「相手フェニックス、ロー」
ヘッドセットのマイクにいらだちを隠した声で戦況を告げる。自分の不甲斐なさも勝てないことへのストレスも手元の水で飲み干す。
昨日の約束を果たすために、久しぶりにパソコンデスクの前に座りオンラインゲームを潜っている。しかも通話ありで。
「OK 残り倒してくる」
冷淡な俊君の声がまるでゲームのキャラクターがしゃべっているかのように聞こえる。多分ここも俊君なら勝ってくれるだろうと思って、少し画面から目をそらす。
昨日はあの後家に帰ってから疲れでそのまま眠ってしまった。お母さんの夕飯の準備は忘れたけど、結局朝帰りして、ひと眠りしたらすぐに仕事に戻っていったらしい。仕事が忙しいというけど、実際は何をしているのかわからない。
「俊君、やっぱ強いじゃん」
「晴翔さんが削ってくれたからだよ」
部活の時にチームメイトにかける声とは違い、優しい彼の声が逆に心をえぐる。
「まさか、私よりもプレー時間短いのにランクが上だとは思わなかったよ」
「まあまぐれだよ」
不登校期にこのゲームもそれなりに遊んでいたから、私のほうが強いと慢心していたらこの戦績だ。こんなことならもっと練習したゲームにすればよかったと後悔する。
「私のせいで負けたらごめんね」
「今のところは勝ってるし大丈夫でしょ」
さわやかにそう言いながらも、俊君はキル数を稼いでいく。彼の足手まといにならないようにとサポートしてるはずなのに、いつの間にか倒されてため息が出る。
五人制爆弾設置型FPS
オンラインで集まった十人のプレイヤーが二つのチームに分けられて、片方は指定された場所に爆弾を設置し、他方はそれを阻止する。昔ながらの王道スタイルのゲームだ。
チームにたった五人しかいないということは、一人の足手まといが命取りになる。三か月間毎日プレーしてたからそれぐらい知ってるのに、何の役にも立てない自分がもどかしい。
結局チームメイトがこのラウンドも取って、マッチポイントになる。
「これ勝ったら一休みできるね」
「そうだね」
通話越しでも俊君がお化け屋敷の後のような表情をしているんだろうなというのがわかる。雰囲気を壊さないようにと思っても、投げやりな返事になってしまう。
最後ぐらい頑張らないと。自分の頬をたたいて自分にげきを入れる、爆弾を設置する場所に突き進んでいく俊君のキャラクターを追いかける。
私は味方が持ってきてくれた爆弾を設置して、起爆まで耐えられる位置に移動しようとした時だった。
「やべっ」
画面の左上に俊君が白い文字が走る。
「え、待って。もしかして俊君負けた?」
まさかと思って聞いたら、落ち込んだような俊君の声がする。
「ちょっと突っ込みすぎちゃった。まあ晴翔さんならきっと勝てる」
部活の姿からは信じられないほどおだててくれる俊君に少しあきれてしまう。チームのエースが倒されて、足手まといともう一人のプレイヤーしか残っていない状況。どうやったら勝てるビジョンが見えるのさ。
「このラウンド、キープしてもいい?」
「いや、戦いなよ。俺指示するから」
そういうと、私に細かく指示を出す。罠の仕掛け方、見るべき場所、視点の高さ。私が適当にやってきた一つ一つを丁寧に調整し、戦える状況を作り出す。
「あとは敵が見えたらクリックするだけ。頑張って」
「…頑張る」
弱気な私を戦闘用機械人形のように操縦してくれたんだから、最後ぐらい勝ちたい。心ではそう思いつつ、理性は勝てないだろうなぁと見込んでいた。
爆弾起爆まであと十秒ぐらい。そろそろ敵が来るだろうかと思った時、ちょうど画面の中央に敵の姿が映る。俊君が何かを言う前に、私の指は動いていた。
「ナイス!」
耳元で俊君の声がする。画面いっぱいにVICTORYの文字が浮かび、キャラクタの決め台詞が流れる。
「おぉ~」
戦ったはずの自分のほうが驚いてしまった。いわれたとおりに敵の姿が写った瞬間にクリックボタンを押しただけだったのに、こんな仰々しい演出が響く。
「流石晴翔さん。勝ってくれると思ったよ」
「俊君が調節してくれたからだよ」
口ではそう言いながらも、ただのコップに入った水が勝利の美酒と思えるぐらいには私はうれしかった。勝てたことよりも、俊君の役に立てたことが。
「俺がやったのは簡単なコーチングだけだから」
どこまで行っても謙虚にしている俊君に少しだけ嫌気がさした。
「もう少し自信持ちなよ。勝てたのは俊君のおかげなんだから」
そうかなぁ、と言いながら水を飲んでいるらしい音が耳元でする。
「ちょっと次の試合はいるまで休憩しようよ。晴翔さんもつかれたでしょ」
私の無言を承諾とみなした俊君は、驚くほど上機嫌で話す。
「初めて人と通話しながらゲームやったけど、これ最高に楽しいね。勝ったらうれしさ倍だし、負けても味方に託せるからストレス少ないし」
「確かに、誰かと通話しながらゲームやるのって意外と楽しいね」
「晴翔さんもやったことなかったの?!」
仰天したといわんばかりに驚く俊君に、ちょっとムッとしながら答える。
「ずっと一人で遊んでたのよ。女子でこういうゲームやる人少ないし、人の多い時間帯じゃなかったからね」
「人の多い時間帯じゃない?」
俊君の疑問符に、さっき言った言葉を後悔する。一種の諦めの入った声が自分の口から響く。
「もとは不登校だったの。夏休み明けから学校に復帰したんだけど、それまでは日中もずっと遊んでた。でもそんな時間帯に同年代の人なんていないからさ。」
高校の居場所を失った私が親にうそをついてゲームを始めた六月。部屋の静寂も暗闇も怖くなって、朝とも夜とも知れない時間にカップ焼きそばをすすりながら画面に浸った夏休み。この画面越しの現実逃避の記憶が次々と頭に浮かんでは消える。
「あの頃のゲームは私にとっての最後の逃げ場所だった。話すことはできないけれど、確実に中身のあるキャラクターたちがいる空間が心地よかった。」
こんなに楽しくはなかったけどね、と付け加える。
「じゃあ、楽しい思い出で塗りつぶしちゃおうよ」
歯の浮くようなセリフを軽々と言ってのける俊君の言葉が、あながち不可能のようには思えなかった。
「そうなるといいね」
マイクに届くか届かないかの声。聞こえなかったらしい俊君は話題を変えた。
「そういや、この時間帯まで遊んでて親御さんは大丈夫?」
「大丈夫。お母さんはどうせ今日も遅いからさ」
パソコンの右下の時計に目をやると、21:47と表示されている。確かに普通の高校生なら文句を言われかねない時間帯かもしれない。
「じゃあ、ちょっとのんびりしたゲームでもやらない?少し疲れちゃった」
「賛成~」
俊君のことだからもっと遊ぶのかと思ったけど、部活後だからさすがに疲れてるらしい。私はすでにさっきの試合で限界だったので安堵が心を埋め尽くす。
俊君が提案したゲームは一昔前に流行った島での生活を体験するようなゲーム。一度入れてみたけど私はあんまり楽しめなかったゲームだった。
「このゲームってどうやって遊ぶのが正解なの?」
彼なら知ってるんじゃないかと思って聞いたが、帰ってきたのは想定外のものだった。
「遊ぶってより、雑談しながらする程度のものだと思うよ。こんなふうにさ」
海岸沿いに立っていた彼は、いつの間にか釣り糸を垂らしていた。よく理解できないまま、彼に倣って私も釣りを始める。まるで釣り好きの二人が偶然釣り場で出会ったかのように。
「部活どうしよっかなぁ」
潮風と波の音と木々のざわつきの一部のように彼の声が無人島で響く。無意識のうちに返事をする。
「なんか嫌なことでもあるの?」
「まあ、いろいろとね」
詩人が風に語り掛けるように、ミュージシャンが駅前でギターを弾くように、彼の声も波に乗る。
「バレーボールそのものは好きでも、嫌なことはいろいろあってさ。晴翔さんに分かるかはわからないけど、センターってつらいんだよ。うまくなればなるほどね。」
私には彼の言葉は理解しかねて、彼の言葉を待つ。
「リベロと交代してベンチにいるときは無力なんだよ。強くなるほど、負けるのはいつも自分がコートの外の時。」
「確かに…」
最近の練習試合を思い出してみても、負けた時は俊君はコートの外にいることが多かった。冷静にコートを見つめていた時にそんなことを考えているとは思わなかったけど。
「まあそれ以上に、大祐との仲が悪いから。次期キャプテンと仲が悪いのはさすがにね」
「それは何とかならないの?」
「難しいと思うよ」
二人の声は海水に吸い込まれる。突然の俊君のから笑い。
「ちょっと暗い話になっちゃったね。少し違う話でもしようか。」
ゲーム上のキャラクターは眠そうな顔をしながら海を見つめているけど、中身はどんな顔をしているのかはわからない。
「晴翔さんの親御さんはどんな仕事してるの?」
「お母さんは保険会社で働いているはずだよ。最近は怪しいけどね。」
そこまで言って言葉を区切る。波風が沈黙を継続させる。嫌な沈黙が壁のように私の肩にのしかかる。
「お父さんはもう死んでるんだ。私が四歳の時にね」
波が沈黙を運んでくる。私の言葉を藻屑のように飲み込んではさざ波を立てる。俊君のキャラクターは引っかかった魚を取り逃がした。
「この話を知ってるのはほとんどいないから、ほかの人には言わないでね」
「もちろん」
ふとこのことを知っている人の数を数えてみる。おばあちゃんたちは知ってるとして、あとは中学時代の親友が一人、美雪と桃花も知ってる。あとは、あの四人か。これで12人目なのか。
「まあ、もう十年以上前のことだからもう慣れちゃったけどね。」
潮の香りが漂う。それはきっと偽物じゃない。まぎれもない塩分の鼻をくすぐる香りと、一縷の涙が頬を伝っている。
「…そうだったんだ。なんかごめんね」
「いや、そんなことはないよ」
重い空気が漂う。この空気から解放されたいのに、お互いに言葉を発せないでいたとき
バシャッ
唐突の水音に驚くと、私の画面には先ほどとは違った画面が表示されている。
「お~レアな魚釣れたじゃん?」
「これ、レアなの?」
どうやら、私のキャラがシイラという魚を釣り上げたらしい。俊君曰くそれなりにレア度は高いらしいけど、わからないので俊君にあげることにした。
それから私たちはもう一回だけオンラインゲームに戻って試合をした。今度は私もそれなりに活躍できたので、二人の間の空気は晴れ晴れとしたものだった。
「今日はこんな時間までありがと」 「こちらこそ、楽しかったよ」
私の言葉を皮切りに、俊君が通話から退出した。今度は本物の静寂が私の耳元を襲った。彼とゲームしたのが楽しかったせいか、一人でゲームをしようという気にはならず、明日のために課題を終わらせることにした。
なんで俊君に話したんだろう。私の中で大事な秘密を彼の前だと簡単に心を許してしまう。まさかお父さんのことを話しちゃうなんて思わなかった。
「どうしてるんだろ、今日の私」
なんとなく少し頬が熱いような気もする。まあ、ゲームに熱中して頭に血が上ったのかな。
美雪から課せられた課題をこなしながら、頭が冷えるのを待っていた。