花火大会 何発も打ち上がる夜空の華は多くの人を魅了する 星ほど高くはないが人よりもはるかに高く弾けた光は平等に喜びを与える そう、誰でも平等に
「どうしてこんな日に限って…」
小言をこぼしながら小さい部屋の隅の収納ケースの一番下から浴衣を引っ張り出す。最後に来たのは五年前、ここに越してくる前の夏祭りだったかな。わざわざ引っ越しの時に持ってきたはいいものの、中学時代のだから少し子供っぽくてなかなか着る機会がなかったんだ。
ぱっと浴衣を羽織ってみると自分が中学時代から成長したんだなと実感した。当時は有り余ってた着丈も、今ではそんなに上げなくてもちょうどよくなったし、何より前後で着丈の余りがだいぶ変わっている。
しみじみと耽っていたかったけど、すぐに気を取り直して着付けを進めていく。もうずっと着ていなかったのに、羽織った瞬間から体が勝手に腰ひもやおはしょりの整え方を思い出していく。本当は着付けしてもらいたかったけど、時間もお金もないから多少粗があってもあきらめるしかない。
着付けを終えて時計を見ると予定していた時間よりも二分遅れている。手当たり次第に必要そうなものをかばんに詰め込むとマンションを飛び出して神社に向かった。
神社に向かう途中、公園の近くを通った時に、普段は開いていないお堂が開いているのが目に映った。こういうところもお祭りのときは開けているんだと思ったけど、何のためかは想像もできなかった。若しかしたらちょっと涼めるとか、花火がきれいに見える隠れた名所なのかも。
花火大会の場所が近づくにつれてどんどんと人の密度が高まっていって、いつの間にやら身動きが取れなくなっていた。右にも左にも動けず、押されるがままに前に進むことしかできない。それでも必死に目指していた神社の前で人ごみから抜け出して境内に入った。
軽く一礼してから鳥居をくぐって、お社の少し裏手に入って集合場所の南天の木まで少し小走りした。ぱっと周りを見たけどどうやら彼はまだ来ていないらしい。一瞬の安心をじわじわと不安が押しつぶそうとして下を向いていると、視界が淡く黄色くなった。
「やっぱり、来てたんだ」
ぱっと顔を上げると、思った以上に高いところに変わらない顔があった。
「五年前の約束、覚えてたんだね?」
私が言うと少し恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「たまたま思い出しただけだから…」
嘘をつく時の仕草もあの頃から変わっていなかった。それが私にとってはうれしくて、本当は彼の腕にすぐにでも飛びつきたかったけど、あるものがそれを邪魔していた。
「ねぇ、その右手に持ってるのは提灯?」
「あぁ、これは君に持たせようと思って」
「なんで私が持つのよ?」
「代わりにカバンは持つからさ」
よくわかんない交換条件で私は提灯を持たされて、二人でお祭りに繰り出すことになった。喧騒と群衆の中に入り込むと五年前と今が自然と頭の中で混同する。それでも変わってしまったものはよく目につく。
「それにしても、五年でこんなに身長って伸びるんだね。今何センチよあんた。」
「184くらいかな。でも、それを言うなら二人ともだろ。五年前はあんなに生意気だったのにね」
「生意気って同い年に思うことじゃないでしょ。」
くだらない話でもいつもより笑い声が自然と大きくなる。恥ずかしさも疲れもお祭り騒ぎが消し飛ばしてくれるからこそ、ちょっとだけいつもよりも素直でいられるんだ。
「今日のあんた、かっこいいわね」
「どうした急に。暑さにでも当てられた?」
「あのねぇ。人がせっかく褒めてるんだから素直に受け取りなさいよ。全く」
「ごめんごめん。でも今日じゃなくていつもって言ってほしいんだけど。」
どうやら五年でうざさまで成長してしまったらしい。
「少なくとも五年前はダサかったわよ。」
「確かに親に着付けしてもらった浴衣のひもがほどけちゃったりしてね。そうそう、ここの路地裏で直してくれたんだよね。」
「そんなこともあったわね」
二人で並んで屋台街を歩いていると、一軒の屋台が目に付いた。
「超ロングポテトだ!」
「前の時も買って二人で分けたよね。今日も買おっか。」
そういえばと思って彼の左手からかばんを取ろうとすると、「僕が買うから」と言って私を置いて屋台に行こうとする。屋台で物を買うのもお祭りのだいご味だから、私も置いていかれないように足を速めた。ちょうど彼が買うときに間に合った。
「超ロングポテト二つお願いします。」
「1000円ね。兄ちゃん、いい食べっぷりだね。」
「お祭りと言ったら僕にとってはこれなんで。」
「いいねぇ。じゃあ暑いから気をつけてな。」
手際よく店員さんは受け取った千円をお菓子の箱みたいなお札入れに突っ込むと、すぐに後ろのお客さんの相手を始めた。私と彼で一つずつポテトを持つと屋台を後にした。
「どこかで座って食べる?」
彼がそういうので時計を見ると思った以上に時間が進んでいた。
「まだ早いけど、あそこに行っとこうよ。先客がいたら嫌だしさ。」
「そうしよっか」
二人で行列の流れに逆らうほうに歩き出した。大勢のわきを通り抜けるから、すれ違うたびにポテトを落とさないか不安になった。それに、彼から渡された提灯も小さいとは言ってもそれなりに邪魔になる。本当になんでこんなものを渡したんだろう。
少しずつ人がはけていき、ようやく二人で並んで歩けるようになるころにはもう目的地のすぐそばだった。それは海岸の防波堤の上、私たちの思い出の場所。
「ここに来ると思いだすね」
「あれからもう五年もたっちゃったね。」
私たちはもともと恋人同士だった。と言っても中学生の話だから、今のような大人なものじゃなくて、ほぼ本能的に好きになった二人が一緒にいただけのことだった。
「高校に行ったら離れ離れになっちゃうね。それともおまじないしとく?」
「いや、しない。その代わりに約束しよう。」
「どんな?」
「五年後にもう一回ここで会う。そしたらその時におまじないするから」
そういって花火が始まる前に私の手を離した彼の横顔は私は今でも忘れない。思い出すたびに惚れなおしてしまうような、苦しみを噛み潰した漢の顔だった。
「でもびっくりしたなぁ、まさか本当に高校受験で上京しちゃうなんてね」
「あの約束をしてから、五年後のことを思ってずっと努力してたからね。一応あの時の夢をくじけずに追いかけてるんだ」
「薬の開発者になる夢だったよね。中学じゃみんなに笑われてたけど、よくあきらめなかったよね」
「そりゃ応援してくれる人がいたから」
そういってこっちを向いた彼の口にポテトを突っ込む。こういう時にドキッとさせる発言をするのはずるい。
「そうやって女の子をだましてたんでしょ。」
「俺がどんだけこの日を待ってたか知らないの?いやまぁ知らないだろうけど。」
本心ではわかってるけど、彼が私だけを見てくれてうれしいと思う気持ちを認めたくない。だからちょっとすねたような態度をとっちゃう。それでもかまわずに一緒にいてくれるのが彼のやさしさだ。
「そろそろ花火が上がるね」
少し離れているところから見ていても多くの人の視点が集まっているのがわかる。打ち上げ場所を皆がらちらちらと彼のほうを見た。なかなか手を出してくれない彼にじれったくなってきいてしまった。
「今回は手をつないでくれるんだよね?」
私が言葉で聞いても、彼は私のことが場聞こえないかのように少しだけ私から目線をそらしたままだった。態度を変えない彼に少しずつショックを感じて無理やり彼の手をつかもうとすると、ようやく彼が口を開いた。
「今日って何の日か知ってる?」
言わずもがななことを聞いてくる彼に少し怪訝に思いながら答えた。
「花火大会、夏祭りでしょ」
「いや、もっと世間的にさ」
少し済ました彼の横顔を見ながら考えていると、少しして答えにたどり着いた。
「お盆だっけ。」
確かこの町の花火大会はお盆と同時に行われてるって聞いたような気がする。あやふやな記憶を確かめるように聞くと、彼は深々とうなずいた。
しばらくの沈黙があった。花火を待つ群衆の期待の沈黙の中で私は気づいてしまった。
「この町の花火大会は、もともとは戦死者を弔うためにお盆の時に行われたって話は小学校で何回も聞かされたよね。」
遠い過去を思い出すかのように彼の視線は時空をさまよっていた。そして急に彼の手が私の手をつかんだ。
「やっぱりあの日の約束、果たそうか。」
意を決したように強いまなざしで空を見上げる彼の手のぬくもりを十分に味わってから、
私はその手を振りほどいた。
驚いたように私のことを見ようとする彼の視線はすでに私をとらえられなくなっていた。私はてぶらにした右手で背伸びしながら彼の頭をなでた。
「いいよ。私に明日がなくても君には明日も明後日もあるんだからさ。だから私のことなんか忘れて…」
別れの言葉あを言おうとすると涙が止まらなくなる。頬を伝う涙がくすぐったくなって、声帯が震えてまともな声が出なくなっていた。それでも最後はちょっとだけかれに大人ぶって見せた。
「でも花火を見たら私を思い出してね。」
滝のように涙を流しながら彼は深くうなずいた。そのあと彼が何を言ったか私には聞こえなかった。私の意識はすでに点の上に来て得しまっていたから、雲の上から花火を眺めていた。
きっと彼も同じ花火を眺めているんだ。花火は誰にでも平等に見えるから。