部活に少し慣れ始めた。冬の大会に向けての調整が進んでいる。きっと今回も俊君と大祐君はレギュラーに選ばれるだろうと先輩たちがささやいていた。一年生の誇りだ。
ただ、あの一件以降大祐君が一方的に俊君を敵視する状態が続いている。例えば大祐君がサーブ練習で狙い撃ちにしてサーブの邪魔をする。それをほかの一年生も便乗するから、俊君はサーブが打てない。
例えばスパイク練習で、俊君がボールを拾いに行った付近に大祐君がスパイクを打つ。俊君はボール拾いでなかなかスパイクが打てないまま終わってしまう。
私がバスケ部でやられたことに近いから見ていていい気はしない。それでも、小森先輩含め誰一人手を出そうとはしない。まだ軽いいざこざ程度なんだろう。
今日は秋にしては風が涼しいとニュースでやっていた。冬でも半そでを着ていくような小学生だった私はあまり防寒具がないので、ただのセーラー服で二人を待つ。
「待たせたわね」
「うちが寝坊しちゃったからね」
いつものように彼女らが家に迎えに来てくれる。こんな日は特に彼女らの温かみを感じる。
「今日はついに文化祭準備だね」
「うちらの腕の見せ所。と言いたいけど手がかじかむね」
「ちゃんと防寒対策しないからよ。」
そういう美雪は白いセーラー服に白と青のマフラーを巻き付けていた。手袋まではめて、一人だけ季節を先取りしているようだ。
「美雪は寒がりすぎるんじゃない?」
「バイオリン弾くにはちゃんと手を温めておかないといけないのよ。手が震えたら不協和音になっちゃうじゃない」
三人並んでの登校。ふと、こんな日が後何回出来るんだろうかと思ってしまう。こんなこと二人に行ったら笑われてしまうだろうけど。今登校できているのは彼女らのおかげだ。
学校に着くと、普段とは違う雰囲気の教室を目の当たりにした。まだ始業時間にもなっていないのに、文化祭実行委員の人が中心になってクラスの数人が何かの作業をしている。ほかの人たちも謎の仕切りの調整をしたり、小道具の調整をしていた。
桃花が説明してくれた。
「今日は朝から準備ができるんだよね。しかも夜までできるって話。」
「高校生らしい感じがするね」
高校生らしい。その言葉が私の胸の中で反響する。今の私は高校生らしく生きられているだろうか。
美雪に誘われるがままに、小道具の班に混ざって準備を手伝った。五人しかいない小さな班で、夏休みに準備した小道具を仕切りや壁に貼り付ける。基本は大道具の邪魔にならなければいいので、かなり楽な仕事だ。
「晴翔さん、こっちにもお願い」
「了解」
「こっちも~」
正直、腫物扱いされるんじゃないかと少し不安に思っていた。しかし、実際にはみんなが普通に関わってくれるから、気にしている私のほうが変なようだ。
始業のチャイムが鳴っても、先生が教室に来ただけで準備はそのまま進行した。段々と教室が迷路のように仕切られ、お化け屋敷らしさが出てくる。私たち小道具が作った血糊や小さなお化け、お札などが怖さを引き立てる。
小道具班は早めに仕事が終わったので、午後からは持ち場を離れてほかの班の手伝いに回る。私は偶然桃花のいる買い出し班に当たってしまったので、午後一で桃花と買い出しに出かけている。
「あんたも買い出しに当たるなんて運がないね」
「全くだよ。まあ、桃花がいるから当たりなのかもしれないけど」
恥ずかしいなぁと言って少し頬を赤らめる桃花。からかいじゃなくて本心なんだよって伝わっているだろうか。
私たちは学校最寄りのスーパー兼大型商業施設に買い物に来ていた。
「この建物があるところって、田舎って言われる奴だよね」
「やめて、うちらの数少ない遊び場なんだから」
冗談を飛ばしながら、言いつけられたものを探す。ガムテープと懐中電灯、黒ビニールシートと家庭菜園用の支柱だ。
「懐中電灯はわかるとして、ビニールシートと支柱は何に使うの?」
「うちも知らないけど、多分仕切りの予備じゃないかな」
本来の目的とはかけ離れた使い方をされるものたち。学生がひねり出した文化祭専用の知恵は、買いやすさや値段を考えていて面白いものばかりだ。
店内を回っていると、ほかのクラスの買い出しにも出会った。たまたま大祐君も買い出しに来ていたらしい。
「お、晴翔さんじゃん。買い出し?」
「そうそう。大祐君も頑張ってね」
じゃあなと言って去っていく大祐君を、なぜか真剣な目つきで追いかける桃花。気になったので大祐君が離れてから声をかける。
「どうしたの。大祐君をそんなに見て」
「あれが、例の大祐君なんだね。あんたよかったね」
「よかったねって何よ」
意味ありげな言い方をする桃花に問い詰めようとしたが、のらりくらりと言い逃れられてしまった。ちょっともやもやしたまま買い物が終わった時だった。桃花が突拍子もない提案をしてきた。
「せっかくならゲーセンにでも行く?」
「ゲーセン!?」
買い出しの後はさすがにまずいんじゃないと咎めるも、こういうスリルが楽しいんじゃないと言って桃花は併設のゲーセンに足を踏み入れた。
「ほら、ほかのクラスの生徒もいるでしょ」
「確かに、そうだね」
彼女の言う通りゲーセンにはいくつかうちの制服を着た集団がいた。こんな姿先生たちに見られたらどうなるんだろうかと思ってしまうが、この背徳感付きのゲームは最高に楽しいだろう。
桃花に手を引かれてゲーセンを散策し、二人でプライズゲームを遊んでいた時だった。ふと視線の先に見覚えのある姿、いや脳内に血痕のようにこびりついた人影がいた。
「…燈子……」
幸いにも相手は私には気がついてはいない。。次のプライズを探そうとしている桃花の手を無言で引く。桃花は一瞬驚いたように私のことを見てから、すぐさま反対側に向けて私の手を引いたまま駆けだした。ゲームコーナーを抜け出して、スーパーに入ると、一度桃花は立ち止まった。
「大丈夫?顔が死んでるけど」
クレーンを操作する燈子の横顔が頭から離れず、思考が混濁する。私の様子を察した桃子は、私の手を引いたまま店を出て教室に戻った。その間、私の頭の中には、燈子の恐怖と桃花への申し訳なさが交錯していた。
桃花と一緒に見る夕焼けは世界を橙色に独占しようとしていた。いくつかの雲は白みを帯びつつも、夕焼けを反射して赤く染まりだす。暗い雲は薄紫色にその暗さを隠していた。 教室に戻り、大道具の班に買ったものを渡す。時間的には通常授業は終わっている時間帯だけど、ほとんどの人が教室に残って作業を進めていた。何もしないで教室にいるのは居心地が悪いので、廊下の窓際に体重をかけていた。
「大丈夫?」
「さっきはごめんね」
相手の顔も見ることなく返す。心配そうに私の横に来て、同じポーズをとる桃花。私と彼女が見ている夕焼けは同じだろうか。
「さっきのこと、聞いてもいい?」
「…いいよ」
正直当時のことを語ることは脳が、心が拒絶している。それでも、大親友にあの醜態を晒して隠し続けるほうが嫌だった。
「さっきはなにがあったの?」
「燈子に会った。バスケ部時代に私のことを嫌っていた人だよ。今でもちょっと、いやかなりトラウマ」
「そっか」
桃花の視線が頬を伝う涙に刺さる。ごまかそうと遠くを眺める私を、申し訳なさそうに見つめていた桃花は
「ごめんね」
とだけ言い残して去って行ってしまった。どうせならこの涙も連れて行ってくれればよかったのに。
夕焼けが真っ赤に燃えて力尽きるその瞬間まで眺めていると、自然と涙は収まっていた。朝頑張ったメイクも崩れてるかな。
何度か深呼吸した後、教室に戻るといまだに準備は続いていた。小道具班の面々も様々な場所で仕事を続けていた。一瞬邪魔になるかなと思ったけど、作業をしている人に声をかけると感謝されてしまった。
お土産をくれたあの子一緒に脅かしようの小細工の動きを確認する。位置を調整したり、動かし方を変えてみたりして、少しでも怖がらせられる方法を模索する。
ふとクラスの中を見渡してみる。一見みんながまとまって動いているように見えるけど、それぞれは別々に動いていて。それでもクラスの形になっていて。その中の一つに私は入っているんだ。これが"居場所"なのかな。
「晴翔さん?」
「あ、ごめんごめん。ちょっとぼーっとしてたね」
このクラスの中なら安心できる。もしものことがあっても大丈夫。その代わり、私もこのクラスのために頑張らないと。
「こんなかんじでどう?」
「もうちょっと右に動かせる?そうそう」
「晴翔、準備は順調かしら?」
急に暗がりから声をかけられて驚いたが、声の主は一瞬にして分かった。
「こっちは何とかなってるよ。それより、美雪は小道具班終わってから何してたの?」
「私は弦楽器部のリハーサルに参加してたの。楽器のチューニングに意外と時間がかかって、少し遅くなってしまったわ」
「ちょうどよかった。お嬢様もちょっと手伝ってよ」
「呼び方」
お嬢様と呼ばれて少し不機嫌になった美雪だけど、棒付きのお化けの小細工の位置調整を手伝ってくれた。ふと、美雪にはクラス以外の居場所もあるんだなと思ってしまう。
文化祭の準備は町のごみ拾いのようで、どれだけ完璧になったと思っても粗が見つかる。結局私たちが下校できたのは普段の部活よりも遅い夜の八時だった。
「こんな遅くなるなら、夕飯も用意してくればよかったなぁ」
あの後も何度か買い出しに使われた桃花は鳴ったお腹をさすりながら言う。
「じゃあ、たまには買い食いでもする?」
「賛成~」
「太るわよ」
「これだけ働いたから大丈夫」
美雪の忠告も無視して、私たちはコンビニにやってきていた。
「結局美雪も買い食い班に加わってるじゃん」
思わず私が突っ込むと、美雪は少し頬を赤らめた。
「私だっておなかぐらいすくのよ」
マフラーに顔をうずめて恥じらいを隠そうとする。こういう様子は普通の女の子なんだなぁとちょっと感心する。
「そういえば桃花は?」
私が美雪に聞くと、ピッと人差し指でレジの横を指さした。そこには、レジ横のホットスナックを注文する桃花の姿があった。ちょっと高いけど、ホットスナックは小腹にちょうどいいかもしれない。
結局三人して唐揚げを棒に刺したホットスナックを購入して、コンビニの外に出た。
「夜遅くにみんなで買い食いって、the高校生って感じするね」
「そう、だね」
話しながらも桃花は唐揚げ一つを豪快に口に頬張った。熱々のそれをハフハフしながらかみ砕いて飲み込むと満足げに笑った。
この暗さだったらモンスターがわくだろうかなどと考えながら、三人で帰り道を進む。何組かの高校生らしき人が見えたが、どこの誰なのかは全くわからない。
二個目の唐揚げを飲み込んでから、桃花はふいに言葉を発した。
「結局晴翔はなんで学校に来れなくなったんだろう?」
その言葉は誰に届くでもなく夕闇に溶けていく。私に向けられた言葉なのか、それとも自問自答なのか、明瞭としないまま手から零れ落ちそうになる。
「…いじめ…」
私も虚空に吐き出すように言葉を紡ぐ。誰かに向けてではなく、誰でもない誰かに届けるように。
美雪も桃花も何も言わなかった。ただ、二人の視線が私に突き刺さっていること、彼女らの疑問が私に向いていることは頭に送り込まれた。まるで彼女らとの境界があいまいになっているかのように。
「…バスケ部でいじめがあったの。」
唐揚げを食べる手は止まり、目に映るのは暗がりの代わりに数月前の体育館での出来事ばかり。手紙を書くように、断片の点と点をつないで言葉にする。
「最初は一つ一つは大したことのない無視やいやがらせ程度だった。美雪と桃花にも笑い話できるぐらいにはね」
少し息をついてから、頭のカレンダーを少し進める。五月の下旬の出来事までずらす。
「段々といじめがひどくなって、何回か二人にも愚痴っちゃったよね。それでも、まだ耐えられないところではなかった。ただあの事件があってね」
あの事件。思い出すだけで金縛りみたいになるけれど、なんどか思い出そうとする。ぽっかりと記憶に穴が開いたように、まるでマップのはざまのようにその瞬間だけは触れられず記憶が前後で不連続になっている。
「大丈夫?」
ふと桃花から声をかけられた。
「…大丈夫」
とっさに答えてから、頬の違和感に気が付いた。
「あれ、私泣いてるの…?」
自分ですら今の状態に理解が追い付かない。あの事件のことを思い出そうとしただけなのに。
「心が思い出すことを拒絶してるのよ。強いショックがあると時々あることよ。また思い出したら話して頂戴」
「ありがと…」
美雪から温かい言葉をもらって、少し心が軽くなった。ふと美雪の手元を見ると、もう櫛だけになったそれを持て余したように手元で遊んでいた。私のはまだ二つ唐揚げが残っていたので、一つを口に頬張る。少し冷めてしまったけれども、肉厚な鶏もも肉から大量の肉汁が口の中を埋め尽くして、お腹から心を満たしてくれた。
ちょうど最後の一つを食べ終わったころ、二人と別れて家に帰った。予想通り、まだお母さんの姿はなかった。
「あ」
そういえば、お母さんの夕ご飯のおかずを買い忘れてしまった。怒られるだろうか。まあ、最近は朝帰りが多いから大丈夫だろうか。
風呂に入って寝る支度を澄ますと、すぐにベッドにもぐる。きゅっと瞑った瞼の裏には、予想通り燈子の姿が映る。一度部屋の電気をつけなおして、部屋を見渡す。
「久しぶりに、少しぐらいならいいかな」
あの日と同じ。怯えなくて済むように、ヘッドフォンをしてパソコンの電源をつける。メーカー特有の起動音が私を電子の世界へといざなう。癖のようにネットゲームを起動すると、一回だけのつもりで試合にもぐる。