三話目

 一人の家でベッドに入って寝ることにも慣れてしまった。昔はお母さんがいないと寝られなかったのに、今は当然のように熟睡できる。そう思っていた。

 美雪の社会の課題が終わってからベッドに入って電気を消した途端、心臓の鼓動が急に早くなった。とっさにスマホを取って俊に電話をしようとして、彼に振られたことを思い出す。

 そうだ。最近一人でこの部屋で寝られるようになったのは俊と寝落ちで電話をしていたり、遊んでいたからだった。それまではまともに値付けないことなんていっぱいあったし、電気をつけたまま寝ていたんだった。

 癖で電気を消すと当然のように燈子の影が暗闇に映る。暗闇ですら彼女の目には明るいと思えるほど深淵を思わせる瞳が私を見つめている。

「やめて…」

 寝返りを打って彼女から視線を外す。幻覚の燈子がそろりそろりと私に近づいてきているような気がして横目で彼女を見る。そして視界に入るたびに私の記憶を掘り返して恐怖だけを輝くように磨き上げる。

 燈子から視線を外せば近づいてくるかもしれないと思い、燈子を見れば最悪な日々がよみがえる。たった一人の幻影だけで袋小路に追い込まれるなんて、と自分に言った途端燈子の横に道子やほかの二人が立っていた。

 電気のリモコンが手元にあったことを思い出して、急いで電気をつけた。そこにはただの空気と記憶の残り香が漂うばかりだった。もう彼女の幻影が現れないように字っと部屋の真ん中を見つめていると、ようやく睡魔に襲われた。

 最悪な寝起きで目覚めるといつものように朝の支度をする。メイクも終わってそろそろ美雪たちが来るだろうから玄関前で彼女らを待つ。しかし、いつも時間を過ぎても美雪と桃花は現れなかった。

 確かに桃花は事情からして高校に行けない可能性もあるし、私に会いたくないと思っているから来ないかもと思った。けど、美雪がうちに来なかったのはちょっと予想外だったのでびっくりした。

 さすがに彼女らを待って高校に遅刻するわけにはいかないから、一人で家を出た。お母さんも家にいないから鍵を閉めたことを二回確認してから通学路に入る。

 せっかく今日は久しぶりに赤いマフラーをつけて白い手袋をしている。中学の時から持っているものだけど、美雪からの評価がいい格好で少し前の私がお気に入りだったセットだ。美雪が隣にいないせいでこの格好にもあんまり自信が持てなくなってしまったけど。

 一人で冬の通学路を歩くというのはかなり人恋しくなるもので、周りの人たちがグループやペアで歩いているのもこのためなんだろうと思った。私もちょうどいい人がいたら一緒に生きたいと思ったけど、そんな人は私の視界には現れなかった。

 途中のコンビニでいつものようにお昼ご飯を求めに立ち寄る。朝は昨日の売れ残りが偶然ない限り安売りはないので高いなぁと思いながらいつも買っていた幕の内弁当を手に取った。そしてレジで会計をしようと思ってカバンから財布を取り出すと

「あれ?」

 今日のお昼ご飯分のお金がなかった。そういえばこの一週間ぐらいお母さんとまともに顔を合わせていないから、お金をもらえていなかったんだった。

 仕方なく幕の内弁当を元の場所に戻して店を出た。私のすぐ後ろで幕の内弁当を買ったサラリーマンがレジ袋を手にかけて駅のほうに走っていった。

 段々と同じ制服を着た高校生たちが駆け足になったので、私も少し早歩きで高校に向かう。昇降口に入ると雪崩のように人に押されながら、何とか靴を履き替えて靴箱に押し込んだ。そのまま流れに沿って階段を過ぎると急に雪崩は止まった。

 教室に駆け込むと、最初に美雪の席が目に映った。いつものようにそこで勉強している彼女の姿がなかったので、一瞬彼女が学校に来ていないのかと思った。けれど、教室に入った瞬間桃花の横で話している美雪の姿を視認して、なんとなく納得した。

 空席の隣で一人荷物の整理をする。一人だけ教室からおいていかれるような、誰からも忘れられた席のように思ってしまう。気にしない、気にしないと自分に言い聞かせる。

 ホームルームの時間になって美雪が私の隣の席に戻ってきた。いつものように問題集を広げて勉強をし始める。期待したけど、一切私のほうに話しかけてくるそぶりはなかった。淡々と聞こえる先生の声が虫の鳴き声のように聞こえた。

 ホームルームが終わるとすぐに美雪は立ち上がった。どこに行くんだろうと目で追っていると、やっぱり桃花の隣に膝立ちになった。二人で何を話しているんだろう。桃花のお母さんのことかな、それとも美雪の課題のことだろうか。いずれにしても私にはわからない。

 明らかに避けられている。あえて美雪が私に理解させるためなのか、それとも見せしめのようなものの一つなのか、誰がどう見ても私のことを忌避していた。授業のペアワークでも話しかけてくることすらなかった。

 とはいえ、二人に対して私がやったことは今の彼女らの対応の比ではないのかもしれない。一人には大事に連絡を無視し、もう一人には忠告を無視した挙句怒鳴り返したんだ。もし裁判が行われても、彼女らには情状酌量の余地がある。

 こんなにも一人で時間を過ごすのは初めてだったけど、新しい面白さを見つけて四限までは少し楽しく過ごせた。そこで私は自分がお弁当を持ってきていないことを思い出した。

 いつもなら美雪と桃花に少しねだって分けてもらったり、ただ二人と話しているだけで時間は飛ぶように過ぎていった。けれども今日は二人には呼ばれないだろう。四限の号令の後、私は窓の外に答えを求めていた。。

 図書館にでも行こうかなと心を決めて席を立とうとしたとき、自分の机に見慣れない紙切れが置いてあるのを見つけた。明らかにゴミではなく、伝言用のように折りたたまれている。私宛なのかもわからなかったが、とりあえず開いてみると

「いつものところ」

 丸みを帯びつつも書写のようにきれいにまとまった字でそう書かれていた。美雪の筆跡にしては語調が美雪らしくない。なんとなく不穏な予感を感じつつも、図書館の代わりにいつもの隠れ家に向かった。

 突き当りの扉の前に立つと、職員室に呼び出されている時と同じぐらいの緊張感が漂う。深呼吸をしてから軽くノックをする。返事がないけれど、思い切って扉を開いた。

 隠れ家にはいつものように二人が席についてお弁当を食べている。私が入っても最初は一切気にしていなかったけど、立ちっぱなしでいると美雪が座るように手で指示した。

 おしりが落ち着かない気持ちで椅子に座りながら二人からの反応を待つ。淡々とご飯を食べている二人だったけど、ふとした時に美雪の手が止まった。唐突に私のほうに視線を変えた。驚くほど冷たい表情の美雪と視線が合いそうになってすぐにそらしてしまった。

「まあわかっているとは思うけど」

 美雪はそう口上を述べると本題に入った。

「今日であなたと私たちは友達であることをやめることにしたの。というか、もう関わらないでほしいというのが本音ね。特に桃花は」

 桃花は自分で作ったらしい唐揚げをほおばりながら、美雪のほうを見てうなずく。彼女の視界に私は写っていないと悟る。

「流石に私がいちいち言わなくても理由ぐらいわかっているわね。」

 美雪の言葉に私はうなずいた。少しだけ口角を挙げた美雪は優しく、しかし冷たい声で言った。

「それじゃ、今後一切私たちにはかかわらないで頂戴。私たちが関係を戻そうと持ちかけるまでは少なくともね。」

 こんなまっすぐな言葉で絶交宣言されるなんて思わなかった。しかし、自分のしたことの罪深さを考えると、いち早く彼女らの前から消えるべきだと思い隠れ家を後にした。暗く少しかび臭い部屋のにおいを忘れないように焼き付けた。

 朝の様子から少し理解していたとはいえ、絶交を言い渡されると気が重くなる。図書館に行こうなんて考えは到底なくなっていて、自分の教室の席に戻ることにした。頭では三人で遊んだ記憶が脳裏をかすめた。なんでこんなことになっちゃたんだろう。

 教室の一番後ろの席。誰からの視線を感じることもない場所でぼんやりと窓の外を眺める。私の隣の空いた席はそこからどう見えているんだろう、なんて妄想をする。

 ふと背中からの視線を感じて振り返った。しかし目に映った教室の扉の向こうには誰も見えなかった。少し敏感になりすぎていたのかもなと反省する。

 言われた通り二人には一切話しかけないようにして午後の授業も終わった。普段ならここから部活だけど

「行きたくないな」

 俊に振られたばかりで顔を合わせるのも嫌だった。それでも、一応部活の服を持ってきたし、大会が近いのにマネージャーが急に休むのは迷惑をかけてしまうだろう。張り切って準備を重ねている先輩達に申し訳ないのでうつむきながら教室を出る。廊下をかける男子は私を邪魔者扱いしながら走り去っていった。

 更衣室の前で体育館を覗き込むと、先輩たちがすでに自主練習を始めていた。自分をせかして更衣室に飛び込むと小森先輩が着替えていた。

「お、今日は早いね」

「いえいえ、先輩たちが練習してたので」

 言葉半分に荷物を適当に放ると着替える。一枚制服を脱ぐだけで服の袖や襟元から冷たい空気が入り込むけど、感覚を押し殺してジャージ姿になった。

「そんな急いでると風邪ひくよ」

 なんて笑っている小森先輩は私を置いて更衣室を後にした。着替え終わった私は手元にあったシューズを履こうとしてためらった。

「これ、俊に返すか」

 一組のバレーシューズを横にして、穴だらけのバッシュに足を通した。あまり履いていなかった間に余計に傷がひどくなったような気がしたけど、今日はこれのほうがちょうどいい。今にも破けそうなシューズで更衣室を飛びだした。

 体育館に入ると小森先輩の手伝いをする。今日も俊はテーピングを私にさせるのかな、と考えていたら本人が体育館に入ってきた。松葉づえをつきながら

「え?」

 思わずそう声が漏れる。私の声に気が付いたらしい小森先輩も俊の姿を見て驚いた。サーブ練習をしていた先輩たちも俊に注目する。

「やっぱ靭帯伸び切ってたわ。もう顧問に伝えてはある。」

 そういうと、マネージャーの定位置に片足で立った。あれだけ心配していったのに、いうことを聞かなくて、結局私が思った通りだったなんて。言葉も出ない感情にとらわれていると、小森先輩が俊に話しかけた。

「その怪我、調子はどうなの?」

「今はまだ歩けないぐらい痛いですね。何とか一週間後までに、試合に出られるぐらいまでには直すか慣れようと思います。」

 バスケ経験者の私とてあり得ない発言を聞いて口を挟もうかと思ったけど、小森先輩はそうとだけ言ってテーピングの用意をした。俊はそれを受け取るとしゃがみこんだ。私もかがんで俊に話しかける。

「本当に今日練習するの?」

 足にはめられた包帯をほどいて素足を探しながら答えた。

「多分飛べないからスタンディングでできる範囲で。」

 部活をやめようかなんて言ってた人がここまで強情にバレーをやろうとする事が理解できない。それでも、マネージャーとして声をかける。

「テーピングしようか?」

「いいよ、足なら自分でできる」

「指は?」

「ブロックできないんだからいらないだろ」

 吐き捨てるようにそう言うと足にガーゼ様テーピングを巻いた。

 振られたんだしこれ以上関わるのはやめておこう。代わりにできることを探す。濡れ雑巾、顧問の椅子、やるべきことはまだまだある。

「おー、結構な怪我だったんだな」

 大祐君の明るい声が体育館に響く。どうやら俊のことを見ているらしい。   「やっぱ靭帯いかれてたわ。でもたぶん何とかなる」

「あんま無茶すんなって」

 大祐君と俊の笑い声が混ざる。まさかあの二人があんなに楽しくする日が来るなんて。少しでもその役に立ててたらいいななんて思って眺める。

 緊張感の漂う練習が始まっても、私の心はどこか呆然としていた。この二日間でいろんなことがありすぎてまだ頭が追い付いていない。でもこんなことで迷惑をかけては、なんて思うたびに仕事のミスが増えた。

 結局今日一番顧問に怒られたのは私だっただろう。途中までは部員たちも慰めてくれたけど、段々いらだちの混ざった視線で私を見るようになった。針地獄のような気分で何とか今日の練習を乗り越えると更衣室で小森先輩に会った。

「まあ、そんなことがあったらやりづらいよね」

 私が着替え用とすると、小森先輩が急に声を出した。驚いて聞き返すと、謎を解いた後のシャーロックホームズのように言った。

「君たちの関係がどうなったかは知らないけど、大会が近いから部活に迷惑はかけないでね」

 そう言い残すと小森先輩は去っていった。更衣室の外から小森先輩と先輩たちの笑い声がすぐに響きだす。小森先輩がいいマネージャーなんだなと理解するたびに私の不甲斐なさを思い知らされた。

 落ち込んだまま更衣室を外に出ると、誰も私を待っていてくれはしなかった。珍しく一人で帰る道は黒い影が笑っているようだった。

updatedupdated2024-11-072024-11-07