「ちょっと、聞いてる?」
いきなり耳元で響いた桃花の声に驚かされる。
「そんな大きな声出さなくたって聞こえるってば…」
私の返答に、ため息一つ返す桃花。聞いてなかった私が悪いんだろうけどさ。
「そういえば、最近の晴翔はボーっとしてることが多いわね。口を開けば部活の話ばかりだし」
「そうかな」
「そうだよ。文化祭以来、口を開けば俊君やら大祐君やら。まあ部活でうまくいってるならいいんだけど」
ややぶっきらぼうに言い切る桃花。私が部活でうまくいってるのがそんなに気に障る部分があるのかな。まあ彼女の気持ちを察することができないわけじゃないけど。
「それぐらいにしておきなさい。せっかく三人で学校生活が送れるようになったんだし、二人の成績もよくなっていい感じじゃない。」
美雪が間に入ってくれたおかげで、桃花もそれ以上は口を開かなかった。ただ、その日の勉強会の最後に、美雪が一言言った。
「とはいえ、晴翔。あなたがそういう関係に進むことはお勧めしないわ」
思わず聞き返してしまったけど、美雪からの返事はなかった。私の胸の中には教科書に挟まった髪の毛ぐらいのわだかまりが残った。
その勉強会の数日後。男子バレー部は休日をつぶして遠征に出かけていた。今日は次の大会のブロックが違うけれど仲のいい高校なので、何回かお邪魔したことがあるらしい。顧問同士が同じチームだったといううわさを道中に聞いた。
相手は県大会常連ということもあって、うちは序盤から窮地に立たされてしまった。顧問の顔が険しいし、コートの中の選手は段々と声が小さくなっていく。私たちは届いているのかわからない声援を上げる。
結局相手の速いテンポの攻撃についていけないまま、第一セットを取られた。顧問はいらだちを隠せずに選手に怒声を浴びせていて、私と小森さんまで震えてしまった。
雰囲気最悪なまま始まった第二セットの中盤、大祐君が試合を中断した。エンジンらしいものを組んで、何やら作戦会議をしているのだろうか。ベンチメンバーは会話の内容を充てるゲームが始まる。
特に何か声を出すわけでもなく元のポジションに戻ると、試合が再開した。しかし、ここからうちのチームの動きはかなり変わった。
ベンチから見ててわかるぐらいに、選手同士の声掛けが多くなった。大祐君や照沼先輩のようなレフトやリベロは当然なんだけど、一番意外な選手が声を出している。
「レフトマーク。クロス」
ほかの選手に比べれば小さいけど、男子にしては少し高い声がコートの中でよく通る俊君の声。普段はチームを盛り上げる声に少し同調するぐらいの彼が、今日に限っては指示やマークについての声を出していた。
大祐君の声を皮切りに、試合の点数も動いていく。まずは俊君と照沼先輩が相手の速攻攻撃をシャットアウト。そこからは相手の攻撃を読んでブロックからこっちのスムーズな攻撃で連続得点。あっという間に点差は縮まっていく。
「これは勝てる」
「いや、どうだろうね」
私の独り言に対して、反論する声が隣から聞こえた。
「確かに今は調子がいいけど、相手はまだ切り札は使ってない。それに、氷の彼がベンチに下がったらブロックも弱まる。それまでに勝負できるか、相手の切り札に対応できるか、まだ読めないね」
歩くバレーの辞書とでも言いたくなるぐらいに丁寧な解説をしてくれるのは小森先輩だった。先輩の言葉に少し委縮していると、先輩が私の肩をたたいた。
「だからこそ、ここからの応援が大事なの。ほら一緒に声出すよ」
小森先輩がすぐにベンチメンバーの声援に乗っかった。それに合わせて私も少しだけ笠間市する。今ならコートに届きそうな声を。
試合は一進一退を重ね、お互いにサイドアウトを取り合う展開が続く。どちらが一歩前に出るかという息をのむような雰囲気を先に壊したのは相手だった。
大祐君のアタックミスでサイドアウトを取られてからの、ジャンプサーブがライン上のサービスエース。23:24の一番精神的にきつい点数になってしまった。ここぞとばかりにベンチ全員が声を張り上げる。コートの中では大祐君が一本カットをうたっている。
高校生としては速いジャンプサーブで狙われたのは、照沼先輩だった。フライングしながらもボールは柄も見えないぐらいの回転をしながら真上に上がった。セッターがボールの真下に走りこむ。
「レフト!」「B」
大祐君と俊君がお互いにトスを呼ぶ。どっちにトスを上げるのか。
セッターが選んだのは大祐君だった。アタックラインあたりから、レフトのネット際に大きなオープントス。誰もが大祐君のスパイクに希望を載せる。
ブロックは二枚。クロス側をしっかりと閉めている。外側から切り込んだ大祐君のスパイクは体を大きくねじったストレート。これは決まった、とだれもが思った。
ドンっ
鉄球が壁に当たるような重い音と、人体の水の音が響く。相手のリベロは満面の笑みとともに完璧なフォームで大祐君のスパイクをレシーブした。
あっという間の速攻ゼロポイントスパイクは誰一人として触れることができなかった。
結局今日の一番よかった試合はダイにセットで、それ以降はある程度の点差をつけられる結果となった。顧問は収穫の多い試合だったとは言うけど、勝ちきれなかったのが悔しそうだった。
練習試合の帰り道、一年生は自分たちの音物に加えてランチャーやボールなどを準備するので先輩たちよりもだいぶ帰りが遅い。だから一年生だけの塊で駅に向かう。
「今日の第二セット惜しかったよな~」
「いい試合だったね」
あれだけ運動したのにまだまだ元気な大祐君の振り返りに返事をする。
「最後、佑月のブロックが間に合ってれば行けたんじゃない?」
ベンチでただ見てただけの大和田君が持論を投げる。
「あんなチャンスボールじゃ間に合わねぇ」
誰もが予想しなかった俊君の声がした。そもそもこの集団に一緒にいたんだという驚きの顔をみんなが俊君に向ける。いつも通り不機嫌な俊君の声が彼らを制する。
「お前らもまだ体力あるならちゃんと試合で出し切れよ。後大祐はコース読まれすぎ」
冷たい空気が耳をなでるように、俊君の声が鼓膜を揺らす。その冷淡な声に、そのあとは誰も口を開かなかった。
「今日は晴翔さんも一緒に帰るんだよな?」
駅に着くと大祐君が私に聞いてきた。普段はア電車を使わない私は交差点で別れてたけど、今日は一緒の電車で帰る予定だ。
「そうだよ。こういう時でしか」 「いや、晴翔はちょっと予定があるから」
私の答えに俊君が声を重ねてきた。しかも私の全く知らない話を。
大祐君も私も大和田君たちも疑問視が顔に浮かんでいたけど、電車がもうすぐ来るからと言って、彼らはホームへ走りこんでいった。改札前に二人で取り残されて、誰もいなくなってから俊君に聞いた。
「それで、私の予定って何?」
皆で帰れると思ってた私は少しだけ不機嫌に彼に聞いた。俊君は少しバツが悪そうに答えた。
「えっと、今日この後暇?」
はぁっと口からため息がこぼれる。俊君のこれからいうであろう言葉を予測して、話をせかした。
「暇だし時間はあるしお腹もすいてるよ。それと確かこの近くは」マックもゲーセンもあるよね」
「じゃあマック行こうか。」
嬉しそうに私に提案すると、隣の駅ビルにあるフードコートに向かった。仕方なく彼についていく。まあ、普段の俊君は一緒にいても悪い気はしないけど。
マックに着くと私を二人席の片方に座らせて、注文をしに行った。俺が完璧なものを選ぶなんて豪語してたけど、何を注文するのか不安と楽しみが入り混じる。
しばらくして彼が持ってきたのはハンバーガーの包み二つとLポテト、それにナゲット15ピースだった。
「晴翔さんのハンバーガーはこれかなと思ったんだけどどうかな」
そういって私に渡したのは見慣れない紙に包まれたハンバーガーだった。期間限定のものかなと思って開けてみると、出てきたのは
「月見バーガー?」
少々時期遅れな気もするけれど初めて見た月見バーガー。バンズに挟まれているのは何の肉かわからないパティとお月様に見立てらえたゆで卵。それにベーコンが乗っている。
「期間限定だし、月はきれいだからさ。」
私が月見バーガーに見入っているそばで俊君が解説する。ありがとうとだけ伝えると、俊君がハンバーガーを取り出すのを待った。彼は好きだからと言ってフィレオフィッシュらしい。顔を見合わせると、二人して食べ始めた。
何とも言えないマックの味が口の中に広がる。バンズの小麦の風味も、ベーコンの脂身も、ゆで卵のトロトロな黄身も、謎に包まれたパティも。独特なソースと絡み合って、ここでしか味わえない青春を生み出しているようだ。
あれだけの大きさがある月見バーガーも、部活後の疲れた体ならすっかり胃に収まってしまった。ちょっと食べるの速かったかなと思って俊君のほうに目をやると、すでにポテトに手を伸ばしていた。律儀にケチャップをつけて口の中に放り込んでは咀嚼する。私と目が合うと、ちょっと笑った。
「ナゲットもポテトも適当に食べていいよ。」
そういいつつ、あからさまに私のほうにナゲットの箱を渡してきたのに、ポテトの箱の口は俊君のほうを向いている。仕方なく、ナゲットを一つとると、ソースに付けてからいただく。
えーっと、このソースは何味なんだ?ハワイアンといえばそんな気もするし、メキシカンといえば納得できる味。フルーツの甘味と舌がしびれるからさが混ざった不思議な味。それもなぜかナゲットにマッチしてしまうのが恐ろしい。ナゲットを飲み込むと、俊君に聞いてみた。
「このソース、何味なの?」
いまだにポテトにとらわれていた俊君は、私が持っているほうのソースを指さして答えた。
「確かトロピカルカレーかな。こっちは普通のタルタルだったと思う。」
言い終えると、今度はポテトを私のソースに付けて食べて、あってるといった。
何とも不思議なチョイスをする人なんだなぁと思って俊君を少し観察する。身長の割に座高が意外と低い。20cmぐらい違うはずなのに、座っているとあんまり見上げなくて済む。
身長の割に小顔で、スポーツ青年らしい短い髪型。細い目に漆黒と深淵を織り交ぜたような瞳。私より長そうなまつげがちょっとむかつく。すらっとした小鼻に手入れを怠っているのがわかる唇。それにしても、一切肌荒れがないのは男子としてはすごい。
ボーっと彼の顔を眺めていたら、急に口元に何かが侵入を試みた。
「何す…」
口を開くと同時に、気ちゃぷ付きのポテトが私の口に入った。口の中に塩とケチャップの甘味と揚げたての油が広がっていく。にやにやと笑う俊君の右手が私が加えてるポテトから離れた。
食べ終えると、俊君に文句を言う。
「何してんの?」
俊君はさっきの笑みを崩さずに、でも少し頬を赤くしながらいう。
「ボーっとしてるなぁと思ってね。」
それから私たちは残されたポテトとナゲットを食べつくした。高校生二人のお腹はブラックホールのように何でも食べれてしまう。俊君からかわいくないって思われそうだなっと頭をよぎったけど、今更かなと思った。
マックを出ると、俊君とゲーセンに入った。音ゲーが好きだという俊君の隣で音ゲーをしたり、取れそうなプライズゲーに挑戦したりした。まあ高校生のお小遣い程度で取れるプライズは駄菓子ぐらいしかなかったけど。
遊びつくしていると、秋の夜は早くやってきてしまった。もうそろそろ帰ろうかと私が言うと、俊君は最後にと言って私を駅ビルの上階に連れてきた。私の質問すら無視して入ったのはチェーン店のカフェ。ガラス張りの窓だから外の夜景が見えた。ふと気が付くと、俊君は店員さんにいくつかの注文を済ましていた。
「それで、なんで連れてきたの?」 一切何も明かさない俊君に振り回されて少し疲れた私は少しだけぶっきらぼうに聞いた。俊君は私に何を言うわけでもなく遠くを指さした。それは夜景に浮かぶ満月。
さっき食べた月見バーガーよりも大きい本物の満月。秋の濃紺の夜空にただ一人うすら黄色く佇まうその姿は堂々たるものだった。
いや、俊君の意図が結局わからないな。どういうことだろうかと彼に向きなおる。すると、俊君はうっとりした表情で私に聞かせた。
「月が綺麗だね」
より大きな疑問符が私の中に浮かぶ。何を言うのが正解なのかわからない。そもそも俊君の言葉の意味が理解できない。聞き返そうかと思った。
頭にわずかな記憶がよぎる。そういえば、美雪が昔こんな話をしたことがあったっけ。どっかの文豪の和訳で同じセリフが告白になるっていう話。桃花と私はその言葉を知らなかったからあの時は笑ってたっけ。
いや、本当にその意味で言ったんだろうか。それともただ単にここが月がきれいな場所で連れてきただけかもしれない。とはいえ無粋な答えして空気を悪くするのも申し訳ない。
横目に俊君のほうを見ると、なんだか少し泣きそうな顔をしているのが見て取れた。そこでようやく私はさっきの言葉の意味を確信した。多分世界で一番意地悪な答えかもしれないけど、せめてもの思いでこう添えた。
「もう少ししたらもっときれいになるよ」
言い終わると同時に俊君のほうに振り向いた。彼は涙ぐんでいた目元を少し抑えると、作り笑いをして見せた。心の中で彼に詫びながら、コーヒーが届くのを待つ。
まさにその時を待っていたかのようにウェイターさんがコーヒーカップを二つ届けてくれた。届くなり、彼は一口飲んで緊張をため息とともに吐き出した。私も彼に倣う。
この絶妙な空気を破ったのは、またしても彼だった。
「全然違う話だけどさ、俺のシューズ大丈夫だった?」
「あ~あれね。大丈夫だったよ」
「それならよかった」
とりとめもない会話が弾むわけもなく、何度でも沈黙と交差する。その中で彼のことを見ながら自問自答する。私は彼をどう思っているんだろうか。
好きか嫌いかで言えば、好きになるのかもしれないけれど、付き合うかと言われたらわからない。何か温かい気持ちを抱いているけれど、それが恋と定義するには心もとないような気がする。恋愛を捨ててバスケに打ち込んだ中学生だったから、人を好きになるという気持ちがわからない。
とはいえ、断るのも申し訳ないと思う。べつに悪い気がある人ではないのはわかってるし、一緒にいていやになることはない。それに、付き合っていくうえで好きになるっていうこともあるらしい。
頭の中がこんがらがって、今まともに呼吸できているのかすらわからなくなってた時、私の思考を呼び戻す存在が現れた。
「こちらパンケーキになります」
そういってウェイターさんはパンケーキがのったプレート二枚を私と俊君の前に一枚ずつ置いた。パンケーキの卵の香りとメープルシロップのさわやかな甘い香りが食欲をそそる。
「俺のおごりだからさ。」
そういうと、俊君はナイフとフォークを手渡した。甘いものでも食べたら思考がまとまるかもしれないという、甘い思考に流されてせっかくだからいただくことにした。
「いただきます」
そういうと、パンケーキにナイフを差し込む。近年はやっていたスフレというやつなのだろうか。ナイフで切ろうとすると、スポンジのような弾力が少しある生地が少し切りにくい。フォークだと簡単に刺さる。
メープルシロップを掬うように少しつけて口に運ぶ。瞬間感じたことのない触感が口の中ではじけた。ふわふわした記事が口の中でほろほろと崩れ落ちていく。柔らかい甘みが口の中を満たすと、幸せな心地になる。思考まで幸せに満たされる。
まあ付き合ってもいいんじゃないだろうか。付き合えばだんだんスキが分かるようになるかもしれないし、一緒にゲームできる人なんて早々いないはず。それに秘密を話してしまうぐらいに安心感のある人なんだ。
「月、綺麗だね」
パンケーキの食べ終わりにぼそっと伝えた。その一言で俊君の表情は暗雲が去った後の太陽のように変わった。それでも、変わらないふりをしてパンケーキをを口に頬張った。少しもどかしいような、それでも心地いい沈黙が場を満たした。
結局それ以降特に話をすることもなく、私たちは別の電車に乗って帰った。ただ、電車に乗ったころに俊君からメッセージがきた。
「付き合うってことでいいんだよね?」
私は少し返事を考えてから、送信ボタンを押した。
「もちろん」