「ふわぁ」
大きなあくびをして眠い目をこする。確かさっきまでいつものアドベンチャーゲームのレベリングをしていたはず。今何体目だっけ。
「gameover」
画面いっぱいに表示されたゲームフェイルの表示が目に映る。まさかと思ってパソコンの時計を確認するといつの間にか4時半になっていた。
このまま寝なければ高校に遅刻することはないから胸をなでおろす。まだあと一時間ぐらいはのんびりとしていられる。
ふと自分の中に生まれた新しい感情を見つける。遅刻に対しての安心感なんてずっと忘れていたことだ。それだけじゃない。あの二人といるときの沈黙の安心、誰かとご飯を食べることの楽しさ、協力して何かを成し遂げる達成感。どれもいつの間にか忘れてしまった感情だ。
もちろん、燈子に対しての恐怖、足が竦んで動けなくなる時の焦燥感、カッターと屈辱。忘れておきたかった感情たちも呼び起こされてしまった。まるでパンドラの箱に詰まった希望と絶望のようだ。
数か月前まで起きている時間のほとんどをパソコンの前で過ごし、せかされるように何度も戦闘をして、朝を待つだけの生活をしていた。
「わかんないなぁ」
引きこもってゲームをしていたころと、学校に行って青春を謳歌する今、どっちのほうがいいんだろう。少なくとも今はこっちのほうが楽しいかな。
頭の整理がつかないまま、セーブからゲームを巻き戻す。昨日倒したはずの敵の経験値は失われてしまうけど、この失敗も帳消しにする。昨日の分と今日の分含めてタスクは山のようにある。
「ちゃっちゃとやりますか」
操作キャラに拳銃を持たせて試し打ちをしてから、敵キャラに照準を合わせた。世界の終焉を背負った敵の姿はおぞましいけど、銃を持った私に恐怖を与えるには足りなかった。
「…おわったぁ~…」
目標の千体撃破を成し遂げると、とてつもない疲労と達成感が体を襲う。両手を大きく広げてググっと体を伸ばすと、思わずあくびが漏れてしまう。まあ、まだ時間はあるから少し寝てもいいかな。
そう思って時計を見ると、驚愕の数字を表示していた。
「五時五十五分?!」
まだ朝ご飯も食べてないし、メイクもしてない。お母さんを起こさないといけないし、学校の支度をしないと。
とりあえず、お母さんの寝室にカチコミに行く。
「朝だよ!」
しかし、いつものような返事は帰ってこない。不安になって部屋の電気をつけると全く予期していない事態を視界がとらえた。
「お母さんがいない…?」
普段ならそこで寝ているはずの図々しい体がそこにはなかった。不安にあり、自分の部屋に置いてきたスマホを確認するも、特に何の連絡も入っていない。事故に巻き込まれた可能性は低いけど、事件に巻き込まれているかもしれない。特にあの人は日本語が下手だから…。
そんな私の思考を中断したのは、玄関から聞こえてきた憎たらしい声だった。
「ただいま。私、寝るから」
夜帰ってくる時よりは幾分か機嫌がよさそうな声を張り上げると、洗面所に向かった。状況がつかめず、思いついた質問をぶつける。
「なんで朝帰りなの」
「今日土曜日だから、遊んでもいい」
あまりにも適当すぎる答えに思わずため息が漏れる。お母さんの言葉の裏側が見えてしまって、これ以上踏み入ると自分が気分が悪くなると悟った私は、質問はやめにした。
「今日私の高校の文化祭なんだけど来るの?」
「行かないよ。寝るから」
なんでこんなにわがままな母親なんだろうか。立場が逆転しているような気もするが、仕方なく親を寝かせると、急いで朝ごはんのトーストを平らげた。それから、普段より少しだけ丁寧にメイクをして、かわいくなった顔を確認してから、美雪にメッセージを送る。
「いつもより少し準備が遅くなるかも。ごめんね」
送信ボタンを押すと、制服に着替えて荷物の準備をする。今日は文化祭当日だから授業はない。ただ動くことが多いから、メイクが崩れた時ように一式の道具は入れておいた。それから、文化祭のしおりや外部用のパンフレットを入れる。それと一応防寒用にマフラーを入れる。
何とか準備が終わると、玄関に向かう。いつもならもう二人が来ていてもおかしくない時間帯のはずだ。気になってスマホを確認すると、美雪からの返信が入っていた。
「桃花が夜更かしして寝坊したから、こっちも少し遅くなるわ。」
それを見て少し笑みがこぼれた。桃花も私と似たようなことをするんだと思うと安心してしまう。こういう時は境遇が似た桃花のほうが意識しているような気がする。
そんなことを考えていると、二人が玄関の前にやってきた気配がした。彼女らがインターホンを押すより先に、玄関の扉を押し開ける。
「おっはよ~」
二人を出迎えると、想像以上に涼しい風が私のそばを通り抜けた。思わず二人に抱き着いてしまった。美雪が少し渋った顔をしたからすぐに離れると、少し申し訳なさそうに言った。
「今日はだいぶ防寒着を着込んでるの。だから抱き着かれると少し暑いのよ」
反対に桃花は私が抱き着くとむしろうれしそうな顔をした。
「寒かったからちょうどいいよ。人間湯たんぽみたいだね」
祭りに向かう三人の足取りは軽い。私の学校の生徒だけ夢の国にいるような様子なので、簡単に見分けがつく。せっかくだからと私たちもお祭り騒ぎに調子を合わせれば、いつの間にか気分も騒がしくなる。
教室に入ると、私たちよりも一足先に来ていた生徒たちが忙しそうに作業をしていた。その様子を見て、私は疑問を呈する。
「昨日全部準備したはずじゃないの?」
「発表会とか文化祭は直前になってミスが見えてきた李失敗するものなのよ。」
「そうそう。この忙しさも楽しいじゃん?」
わかっていたかのように二人は準備の手伝いに入った。私も追いかけるように加勢する。すると、昨日自分が用意したはずの仕掛けがうまく機能しないことに気が付いて、無理やりガムテープで修正していると、彼女らの言葉が分かったような気がした。
いくつかの仕掛けは機能しないままだったけど、なんとか文化祭の始まりには間に合った。放送で教員や実行委員会から説明がなされている間、クラスからは達成感にあふれる声やお祭りのお囃子のような声を出すものもいたが、すぐに先生に鎮められていた。
「それでは、文化祭を開催いたします」
実行委員長による合図によって文化祭の火蓋は切って落とされた。
「流石文化祭ね」
一緒に店番をしている美雪がそうこぼすのも無理はない。メイドの格好をしている男たち、宣伝が貼られた看板を持って歩く人たち、部活や友達と集まって店を回る客、廊下は多様な人たちであふれかえっている。
「というかなんで私たちが店番やってるの?」
本来私たちは前準備ですべて終わったという予定だったのだ。しかし発表直前になって三人が最初の店番をすると美雪から伝えられた。
「今日これなくなった人がいたからよ。それにこういうことも楽しいでしょ」
意外にも、美雪は心底楽しそうな表情をしながらお客さんたちを次々とさばいている。
「美雪ってこういうの苦手だと思ってた」
「私だってこういうお祭りごとは好きなのよ。普段は騒がしいのは苦手だけれどね。 あなたは口より手を動かしたら?」
美雪が流れるようにやってくる人のダムとして入場料をもらい懐中電灯を手渡す。私はその人数を計りながら次のお客さんを入れるタイミングを伝える仕事をしている。前のお客さんが仕掛けの前を通ったら、桃花が壁をたたく事でタイミングをとっている。
文化祭のお化け屋敷は多くのクラスが実施しているのでお客さんの取り合いになるはずなんだけど
「美雪、ちょっとお客さん多すぎない?」
隣の教室に及ぶほどに並んだ人たちを捌き切るにはあと2時間はかかりそうな気がする。それでもどんどんと人が並んでくる。桃花も少しでも早いタイミングで壁をたたいているみたいだけど、前のお客さんが見えないように絶妙な距離を保っている。
「ここで並ぶのを止めさせてもらいます」
列の後方から声がした。プラカードをもってこれ以上列ができるのを防いでいるのはクラスの人だ。それを聞いてほっと胸をなでおろしていたが、壁の裏の桃花は不服そうに言った。
「もっと稼げたかもしれないのに」
「捌ききれなかったらしょうがないでしょ」
壁越しに会話をしているのがばれたらお客さんたちを幻滅させそうな気もするけれど、祭りの喧騒の中ならこれもお囃子に聞こえるかもしれない。
列が増えなくなったので、ようやく終わりが見え始めた時だった。
「お、ここは晴翔さんのクラスがやっているところなんだ。」
それに続いて複数の挨拶が耳をかすめる。顔を上げた先にいたのはいつもの彼らだった。
「大祐君に、その取り巻きじゃん。来てくれたんだ」
「取り巻きってなんだよ」という大和田君の声を無視して、大祐君はなぜかにやにやしながら話をつづけた。
「この文化祭で一番怖いお化け屋敷がここだって聞いて、一緒に行ってみようという話になったんだよ。」
「一番怖いお化け屋敷?」
小首をかしげた私に、知らなかったのと言いたそうな顔をする部員たち。
「始まってすぐにここが一番怖いって噂になったんだよ。なあ」
大祐君の呼び声に呼応する大和田君たち。気が付けばそこに俊君の姿はない。まああれだけ不仲だったら一緒に回らないのだろうか。
「晴翔、後ろの人がいるんだから早くしなっさい」
彼らが来ていた変なTシャツも突っ込みたかったが、美雪から叱咤を受けてしまったので、やむなく彼らを教室の中に案内した。次のお客さんの相手を終えた美雪に話しかける。
「ここが一番怖いお化け屋敷って噂らしいよ」
聞いてたわよ、といってすべてを見通したように語る。
「誰かがうちのクラスを繁盛させるために噂を立てたんじゃないかしら。私が入れないくらいには怖いわよ」
私と話しながらもまた次のお客さんをさばいていたので、急いで数取り機を押す。私は自分で入ったことはないので作品の出来はよくわかっていないし、怖がりな美雪だから入れないのは当然な気がする。口には出せなかったけど。
ようやく九時を回った時、次の店番担当の子たちが現れた。
「ここからは俺たちに任せとけ」
「店番ありがとね~」
スムーズに私の手か数取り機を回収すると次のお客さんの対応を始めてくれた。美雪は丁寧にお客さんの状況などを説明してから交代していた。ようやく二人して机の柵の中から抜け出すと緊張から一気に解放された。
「これからどうする?」
美雪は私が聞いたのに答えるそぶりを見せず、じっとクラスのほうを見ている。何をしているのだろうと思っていると、壁の下の小さな扉から桃花が現れた。
「お待たせ~」
仕掛けを動かしながら壁の裏の私と会話をするというマルチタスクをこなして疲れているかと思ったが、渡したとよりも元気そうに登場すると私たちの腕をとった。
「じゃあどこからまわろっか」
「まずはここかしらね」
私以上にお祭り騒ぎに溶け込んでいる二人を追いかける。次々と生きたい場所を挙げて移動していく彼女らにくっついているだけでも沸騰しそうに感じた。
美雪の御所望で三年生のクラスを見て回っている時に、また見知った顔に出会った。
「またあったじゃん。」
「大祐君たちだ。」
私がまとめるたびに大和田君はは自分の名前を言うけれど、これを聞くために絶対に名前を呼ばない。
「どこの発表見に行ったの?」
私が聞くと、少し声を落としてささやいた。
「部活の先輩のところいったんだけど、ぼったくられたんだよね」
そんなこともあるんだと感心していると、美雪が深々とお辞儀をしながら言った。
「うちの晴翔がお世話になっております」
突っ込むのかと思ったら、なぜかそのノリに応じてこちらこそという大祐君。さらに桃花がのったので、収拾のつかない状況になっていた。君らは私の何なんだいと言いたくなったが、一通り眺めることにした。
先に顔を上げた大祐君にさっき聞けなかったことを聞く。
「その謎のTシャツは何なの?そろいもそろって皆着てるけど。」
首元を引っ張ってでかでかと浜田組という文字を見せると、それに合わせて周りの部員も同じようにした。
「これはクラスTシャツだよ。うちの担任が浜田だから浜田組ってこと。」
浜田先生といえば体育で柔道を専門として教える先生で、見た目と圧だけで筋ものが倒れてしまうのではと言われるほどである。しかし、意外と生徒には優しい先生らしい。
「そういえば晴翔さんのクラスは作らなかったの?」
大和田君の質問にちょっとたじろぐ。曖昧な声を出してごまかす言い訳を考えていると、横の桃花が答えた。
「うちのクラスは怖すぎるTシャツ案しか出なくて作れなかったんだよね。」
へぇーとあまり興味なさそうな声を出してから彼らは雑踏の中に去っていった。少し身長の高い大祐君以外はすぐに見えなくなってしまった。
「てか、美雪たちは私の保護者なの?」
さっきの話を掘り返したが、彼女らは曖昧にしか答えないまま次の教室に入って行ってしまった。 祭りの喧騒のは日々の嫌なことを見えなくさせてくれるだけで、忘れさせてくれることはないらしい。