Pellicule

久しぶり、どうしたんだよ髭なんか生やして。」

 その声に俺は正直がっかりした。もっと聞き覚えのある奴らの声が待っていると思っていたから。正直顔も名前も思い出せない友人かも怪しい人だけが待っているとは思いたくなかった。それでもわざわざここまで迎えに来てくれた彼のために舌を噛みながら笑って見せる。

 新幹線のホームから見た町の景色は3年前とあんまり変わっていなかった。デパートの垂れ幕が変わったくらいに見える。目を凝らせばもっと多くのものが変わってるはずだけど、ここからでは見えなかった。

 ひたすらくだらない話をしながら少し前を歩く彼の後ろで、改札の外に誰かいないか必死に探した。昨日送ったメッセージに既読をつけずに、迎えに来てくれる誰かを探してた。

「本当は迎えに来たがってたやつもいたんだけど、結局来れなくてさ。まだ時間は早いけど飲まない? 今日はおごるからさ」

 それが彼の改札を出て最初の言葉だった。わかりやすい奴だ。そんな友人が誰もいなかったことくらい、嫌でもわかる。一つは彼のために、もう一つは希望を捨てきれない自分のために、昼過ぎからやっている居酒屋の角の席に腰を下ろした。

「あれからお前だけじゃないんだよ。高橋の奴も大阪に行ったらしいしさ。最後くらいあいさつしといてほしいもんだよな」

「ほんと、そうだな」

 俺のハイボールだけ高さがどんどん減っていく。昨日連絡をしたやつの中に高橋もいた。でも、大阪に出ていったなんて話は聞かなかった。まあ、卒業するときまで東京に行くことを隠していた俺が言えたことじゃない。

「どうでもいいけど、昔皆既日食があったの覚えてる? 30年に一度なんて言うから学校の授業も放り出して校庭に寝そべったの」

「そんなこともあったな」

 もっとも面白い話をしてくれたらいいのに。串の最後の焼き鳥をかみちぎると、ハイボールをぐっと飲み干した。一杯飲んでようやく酔いが回ってきたのか、くだらない記憶が頭に巡り始めた。

「そういや、なんか変な道具作ってたな。でも結局曇ってなんも見えなかったよな」

「そうそう。あの後無駄にレポートなんか書かされて、笑えるよ」

 彼は青春を語る中年みたいに笑いながらジョッキを傾けた。ようやく向こうのビールも半分くらいまで減った。

 次から次へと飛び出すくだらない思い出。そういやそんなこともあったような気がする、みたいな話ばかり。当然だ。もともとこいつと俺は接点がそう多くあったわけじゃない。

 街の片隅、狭い社会で生まれ育ったから、学校という場所で多くの時間一緒にいただけ。共通して語れる熱い思い出なんてあるはずもない。本当は部活のこととか、教師のこととか、仕事のこととか話すべき相手だったら話したいことはいくらでもあった。それでも、つまらない話を続けていた理由はたった一つ。

「一応田中の奴にも連絡しといたからさ。気が向いたら来てくれるかもね」

 待ってた。来やしないとわかってながら、もしかしたらと待ってた。話すべき相手が来てくれるんじゃないかと。ハイボールは泡立たなくなり、ぬるいウイスキーの味しかしなくなってた。それでも俺たちは面白くもない昔話を続けていた。

 彼の二杯目が届いたとき、さっきまで本物かわからない笑顔から急に神妙な顔つきになった。

「そういや、最近どうよ。結婚とかできそう?」

 危うくハイボールをぶっかけそうになった。代わりに目いっぱい力を込めてジョッキを机にたたきつける。あふれたハイボールが少し手にかかった。彼の顔がこの机くらいこわばるのが見えた。

「ちょっと前に振られたばっかりだよ。甲斐性がねぇんだとさ」 「それじゃあ、悪いこと聞いちゃったね。ごめん」

 素直に謝られて急に酔いが引いていく。ふと辺りを見渡すと、いつの間にか俺ら以外誰もいなくなっていた。

「こっちもこの前元カノが結婚したところだよ。わざわざ招待状がきたから結婚式は顔だけ出したけど」 「そっちのほうがひどいな」

 彼は笑っていた。それは物乞いがするような、痛みを隠しながら憐れみを誘う笑い方だった。お金を持ってたら誰でも彼の笑顔を好きになるはずだ。

「いつか結婚して、六人乗りの車買って、家でも建てたら俺らも大人になるかな」 「その前に墓が建ちそうだ」 「間違いないね」

 ありもしない未来と、とうに忘れた過去と、取るに足らない今の話をいつまでもしていた。彼は笑いながら飲んで、笑いながら食べて、笑いながら泣いた。そのたびに未来と過去と今に乾杯をした。

 店じまいで追い出されたとき、約束通り彼が勘定をすると言って先に店の外に出た。出てくるのが遅いと思って引き戸を少し開けると、店主に頭を下げながら、何枚目かわからないカードをスキャンしているところだった。引き戸を閉めると煙草に火をつけた。

「遅くなってすまんね」

 彼が背中から声をかけてきたので、煙草を地面に落としてもみ消した。

「こっちこそおごってくれてありがとな」 「それじゃ、俺はこっちだからさ。また機会があったら飲もう」

 そういって彼は俺を置いて夕闇に溶けていった。駅のほうに歩いていくとき、俺は彼に名前を聞き忘れたことを思い出した。

 まあ、いいや。次会ったら聞けばいいさ。

 それから二か月後、彼の訃報が届いた。ようやく俺は彼の名前を胸に刻んだ。

updatedupdated2026-04-182026-04-18