12月も中旬になって、息が白く霜が降りるようになった。去年のこの時期は必死で勉強机に向かっていたんだろうなぁ。まさか一年後の私が六時台に部活の練習試合で他校の正門前に集合するなんて思っていなかっただろう。
「冬なのになんでこんな朝早くから集合なんだろうね」
「まあ、二週間後に試合だから仕方ないさ。」
部活の遠征だからそれぞれ思い思いの防寒具に身を包んでいる。私はジャージに裏起毛のパーカーを重ね着して、マフラーに身を包んでいる。俊は極度の寒がりなのか、ウェアの上にジャージとパーカーを羽織って、その上にウィンドブレーカーを重ねている。
ウィンドブレーカーは部活で統一されているので、背中に赤字に黒で高校名が貼り付けられている。どことなくダサい半グレか暴走族のような見た目で少し恥ずかしくなる。
「すみません、ちょっと遅くなりました」
ウェアにウィンドブレーカーを羽織っただけの大祐君と大和田君が走って来た。一年生の人数を確認すると、小森先輩に全員集まったことを伝える。さらに小森先輩から照沼先輩に伝わると、いよいよ正門から対戦相手の高校に入っていく。
今日の対戦相手は市外にある名門高校で、運動を特技とする人たちが集まってくるらしい。噂によると全国大会に出場経験があると公立高校なのに学力がなくても入学できるといううわさがある。
公立高校らしく随分と町中に大きくそびえたっている。何度も見たプレハブ式の校舎に変わり映えしない体育館の屋根が見える。ただ、今日のところは少しだけ体育館までの道が入り組んでいる。
体育館に近づくと、床がはねるような音が聞こえてくる。照沼先輩が扉を開くと、すでに相手校は練習を始めていたらしい。ピリッとした空気が私たちに襲い掛かった。
「失礼します」
照沼先輩を筆頭に、そそくさとステージに上る。強豪校を待たせてはいけないという思いから、先輩たちは急いで着替えるとボールケースなどを組み立てていく。一年生がやれよと思うが、レギュラー外の一年生は予想通りグダグダしていた。
「先輩にやらせちゃダメでしょ」
軽くしかると、私も急いでステージから降りる。救急バッグの前にできている列を小森先輩と一緒に裁く。
「とりあえず俊君からテーピングするから。ほら指出して」
指示しながらも、細いテーピングを六本分切る、だるそうに手を出した俊の指にぐるぐると巻いていく。
「痛いからもう少し優しくして」
「あーごめん」
焦って少しきつく締めた部分を少し直す。いつもよりかなり雑だけど、けがは悪化しないだろうと見込んで、太いテーピングを渡す。
「時間ないからここからは自分でやって」
「え~」
不平を言いながら俊は去っていった。後ろで待っていた大祐君が今度は正面に立つ。
「あいつ、文句ばっかりだよなぁ。マネージャーは優しくしないとね」
「まあ、俊君だからね」
半ば呆れたような声が口から洩れる。ぱっと俊のほうを見たけど聞こえていなさそうなので安心した。大祐君は素直に手を出してくれたので、さっさとテーピングができる。彼氏よりも楽だななんて考えちゃう。
ちょうどそのころ、一年生もステージから降りてきた。冬が近いので、本当は走り込みで体を温めてから練習に入るけど、今日は時間がないからすぐにパスを始めた。走り込みでタイマーが必要だと見込んだ私と小森先輩は少しだけ取り越し苦労をした。
壁際で凍えるマネージャー隊はすることもなく雑談を交わす。
「まだ七時にもなってないのに、練習始めてるってどんな強豪なんだろうね」
「しかもかなりみっちり練習してますよね」
視線の先では、キャプテンらしき人が主導してスリーメンをコートでやっている。私たちのそれよりもかなり厳しいボール出しを当然のように裁いている。
「うちは顧問すら遅刻してるのにね」
「あの人、試合ぎりぎりまで顔出しませんからね」
顧問には先ほど連絡したけれど、試合開始の八時には着くとだけ連絡がきた。この調子だと八時前に試合が始まりそうだけど、いないほうがやりやすいなんて先輩たちが言うからせかす連絡はしていない。
パスが対人練習になると、痛々しい音が飛び交う。それでも、みんな必死に耐えながらボールをつないでいる。小森さんと私は見ていられない気持ちになって、目をそらした。
「スパイク~」「はい」
普段ならパスの後にレシーブ練習やスリーメンがあるから余裕をこいていたマネージャー二人は急いでボールケースを押してネット下に運んだ。小森先輩にタイマーを任して凍える手でボールをセッターの先輩に渡すと、次のボールを拾いだす。慣れた仕事だけど、手がかじかんで時々ボールを落としそうになる。
「あんま焦らんでいいから」
「はい」
先輩からありがたい言葉をもらったけど、急いでいるのは見え見えだった。次のぼーーるを急いでかごから出そうとしたとき、一瞬頭に何かがかすめた。何かと思っていると、俊がネットをくぐってやってきた。
「大丈夫?」
「かすっただけだから」
私が急いで答えると、俊はそのまま立ち去ってしまった。はぁとため息を漏らす。
「ボール頂戴」
「あ、すみません」
急いで先輩にボールを渡す。スパイクの乾いた音と、シューズの甲高い悲鳴、コートの地響きが町の目覚ましのように響いている。
スパイク練習が終わると、試合の前に相手校の顧問に挨拶に行くんだけど
「うちの顧問って人は」
まだうちの顧問が来ていないせいで、相手校の生徒さんは誰も座っていないパイプ椅子の前に集合している。
「こういう時ってどうするんですか?」
「まあ、そのまま始まるんじゃないかな」
相手校の顧問の言葉を横に、小森先輩と話す。顧問への連絡もマネージャーの仕事なんてあの先生なら言いかねないから、少し不安な気持ちになる。
「気を付け、礼」
「ありがとうございました。よろしくお願いします」
全員でそう合唱すると、自分たちのコートに戻る。すぐに相手校の選手たちが顧問のそばに集まる。うちは顧問がいないので、微妙な雰囲気が漂う。
「もう連絡はしてあるんだよね?」
「ここ着いたときに連絡はしました」
照沼先輩も当惑しながらマネージャーと相談する。
「このまま試合すればいいんじゃない?試合中に顧問が来たらそこで挨拶すればいいし」
小森先輩がそういうと、照沼先輩は心が決まったように、マネージャーのもとを去って思い思いに遊んだり雑談している部員に声をかける。レギュラーじゃない部員はコートのコーナーに置かれたフラッグを奪いに駆け出した。取り遅れた大和田君は私たちのところに戻ってくる。
「僕いつも主審やってる気がする。」
「大和田君は足が遅いからね」
私は救急バッグの手前に突っ込んである電子ホイッスルを取り出して、手で押さえながら鳴らす。思った通り、一台は壊れていて鳴らなかったので、別のを出して渡した。
「サンキュ」
そう言い残すと、大和田君は主審代の横に立った。後ろ手を組んで偉ぶってるけど、今日は誤審しないかな、なんて考える。
相手校の顧問の話が終わると、お互いにエンドラインに整列した。大和田君のホイッスルの音でコートに入る。何を言ってるのか、何をしてるのかわからないポーズをそろってやると、円陣を組んだ。まるで焚火に身を寄せているようだった。
作戦会議が終わると、それぞれのフォーメーションに立った。今日は一年生レギュラーが先に前衛スタートらしい。しきりに大祐君はマークを味方に共有している。俊はそれを聞きながら相手をじっと観察しているようだ。
大和田君のホイッスルのすぐ後に照沼先輩がジャンプフローターサーブを打った。早くて鋭い、しかもコーナーをきれいに狙っている。これならコンビはないなと思った。
しかし、相手のリベロらしき人がすばしっこく位置取りをすると、パスっと音で綺麗にサーブはカットされた。ボールを確認することすらなく相手のセンターとレフトはスパイクの入りをしている。セッターの手に吸い込まれるようにボールは帰ってくる。
どっちにトスが上がるか私にはわからなかった。しかし、俊はすぐにレフトだと読んだらしく、すぐに右にステップを踏んだ。
しかし、相手のトスはクイックだった。慌てて俊が横跳びで抑えに言ったけど、ブロックの間をきれいに抜かれてしまった。チームで顔を見合わせている。
「今のって…」
「今のは視線フェイントね。多分セッターがレフトに視線を飛ばしたから、氷はレフトにマークした。普段ならそれで勝負できるけど、今日は相手が一枚上みたいだね。」
コートの外から見てるはずの小森先輩がわかり切ったかのように教えてくれた。コートに立っても活躍できるんじゃないだろうかと疑いたくなるくらいだ。
それから、うちのチームは窮地に立たされた。相手のサーブが強くてカットが安定しないから、トスがどんどんレフト頼りになる。大祐君も必死にトスを打っているけれど、ブロックされたり、綺麗にレシーブしてスパイクが降ってくる。誰かが何とかしないと、とだれもが思っていた。
0:6の場面で、相手のサーブが崩れた。リベロの先輩が嬉しそうに位置取りをして、完璧なレシーブがセッターに帰った。口角を少し上げた俊が飛び立つ前の鳥のようなフォームで飛び上がる。吸い込まれるように俊の手に入ってきたトスを打った。
瞬間、俊が崩れ落ちた。着地と同時に俊がしゃがみこんだと気が付くまで0.3秒かかった。
「どけ!!」
雷鳴のような怒声が体育館を揺らした。声の主は次の言葉が聞こえるまで分からなかった。
「どけって言ってるんだよ!大祐」
その声を聴くと、小森先輩がコートのほうに駆け出した。俊のほうに向かう小森先輩を追いかける。小森先輩は俊に近づくと話しかけた。
「足大丈夫?捻挫してない?」
俊はシューズ越しに左足を軽くもむように確かめながら言う。
「大丈夫っす。」
それを聞くと、小森先輩はコートの外に出た。私は一言だけ俊に言い残して去った。
「無理しないでね」
俊からの返事はなかった。
定位置に戻ると、小森先輩は太いテーピングを二本取り出した。一本は白い普通のテーピング、もう一本はガーゼみたいなやつ。
「多分あの様子だと捻挫はしてると思うんだよね。怪我してなかったらいいんだけどさ」
やっぱり小森先輩も同じことを思っていたらしい。バスケをやっていた経験から言うと、あのけがは捻挫かひどければ考えたくもない結果の可能性もある。そうでないといいのだと願いながら、スコアボードにQSと書き込む。
チームの雰囲気はまだまだ険しいけど、一点取れたというだけで皆の表情も少し良くなった。ただ、プレーを見てて一つだけ気になることがあった。
「小森先輩、俊の左足上がってなくないですか?」
「ん?気が付かなかった。ちょっと見てみるね」
俊がブロックやスパイクをするとき、右足だけつま先が下に垂れ下がっているのだ。
「確かに上がってないね。どうしたんだろう」
小森先輩は不思議そうに見ていたけど、私にはわかってしまった。この時だけはバスケで培った怪我の知識を恨んだ。
リベロの先輩と交代した俊はベンチに帰ってくるなり、小森先輩に話しかけた。
「テーピングもらってもいいっすか」
「もちろん」
すでに用意されていたテーピングセットを受け取ると、俊は少し不慣れな手つきでテーピングを始めようとする。思わず私の口から言葉が漏れた。
「テーピング手伝ってあげようか?」
「スコアボードあるからいいよ」
そんな風に断られるとは思ってなかったので少ししょげていると、小森先輩が気遣ってスコアボードを私から取り上げた。代わりに私は俊の前にしゃがみ込む。
「バスケで捻挫のテーピングに離れてるんだから任せな」
そういうと、俊は渋りながらテーピングを渡してくれた。受け取るときにちらっと小森先輩を見て、聞こえないように俊に告げる。
「それ多分靭帯やってるから、テーピングはするけど今日は休んだほうがいいと思うよ」
「いや、出るよ。」
一瞬あっけにとられて声が出なかった。それから、私は靭帯について知っていることをまくし立てた。
「ただの捻挫よりもよっぽどひどいし、これ以上プレーして断絶したら手術しないともうバレーボールできなくなるよ。治るまでに数か月は普通にかかるし、それに…」
「いいよ、テーピングさえ巻いてくれればそれで」
私の話には興味もない様子でテーピングを押し付けた。自分の体ぐらい大事にしてよと思いながら、これ以上悪化しないようさらしを巻くぐらいきつく巻いた。
左右で一回りも違う足でシューズを履きずら層にしている俊にもう一度だけ忠告した。
「靭帯切れたら次の大会にはもう出られないよ」
わかってる、とだけ返事をすると俊は立ち上がってすぐにスパイクのフォームの確認をした。やっぱり左足の踏み込みもブレーキも弱ってるから危なっかしい。
彼女の忠告ぐらい聞いてくれよと思いながら、何度もジャンプの確認をする俊を眺める。私ばっかり不公平だな。
しばらくして俊はコートの中に戻った。得点差は明らかで、俊が交代するまで点数が取れたほうが奇跡に近い。だから俊が戻ったところで、得点差がひっくり返ることもなければ、ブレイクすることもなく第一セットは終わった。
ちょうど第一セットが終わって、試合間の練習のために動き出そうとしたとき、体育館の扉が開いた。私たちは視線を向けただけだったが、相手校は扉が開ききる前に挨拶をした。そんな盛大な出迎えで現れたのは
「いや~遅れてすみません」
そういいながらそそくさと自分の席に駆けてくる顧問だった。一応あいさつで集まろうとしたが、流石にバツが悪いのかすぐに練習に行くように指示されただけだった。俊が怪我したことを伝えると
「その管理はマネージャーの仕事だろうが」
という理不尽な文句が帰ってきた。ため息をこぼしながらボール私に向かった。結局俊は明らかに落ちたジャンプ力を技術でカバーしようと練習をし続けた。
第二セット以降は特に見どころのない試合が続いた。サーブカットが決まらず、レフトが適当にスパイクして、普段の半分くらいしかスコアボードが埋まらないのが少しもったいなく感じた。
練習試合は午前だけで終わり、一年生で荷物を分担しながら帰りの駅まで歩いている。俊がこの中にいるのが当然のようになったのがうれしいはずなのになんか悲しかった。
思い出したかのように大祐君が俊に話しかけた。
「そういえば、あの左足のけが大丈夫だったか?」
「問題ないね。軽い捻挫程度だと思うから。マネージャーには脅されたけど」
「なんて脅されたん?」
「靭帯損傷じゃねって」
けらけらと笑いながら歩く二人。その背中をおいかける三人も自然と笑いが伝播する。場を悪くしないように涙をこらえるのが精いっぱいだった。すぐそばにコンビニが見えたから、皆に先に帰っていいよと言ってコンビニに入ると、一人で涙をこぼした。
別にそんなに悲しくもないはずなのに、つらくないはずなのにどうしてか涙が止まらなかった。いつの間にか厚手のパーカーの袖が搾れるくらいに濡れていた。
ひとしきり泣いて、涙も枯れ果てたところでスマホを開いた。何のメッセージもない。どうせ見ないとわかっていながらも、俊にメッセージを送る。
コンビニの窓から見えた空は冬の快晴で、無駄にまぶしいのに涙を乾かすには物足りなかった。