六話目

 はっと目が覚めた。食卓の椅子に座ったまま寝ていたらしい。机の上に置かれたスマホを手に取って時間を確認すると、午前五時半を示している。もう朝の支度をする時間だ。

 結局、昨日の午前一時ぐらいまでお母さんに電話をかけていたけどつながらなかった。留守番電話に伝言残したし、メッセージを送ったけど一向に返事はなかった。それでも焦燥間で電話をかけていたけど、いつの間にか眠気に襲われていたらしい。

 いつもの癖のように惰性で学校の支度をする。ついでにお母さんに電話をかけるもやっぱり返事はなかった。もうコール音が途切れるまでの時間も完全に覚えてしまった。

 朝食を食べて着替える。かばんの中身は、今日は筆箱さえあれば十分かな。冬用のセーラー服にそでを通すとやっぱり首元が寒い。マフラーは俊と買ったやつだけで、もう見ることすらいやだった。まあ今更風邪を引いたって関係ないような気がする。

 せめてもの気持ちでメイクをすると学校に向かう前にもう一度電話をかける。これで電話に出なかったらもうどうしようもない。学校に間に合うぎりぎりの時間まで電話をかけたけどつながらなかった。

 これで家も見納めになるんだ。家を出る前にお別れの合図としてさよならと言い残して扉を閉めた。狭くて何もない公営住宅だったけど、二人で済むには意外とちょうどよかった。たくさん買ったはずのカップ焼きそばももうほとんど残っていない。

 今日はすがすがしいほどの快晴だ。冬らしく乾燥していて、冷たい風が吹きすさぶ中、太陽だけは地面を照らしている。けれどそれは醜く死んだ命を暴く光。もう少ししたら私もそうなるのかもしれないなぁ。

 本当は走らなきゃいけないはずなのに、もう走る気持ちすら沸いてこなかった。ただ惰性で歩きながら地面の踏みしめられた枯葉と心を共にする。そして彼らに語り掛ける。私も栄養になるから、と。

 通学路の左右にある建物、見慣れたはずのすべてをしっかりと目に焼きつけた。無機物だけはずっと変わらず私を受け入れてくれていたのかもしれない。今となってはそれすらも申し訳なく思った。

 お弁当を買ったコンビニ。三人で唐揚げを食べたり、お母さんのお夕飯を買ったり、いろんなことでお世話になった。いつも安いものしか買わなくて申し訳ないことをしていた。今日はお弁当いらないから道路を挟んで謝意を示すばかりだ。

 そして歩いていけばだんだん眼前に広がってくるのが、私の母校。もう朝のホームルームの時間だから登校する人はいない。ただ一人、公衆の面前に立たされたような気持で校舎に向かう。もしかしたらあの窓から燈子が見ているかもしれないな。今日はあの言葉を伝えなきゃ。

 校舎に入って階段を上りながら考える。もしかしたらたった一つだけやり残したことがあるかもしれない。まあそれはできなくても仕方ないかな。きっと今の俊ならうまくできるはずだ。

 ちょうどホームルームが終わったらしく、あの数学教師が教室から出てきた。教室に入ろうとしたけど案の定話しかけられた。

「どうしたんだい、遅刻して」

「まあ軽い寝坊です」

「夜ゲームするからじゃない?」

 いつもの皮肉を残して去っていこうとする担任にぼそっと告げる。

「ありがとうございました」

 聞き取れなかったのか、一瞬首をかしげたがそのまま振り返らずに去っていった。これで一人。

 教室に入ると一葉に視線が私のほうを向く。友人を見る目ではなく、奇異なものを見る蔑視だ。彼らには感謝はしているけれど、それはいいや。

 自分の席に着くと付箋を取り出した。シャーペンに小さな文字で付箋を黒く染める。

「私のことを友達として扱ってくれてありがとう。約束守れなくてごめんなさい。」

「似たもの同士仲良くしてくれてありがとう。大切な時に寄り添えなくてごめんなさい。」

 登校中に考えた文章をかきこむと一枚は美雪の机に貼り付けた。それから美雪と桃花が教室を出たすきに桃花の机にも張り付けた。これで三人。

 本当は口頭で伝えたかったけど、顔を向けたら言葉があふれそうだから付箋にした。美雪が伝言するのに好きだった方法。いろんなメッセージを書いて私の机に残してくれたなぁ。最後だし読んでくれたらうれしいけど、どうだろう。

 残りの人を探しに教室を出た。すると、予想通り私が求めていた四人組が現れた。

「ちゃんと今日も登校してくるなんて、意外と真面目ね。前みたいに不登校になられたらつまらないからよかったわ」

 燈子とその連れの三人。昨日までの私なら足が竦んでいたかもしれないけど、今の私は彼女らに対しての恐怖はなかった。

「もう不登校にはならないよ。」

 そういうと嬉しそうに燈子は笑った。そして私に近づこうとする燈子を静止して言う。まるで劇のセリフのように。

「ねぇ燈子。バスケ部の時に一緒に練習してくれてありがとう。でも、私にはあなたの考えてることがわからなかったの。だから謝らせて」

 燈子が幽霊に出くわしたような表情をしている。ほかの三人も異形を見るような目線をする中、私は誠心誠意彼女らにお辞儀した。

「ごめんなさい」

 すると、燈子は一瞬にして踵を返すと吐き捨てるように言い残して消えた。

「まあ、わかってくれたんならいいわ」

 去る四人を目線で追いかける。そういえば私の手袋はどうなったんだろう。ちょっと気になるけどもういいかな。これで七人

 残っているのはあと六人ぐらい。本当は伝えたい人はもっといるのだろうけど、時間がない。残っている人には書けばいつか伝わる。それで十分だ。

 できれば対面で伝えたいと思っている残りの六人を探す。ちょうどトイレの近くを歩いていた時、男子トイレから出てくる六人組を見つけた。一番身長の高い生徒の隣に、楽しそうに話している少し背の低い体格のいい背中姿。それにつれられるように出てくる四人にまとめて声をかける。

「俊君と大祐君とみんな」

 ぱっと四人が振り返って私のほうを見た。俊は私と気が付いた瞬間に怪訝そうに顔をゆがめたが、隣の大祐君は向日葵のように笑った。

「あれ、晴翔さんじゃん。昨日は部活どうしたの」

 そういえば機能部活に行っていなかったんだったな。本題とは関係ないし適当にごまかす。

「ちょっと体調を崩しててね。」

 そういうと、口々にお大事にという六人。やっぱり優しい人たちに囲まれてたんだなと再認識する。そんな彼らに私は用意していた言葉を告げる。

「私のことをマネージャーとして受け入れてくれてありがとう。部員の一人として扱ってくれてうれしかったよ。でも小森先輩みたいには役に立たなくてごめんなさい。」

 そして、視線を俊に集中させる。隣に立ってた時はあんなに見上げたけど、今日は少し離れてるから少し顔を上げたら目が合う。

「俊。こんな私と付き合ってくれてありがとう。一緒にゲームしたり洋服を選んだり、ハンバーガーを食べるの楽しかったよ。でも全然至らない彼女でごめんなさい。」

 きょとんとした表情で私を見つめる俊。まあ突拍子もない言葉だから当然か。でも伝えたいことは伝えきったから、悔いはない。彼らのもとを去る前に、私はもう一つうそをついた。

「体調が戻ったら部活に行くから、大会までには直すから待っててね」

 下手に心配かけるよりはこれぐらいの言葉のほうがいいだろう。彼らに背負向けて自分の教室に戻る。これで13人。もう十分だ。

 教室に戻った私は一直線に自分の席に向かった。すると、予想通り美雪と桃花が私の机を取り囲んでいる。これ以上彼女らと話したくなかったけどお、仕方ないかな。

 私が自分の席につこうとすると、美雪と桃花が口を開いた。

「これはどういうつもりかしら?」

「どういう意味?」

 少し考えてから、私は彼女らに告げた。

「せめてもの贖罪だよ」

 一瞬と気が止まったように硬直した彼女らを置いて教室を出る。ノートと筆箱は回収できたから十分だ。出ていこうとする私を見てた二人だったけど、授業開始が近いからか追いかけてくることはなかった。廊下を歩きながら少しほっとした。

 廊下を歩いているうちに授業開始のチャイムが鳴った。たんと私以外の生徒も教師も廊下に出ていない。私も最後の授業を受けるために"教室"に向かう。

 階段を上り、上り、上った。自由度の高いこの高校故に、屋上も自由に開閉できる。一度も立ち入ったことのない屋上の扉を押し開けた。

 校舎の中と違い、太陽がさんさんと私を照り付ける。風が直に私の首元をなでる。自由と開放感のあふれる場所が眼前に広がった。子供ならだれでも夢に見るようなユートピア。

 屋上の空気を二度三度深呼吸して体に取り入れる。教室の空気と違い、随分澄んでいて心を内側から浄化してくれるような気がした。

 屋上の自分の通学路が見えるほうの柵に近づくと座り込む。持ってきたノートの空いているページを開き、筆箱からシャーペンを取り出した。これが私の最後の授業、数々の人たちへの感謝を謝罪を記す。

 まずはやっぱり部活の顧問かな。覚めているのか熱血なのかわからなかったけどいい先生だった。やっぱり役に立てなかったことが申し訳なかった。

 次に書くのは部活の先輩たち。いつもかっこいい姿を私に見せてくれた。話してくれることは少なかったけど、その分バレーをしている勇姿は記憶に残っている。もっと話したかったし、役に立てなかったことが申し訳ない。

 小森先輩。私にとってのマネージャーの完成みたいな存在だった。それぞれの部員の個性もバレーの知識も備えていて、私の心も理解してくれた。せっかく忠告してくれたのに、それを無視して部活をぎすぎすさせたこと、足手まといにしかならなかったことが謝りたいことかな。

 思いつく限り私に関わってくれた人たちの名前を書いては感謝と謝罪を書いた。書いているうちに、私はどれだけ恵まれたところに生きていたんだろうと実感する。それなのに私には迷惑をかけてばかりのどうしようもない人間だった。やっぱり私の選択は間違っていない。

 最後のページに書いたのは両親への言葉、ここまで私を育ててくれたし、お母さんは学費を払ってくれた。そのお金をこんな形で不意にして申し訳ない。もし私がいなければ慰謝料なんてとっくに払えたのにな。

 思いつく限り全員への言葉を書き終えるとノートを閉じる、飛ばされないように、出入り口の扉の手前に筆箱を載せて置いておいた。これならきっと大丈夫だろう。

 たくさんの人にメッセージを書いていたら、いつの間にか日は傾いて夕焼け空を映し出していた。ちょうどいい。私の最後にはもったいないぐらいの夕映えだ。

 もう一度太陽を見つめる。太陽だけが知っていてくれれば十分だ。私は柵から身を乗り出した。前かがみで下を見ると五階と地面までの距離は長いようで短く思えた。これで十分な高さなんて信じがたい。

 こんなダメな人間でも、唯一の救いはある。どうしようもない毎日でも最後の救いはある。それはきっと神様が私のような人間のために用意してくれた方法。

 今度は通学路に背を向けるように柵に腰かける。鉄製の棒が私の太ももをひんやりとさせる。それがいま生きていることを実感させてきて、目に涙が浮かんだ。

 ごめんなさい。私と関わってくれたすべての人。誰の期待に応えることもできなかったけど、これ以上の迷惑もかけない。許してほしいなんて言わないけど、これが私なりの贖罪。

 そして救済。ゲームは俊を思い出す。学校にいればクラスメイトからさげすまれ、燈子からいじめられる。時間が過ぎれば朱里さんがやってくる。頼りだった二人の親友との縁は私が壊してしまった。もうほかの救いなんて望めやしない。

 だから私は世界に別れを告げた。

 喜怒哀楽を踏みしめた通学路。何度も食べたファミレス。お世話になったコンビニ。遠くにかすみがかる私の家がある場所。

 目をつむれば数々の思い出。好きだったRPGゲームをやりこんだ日。美雪と桃花が私の家にやってきたとき。三人でお昼ご飯を食べた教室。マネージャーの見学で言ったときの部活。俊と一緒に食べた月見バーガーの味。告白の時に見た満月の夜空。

 もう戻れないと悟っているのに今更胸が疼くんだ。さかさまになったまま。

updatedupdated2024-11-072024-11-07