手の紙袋を僕に押し付けるようにすると、受け取るや否やさよならも言わずに踵を返してしまった。

 今年もくれるんだといううれしさと、自分で買ってしまったので食べる量が増えたなという複雑な気持ちがこんがらがったまま家に入った。

 夜になって彼女からもらった紙袋からチョコの箱を取り出すと机の上に置いてみた。箱にも紙袋にも珍しくメーカーの名前がなく、今年はまた背伸びしたものを買ったのだろうか。あまり無理はしないでなんて余計な心配をしながら箱を開けてみると、チョコの紹介の代わりに一枚の手紙が入っていた。黄色がかった横書きの便せんの最初の行には僕の名前が書かれていた。

「あきとくんへ

 小学校の頃からずっとあなたのことが好きでした。お返事はホワイトデーの時に聞かせてください。

 ps チョコは私が作ったから早めに食べてね」

 思わず三回その手紙を読み直し、自分の頬をつねってみたが便箋の文字は変わらなかった。

 彼女が僕のことを好き?そのことを僕の理性は信じようとしなかった。夢でも幻でもないならいたずらだろうか。彼女はそういうことをする人じゃないし、何より手紙の下にあったチョコの形が崩れているのが何よりの証拠だろう。

 現実を理解することができないままに、彼女からもらったチョコを一粒食べてみた。わずかにバターの香りのする甘い甘い生チョコ。ずっと子供のころ、なんかの機会に家族と彼女とチョコを食べた時に僕が好きといったチョコにどことなく似ている気がする味だ。それは確かクリスマスの記念に親が買ってきた老舗の洋菓子屋さんのだったと思う。

 彼女の真意はわからないままそのチョコの箱は僕の机にしまって、痛ませないように毎日一つずつ口にした。そのたびに彼女とのいつかの思い出が頭をよぎった。

 それから彼女に会うたびに手紙のことを思い出すようになってしまった。僕を見ると少しうれしそうに微笑みかけてくれたり、すれ違う時に挨拶をしてくれる。そのたびにこれまでには感じなかった胸の高鳴りを覚えるようになった。目が合うとドキッとしてとっさに目を背けてしまう。それから悪いことをしたなと思う事が続いている。

 君を見るたびに何か声をかけたいと思うのに、、君の顔が頭を埋め尽くしてしまって言葉が出ない。結局ちょっと会釈して避けてしまう。本当はこんなことしたくなんてないのに。

 でも、こうして君との距離が潮の満ち引きみたいに踏み込めないでいる間に一つ気づいたことがあった。それはどうやらこの感覚は僕だけではないということ。

 このあいまいな距離感はもどかしいけど心地よくて、あの手紙が君に話しかける免罪符になって気にしないふりして君に近づける。それでも君の手紙への返事は用意しないといけない。返事自体は初めから決まってたけれど。

 そうしてやってきたホワイトデー当日。これまでは僕は彼女以外にチョコのお返しをしたことがなかったから悩みに悩んでプレゼントを決めた。ネットでいろいろ調べて、これならきっと彼女も泣いて喜んでくれるだろうというものを。

 その日、授業が終わるとすぐに彼女の下駄箱にメモ帳をはさんでおいた。彼女が僕にしたのと同じように。後は彼女がきっと来るであろう図書室の裏口が見えるところに隠れた。それは僕らが時々使った待ち合わせ場所。

 夕暮れで木陰になるこの場所はちらちらと舞い降りる小さな白い結晶を歓迎しているようだった。わずかに地面にも雪が残り、まるで粉糖をかけたガトーショコラのようになっている。そろそろ彼女が来るだろうと思うと僕の心臓は一段と強く高鳴った。

 図書館と後者の間をひっそりと歩く一つの人影が見える。ちょうど逆光になっていることと黄昏時ゆえにその正体は憶測でしか測れなかったが、僕にはそれが誰なのか確証があった。

「やっほ」

 お互いに手を伸ばせば届きそうな距離になってようやく彼女だと視認できると、準備していたはずの言葉は喉につっかえてしまった。本当はもっとかっこいいセリフで出迎えたかったのに。

「あんたが目も置いたんでしょ。それじゃ、一緒に帰ろうか」

「そうだね」

 きっと彼女もわかっている。そのはずなのにおくびにも出さない彼女と、緊張しすぎて言葉が出ない僕。今だけは黄昏時でよかったと思う。きっとこの距離でも彼女に僕の顔は見えていないから。

 たわいもない会話をしながら歩いていると、いつの間にやら彼女のマンションの前まで来てしまった。そのほとんどは彼女の部活の愚痴だったり、自慢話だったりだ。君にかけたい言葉はいくらでも見つかるのに、喉には見えない餅が引っ掛かっているみたいに言葉を押しとどめている。代わりに出てくるのはつまらない相槌ばかり。

「それで、私を呼び出したのには理由があるんでしょ?」

 待ちわびたかのような彼女の声。上を向いて大きく息を吸い込むと、しっかりと彼女を見据えていった。

「ハッピーホワイトデー。ってなんかちょっとゴロが悪いね。」

 そういって右手にずっと握りしめていた紙袋を渡した。君が受け取るや否や僕はその手を引っ込めてしまった。本当はちょっとでも君の手を触っていたかったんだけど。

「これは今開けたほうがいい?」

 彼女は少し眉をひそめて怪訝そうな表情をした。何か失敗しただろうか。もしそうならせめてそれは見たくないと思った。

「いや、できたら家に帰ってから開けてほしいかな。ただ一応感想は欲しい。」

 かっこつけようとしてぶっきらぼうな言い方になってしまったのが少し悔やまれたけど、彼女は紙袋を携えてマンションの中に入っていった。それを見届けて僕も自分の家に向かった。

 自分の部屋に戻ってから君からの連絡をずっと待っていた。しかし待てど暮らせど黄身からの連絡は来ない。段々不安が募ってきた僕はスマホを手にとってお返しについて調べてみた。

 僕は最近の彼女の様子を見ていて、これならきっと君が喜ぶだろうなというものを送ることにした。お菓子みたいな消え物よりも長く残るもの、希少な機械しか使わないものより日常的なものを選んだ。それはできるだけ君の僕のことを思い出してほしかったから。

「ホワイトデー お返し ハンカチ」

 検索結果を見て彼女からの返事がない理由を知った僕は急いで彼女に電話をかけた。

updatedupdated2024-11-072024-11-07