五話目

じゃあ、ここでお別れだね」

 いつもの教室は使われていたので、今日は文化祭限定で空いていた屋上で三人でお昼ご飯を食べ終えた時に、桃花が言った。

「お別れって?」

 小首をかしげると、美雪がいつもの紅茶を飲んでから答えた。

「私はこれから弦楽器部の発表準備があるの。桃花はこの後はクラスの友達と回るみたいだから、午後は三人でバラバラって話、したはずよ」

 そういえば三人の勉強会でそんな話があったような、なかったような。記憶の隅を探るも、確信を得られない。代わりに、ある意味機器かもしれないということに気づかされる。

「あ、そっか。そしたら午後は二人以外の人と回らなきゃいけないんだ。」

 何を当たり前なことをとでも言いたそうな顔で美雪が私を見る。そんな顔をしなくてもと思ってしまうが、口には出さないで置く。

「あなた、もしかして何も考えてなかったの?」

「ま、まあね」

 急にかゆくなった頬を人差し指で掻きながら答える。二人が口を真一文字に結んで顔を見合わせた後に、桃花が私に向きなおっていった。

「まあ、この機会なんだし、クラスの人たちととかと回ってみたらどう?仲良くなれるチャンスだよ」

 いや、文化祭ってもともと仲いい人たちが一緒に回るものじゃん。口から出かけた言葉を飲み込んで、二人を心配させないようにする。

「そうだね。クラスで話せる人も増えたから、頑張ってみるよ」

 私がそういうと、安心した二人はそろって屋上から戻る階段に向かって言った。二人の後ろをついていきながら、誰に話しかけたらいいんだろうと思案を巡らせる。

 クラスの人とは言っても、男子はほとんど話したことがない。女子の中でも話せるのは数人だけど、彼女らもきっと誰かと一緒だ。一番安心して話せるのは部員ぐらいだろうか。

 最初に美雪が音楽室のある階で離れ、そのあと桃花も一年生の教室の一つ上の階で去っていった。一人ぼっちになってしまった私は、午後の部が始まるまでのタイムリミットで一緒に回れる人探しが始まった。

 まずは自分のクラスに戻ってみたけど、どうやら忙しそうにセットの直しをしていた。お化け屋敷で驚きすぎて壁を蹴ったり、仕掛けを壊してしまうお客さんがいたらしく、その修正をしていた。その中を見回してみるも、話せそうな女子はいなかった。

 クラスを出て廊下をぐるぐると移動する。誰かいないかなときょろきょろとあたりを見回していると、何やらこちらに向かってくる集団がいる。

「また会ったな。奇遇じゃん」

 大祐君達だった。相変わらず個性的なTシャツに、今度は何やらプラスチックのカップを手に持っている。

「それなに?」

 ストローが付いているそれを指さすと、ちらっと視線を移してまた私を見る。

「小森さんのところで売ってたタピオカミルクティーだよ。部員価格で売ってもらったんだ~」

 大祐君が話している横で、大和田君はおいしそうにストローに吸い付いている。案外流行りが好きなのかな。でもちょっと遅いよと心の中で語り掛ける。

「それより、さっきの二人はどうしたの?」

 大祐君は、私の横の仮想の二人を見回しながら言った。

「二人はそれぞれの用事でいないんだよね」

 話しながら、彼らと一緒に回ったらどうだろうかという想像を膨らませる。大祐君の一存で先輩の教室を回らされる姿を想像して、ぶんぶんと頭を振る。それに、男子と女子じゃ趣向が合わないだろう。

「じゃあ俺らと一緒に回る?」

 大祐君が自分の背中を親指で刺してにかっと笑う。スパイクが決まった時にする豪快な笑いともまた少し違う笑いだった。

「いや、大丈夫」

 そっかぁと残念そうに言いながら、大祐君たちは去っていった。一緒にいても面白いかもしれないけど、なんとなく疲れるような予感が勝ってしまった。

 せっかくの誘いを断って、ほかの頼れる人を探しているとこのお祭りが一番似合わなさそうな人がいた。

「俊君」

「ん?」

 私が後ろから話しかけると、邪険な顔で後ろに振り向く。彼の瞳が私をとらえてもその表情は変わらない。

「どうした?」

 こっちのセリフだよと思いながらも、適当なことを言ってごまかす。

「午後の部まで暇だからぶらぶらしているだけ。それより、俊君は誰かと回らないの?」

 私が聞くと、右手で頭を掻きながら答えた。

「午前一緒に回ってた人が店番に回ったから、一人。まあ、やることもないからぶらぶらしてるだけ」

 なんか私と似たような状況だなぁと思っていると、彼の後ろから走ってくる人物がいた。その人は、満面の笑みで急に俊君の肩をつかむ。彼の視界に私が入ると、ぱっと俊君のほうを向いた。

「お前、これが噂のマネージャーさん?めっちゃ可愛いこじゃん。何こんな堂々と口説いてんだよ~」

 唐突なダルがらみに、いつもの俊君なら鋭い視線を指して端的に会話を切るだろうと思った。けど、俊君は明らかに作った表情で言った。

「別に口説いてねーよ。ようやくまともに話せるようになったぐらいなんだから」

 二人の会話についていけないでいると、謎の男の子が説明してくれた。

「こいつ、男子相手だと普通に話すのに、クラスでも女子とはほとんど話せないんだよ。それで、話せる女子いるのって聞いたらマネージャーなら話せるっていうから一時期話題になったんだぜ~」

 絶対弱みを握らせたくないタイプの人間だと一瞬にして悟った。俊君は左手で彼の口を押えて私に視線を向けた。

「こいつは俺のクラスメイトの橘 宗太郎。さっき言ってた午前中に一緒に歩いてた人物だよ」

 俊君の言葉を聞いて頭が混乱する。こんなに対照的な二人が一緒に文化祭を回っている姿なんて、部員の誰が想像できるだろう。そんな混乱をそっちのけに、橘君は口をふさがれながらもごもご言っていた。

「俊が女子と話してる~」

 とでも言ったのだろうか。部活では絶対に見られない俊の鎧を解いた姿を見ていると、笑みが漏れてしまった。笑うなよといいながら、俊君は拘束を解いた。

「橘は準備に行かないとじゃないの」

 俊君がそういうと、腕時計を確認した橘君はそれじゃと言い残してもと来たほうに去っていった。またも二人きりになった私たちは、お互いに何となくこの後を予想しつつもどちらも言い出せず、もどかしい沈黙が広がる。

「じゃあ、一緒に回るか?」

「そうしよっか」

 まさかの形で午後の文化祭を楽しむことになったけど、それもそれで悪くない気がした。

「まずどこいこうか」

 私たちはぶらぶらと一年生の教室を横目に見ていた。

「そういえば、俊君のクラスは何やってるの?」

 隣に立たれると少し上を見た程度では頭頂部が見えないので、少し無理な体制で見上げたのに、俊君はこっちを見ないで答えた。

「俺のクラスは展示系だな。トリックアートの展示をやってるよ。」

 そういうと、人だかりの廊下の途中でピタッと立ち止まった。急に俊君が視界から消えたので、焦って後ずさりして、彼をとらえる。無言で目の前の教室の看板を指さしていた。そこには

「技芸術の館」

 と一見すると何を書かれているのかわからない文字で書かれいてた。よく点と点を追いかけること何とか脳で処理する。

「ぎげいじゅつのやかた?」

 適当な読み方でその文字列を読み上げる。俊君は一つうなずいて、タネを明かす。

「トリックアートをただ和訳しただけだよ」

 なるほどなぁと感心している私を横目に、彼はつかつかと受付に歩いていく。急いでついていくと、受付の人と彼が話す声が聞こえてきた。

「クラスメイトなんだから受付しないで入っても別にいいよ」

「それじゃあかっこが付かないだろ」

「かっこが付かないって…」

 ちょうど受付の人と私の視線がかち合うと、天啓に打たれたような驚きをした。

「え、俊が女子を連れてる?」

「部活のマネージャーさんだよ」    ため息をつきながら説明するも、受付の日とはまるで聞いていないように周囲の人に言いふらし始めた。それから、俊の耳元に口を当てると私には聞こえない声で何かを言う。それに対して俊君は面倒くさそうに答える。

「別にそんなんじゃないさ」

 そういうと、受付の人はつまらなさそうに入館用の札を2つ渡した。その一つを私に渡すと、さっさと教室の中に向かって歩き始める。彼の大きな背中を追いながら声をかける。

「俊君て結構人気なんだね」

 振り向くことすらせずに、風に語り掛けるように言った。

「普通に仲がいいだけさ」

 人ごみをするすると進んで館に入っていく俊君を追いかけて一歩踏み入れようとした瞬間、私はたじろいだ。

「うわっ」

 足を踏み出そうとした先に、下の階につながる大きな穴があったんだ。急に重心を後ろに倒して倒れそうになる私の背中を細くてかたい何かが支える。

「ただのトリックアートだよ」

 背中に回されていたのは俊君の腕だった。穴を一切気にすることなく踏み出した俊君の足は、確かに見えない床とぶつかった。それに続いて私もようやく館に足を踏み入れた。

 館に入ると、執事のようなフォーマルな姿をした人物がそこにいた。

「ようこそ、ぎげいじゅつのやかたへ」

 たどたどしくしゃべる執事にすかさず俊君が突っ込みを入れる。

「ちゃんと喋れよ」

 名前が読みにくいんだよと言い訳をする声を聴いて、その人が先ほどの橘君であると理解する。眼鏡をかけて服装をかけただけでわからなくなる。

「こちらは館の主である佑月様が集めたトリックアートが展示されております。どうぞ楽しんでください」

 そういうと、執事はそそくさと壁の裏側に消えていった。

「佑月様って、俊君のこと?」

 私が思ったことをそのまま口に出すと、俊君は少し恥ずかしそうにした。

「この企画、提案したのが俺なんだよ。少しでも楽な企画がしたくてさ」

 そういう彼はつかつかと教室の奥のほうに進んでいく。教室は真ん中には机が置かれて、不思議な形の模型のようなものが並んでいる。両脇の壁には有名なトリックアートの絵から、見たことのないものまでさまざまに並んでいた。

 その中でも、一つ私の興味をそそる絵があった。それは、乱雑に線が書かれいて、ネズミがのたうちまわった痕か、さもなくば地面の枯れ枝のようで、ところどころに丸い空白がある。

「これは何?なんかの絵なの?」

 私が言うと、俊君は絵の隅にあった謎の黒い物体をつかむと、丸い空白部分にあてがった。最初は何をしているのかわからなかったけど、段々と絵の意味が脳で処理され始める。

「技芸術の館、って書いてあるの?」

 さっきまでわからなかった線は、もとは文字だったものを一部円でくりぬいたものだった。私がトリックを理解すると、俊君は少しうれしそうに「これは俺が作ったんだ」と言っていた。こんな姿、部活でも見たことないなぁと感心する。

 ほかにも展示には大きさが違うように見えて実は同じな丸とか、違うようで同じ色などのトリックアートが飾られていたり、工作した無限に続く階段などが鎮座されていた。しかもその半分ぐらいが俊君が考案したり作ったものらしい。

「面白かった~」

 一通り見終えて教室を出ると、少し人の流れが落ち着いていた。確か、午後は三年生の演劇があるからきっとそっちに人が流れているんだろう。だいぶ廊下が通りやすくなった。

 何かを思案している様子の俊君に私は一つ提案した。

「私の友達がこれから弦楽の発表するんだけど、一緒に来る?」

 私の提案を快諾すると、早速演奏のある会議室に向かった。もとはといえば、美雪から誘われていて、一番の特等席を用意しとくと言われたので楽しみにしてたんだ。俊君に断られなくてちょっと安心した。

 会議室に入ると、発表会は始まっていないけど弦楽器部の人たちはパイプ椅子に座って演奏の準備をしていた。楽譜を見ながらエアーで演奏する人や準備万端と堂々としている人に交じって紅茶を飲む美雪がいた。私に気が付くと、目くばせでこっちに来なさいと指図された。

  ステージの近く、客席の最前列まで行くと美雪に声をかけられた。

「一番前から二つ真ん中の席を用意していあるから、座っていいわよ。」

 言われた席を見てみると、美雪の私物の筆箱やお弁当箱が置かれている。美雪らしくない方法だけど、先輩との兼ね合いなんかも考えてくれたんだろう。それでも

「一番前の真ん中ってすごい目立つじゃん」

 と思ったことを言ってしまった。特にオーケストラを知ってるわけでもないのにと思ったが、美雪はわかってないわねと言いたげな顔をする。

「いい?真ん中の席が一番よく音が響いてきれいに聞こえるのよ。それに、前のほうが私のバイオリンは響きやすいの」

 お嬢様に熱弁されてしまった。まだまばらな客席の中で、最前列中央に腰かけると、隣に俊君が座った。美雪がステージから降りると、私の耳元に口を寄せて小さな声で言った。

「隣の人は誰なの?」

 一瞬楽観的に考えてから、状況の悪さに気が付いた。とはいえ、別に美雪が想像するような関係はないし、堂々と伝えることにした。

「部活の知り合いで同学年の佑月 俊君だよ。たまたまお互い午後一緒に回る人がいなかったから一緒にいるだけ」

 私が言い終えると、そうとだけ言って私の前を立ち去った。ステージに戻るのかと思ったら、隣にいた俊君に正対して話しかけていた。

「うちの晴翔がお世話になってます」

 どこかで聞いたことあるセリフを言って深々とお辞儀する美雪。何をしているのやらとみていると、俊君は動揺しつつも対応していた。

「あぁ、こちらこそどうもお世話になってます。」

 少したどたどしくも美雪にそう言うと、頭を下げていた。それを見て何かを察したらしい美雪はそのままステージに戻っていった。彼女が残して言った変な空気のせいで、私は俊君に話しかけられなくなってしまった。

 五分ほどすると段々と席は埋まっていき、ほぼ満席になった。私の後ろにはぎりぎりになって桃花がやってきた。彼女は一緒に回っていた人を置いて一人で来たらしい。まるで彼女を待っていたかのようにコンサートが始まる。

「それでは、弦楽器部の文化祭特別コンサートを開演します。」

 部長らしき人の開演の宣言の後に続いて、ステージにやや老齢の音楽の先生が指揮棒を持って現れた。ステージ中央に立つと、深々とお辞儀をする。

 指揮者の合図によって始まったのはヴィヴァルディの協奏曲、四季の「春」だった。目をつむってバイオリンの音に耳を澄ましていると、引き込まれるように目の前に世界が広がった。。

 暗雲立ち込める空模様、嵐の後の鳥の声、咲き乱れる花々の風音、そして羊飼いの陽気な踊り。ヴェネツィアの草原に訪れた春とその喜びがありありと目に浮かぶ。わずかな夏草の香りが漂ったところで、現実に引き戻されてしまった。

 気が付くと、耳元に響くのは弦の響きではなく、柏手の喝采だった。周りに調子を合わせようと。私も手をたたきながら、美雪に視線を送る。上手だったよと。

 それから合計四曲が演奏された。新世界交響曲、運命とパトへティック、最後にアンコールでジュピターを演奏してくれた。そのどれもが人を魅了する美しい弦の響きの重ね合わせで、学生の演奏とはとても思えなかった。

 演奏終了後、美雪に一言いいに行こうとステージに近づいた。しかし美雪は自分のバイオリンを丁寧にケースにしまうと、楽譜台と自分の椅子をたたんでそそくさと後ろのほうに行ってしまった。

「いい演奏だったね。」

 急に後ろから声をかけられた。

「桃花、びっくりさせないでよ。」

 私が振り返ると、私の想像する表情とは違う桃花が立っていた。演奏に感嘆したような表情ではなく、精一杯の作り笑い。どうしてという気持ちが私の心に浮かぶ。

「で、この人は誰なの?」

 さっと顔から血の気が引いて冷たくなる。そういえば桃花には俊君のことを伝えていあ人だった。どうしたらいいかな。

「えっと、まあいろいろあってね」

「部活で一緒の佑月 俊君だよね。どうしてこんな人と一緒になったの?」

 なんで桃花が彼の名前を知っているんだろうかと思っていると、まだ席に座っていた俊君と視線が重なった。申し訳なさを感じさせる。納得した私は、桃花に視線を戻す。

「クラスの人と回ろうと思ったけど、手が空いてなかったみたいだからやめたんだよ。それでたまたまあったから一緒にいるだけ。」

「あ、そう」

 おすすめはしないけどね、と言い残すと桃花は会議室を後にした。いつになく冷ややかな声が耳元に張り付いて、凍えそになる。

 呆然自失していた私の耳の氷を解かす人がいた。

「大丈夫?」

「大丈夫だよ。こっちこそ迷惑かけてごめんね」

 とっさに桃花のことを謝ると、手を横に振った。

「それだけ晴翔のことを大切にしてるんだろ。いいことじゃん」

 そういう俊君の目は現在に視点があってないように思えた。

 それから私たちは会議室を出て、適当に散策することにした。ついでに先輩たちのところにも顔を出そうということで、ついていくことにした。

 二年生の階に着くと、俊君が先輩の教室を探し始めた。文化祭とはいえ、先輩の教室に入るのには躊躇があるらしく、教室の窓から中を覗いている。

 私はその後ろから、おいていかれないように必死彼の後を追いかえる。群衆をかき分けながら、必死に俊君の背中を追っていると、まるで背中に保冷材でも当てられているかのような悪寒が背筋を駆け抜けた。恐る恐る振り返った先にいたのは

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