二話目

 部活に休日はない。土曜日は学校がない代わりに、他校との練習試合があるんだ。というわけで今日も忙しく準備をする。それ自体は問題じゃないんだけど。

「シューズ、かぁ」

 土曜日は学校が閉じているので、下駄箱の上履きを取りに行くことができない。そのため、マネージャーでも適当なシューズが必要と昨日顧問に言われた。確かにシューズはないこともないが、あれは正直使いたくない。

 頼れる部員もいなく、時間は刻一刻と迫ってくる。仕方ないと腹をくくって、部屋の隅に追いやったバスケットシューズをケースに入れて部屋を飛び出した。

 秋のにおいが風に流され流れ私の鼻腔をくすぐる。実りの秋、収穫の秋、賑わいの秋。けれどもそれらは厳しい冬を乗り越えるための準備期間に過ぎないんだ。

 木々の間を駆け抜けて学校に向かう。休日の学校に来るのは久しぶりだ。あの日もちょうど同じような恰好だったな、と記憶が頭をかすめる。けれどもあの日のように燈子は私の隣にはいない。

 雰囲気を見るにまだ誰も体育館には来ていない。更衣室で着替えを済ませて、シューズを取り出して気が滅入る。フラッシュバックのように頭にちらちらとあの時の記憶がよみがえる。このシューズがこんなにボロボロになったのは…。

 目を閉じて深呼吸する。ここにいるのは彼女らじゃない。バレーに青春を燃やした少年たちなんだから、大丈夫だと言い聞かせて何とか足を通した。

 私が一番だと思って体育館の扉をあけると、なぜかポールだけすでに準備されていた。

「誰かいるの?」

 私の声は虚空に吸い込まれる。ちょっと薄気味悪いなと思いながらも、準備を始めようとした時だった。

「遅いな」

 水筒や救急箱などボール以外が詰められたボールケースを押しながら俊君が体育館に入ってきた。

「おはよ。遅いってひどくない?」

「あぁ、おはよう。別に君のことじゃない」

 そっけなく返すとすぐに準備に戻って行ってしまった。まだ相手行が来るまでには1時間ぐらいあるはずなのに、一人で黙々と準備を進める彼を目で追いかける。

「お、氷が気に入った?」

「からかわないでください、小森先輩」

 いつの間にやら体育館に現れた小森先輩が、私の背後から話しかけてきた。手慣れた手つきでボールを数えて、ボールケースのポケットを調べる。

「今日は練習試合だから、ちょっと変わったこともするんだよ。覚悟しといてね」

「わかりました」

「そういえば、服はなんかいい感じだね」

「ありがとうございます。これは中学時代のバスケのウェアですね」

 私の中で小森先輩は優しいお姉さん的な存在だ。部員全員の特徴を覚えていて、けがの処置や水がいつなくなるかなどを考えて動いている。私もいつか彼女のようになれるのだろうか。

 相手校が到着すると、急に小森先輩に呼ばれた。どうやら相手校の誘導や接待がマネージャーの仕事らしい。普段は入らない部屋に座る両校の顧問にお茶を出して、試合の時間などをうかがうと大きな吐息が漏れる。この仕事緊張するよねと笑いながら練習に戻る小森先輩はさすがだ。

 練習試合だからか、普段とはちょっと違った練習内容が多かった。普段はやらないレシーブ練習があったり、スパイクにしても肩慣らしというよりは、コース練習やフォームの微調整をしていた。それぞれがパフォーマンスを高めている中、試合に出ない一年生たちは雑用にいそしんでいた。

 サーブ練習が終わるころ、顧問たちが体育館に入ってきた、ついに練習試合が始まるのだろうか。ただの床がコートの風格を示した。先に相手の顧問に挨拶してからうちの顧問に今日の作戦を聞く。なんだか特殊部隊みたいで気分が上がる。

 練習試合直前、俊君が急に声をかけてきた。

「スコアボードの写真よろしく」

 それだけ言い残すとコートの中に入ってしまった。連絡先も知らないけど、とりあえずいつものようにスコアボードを書くか。最近の練習で少しずつスコアボードに慣れてきたから、今日は一人でやることになった。小森先輩はギャラリーから動画を撮るらしい。

 ベンチの二年生の先輩が主審台に乗ってホイッスルをふいて試合が始まる。コートの六人は緊張をごまかすように声を張り上げてチームを鼓舞する、俊君を除いて。一人だけ相手の陣形を観察していた。

 相手サーブから試合は始まった。一本目の少し早めのまっすぐなサーブが変形S3ローテでレフトを守る大祐君の正面をとらえた。アンダーの構えで待ち構える大祐君の手前で、

 ボールはその軌道を変えた。

 内側に角度を変えたボールは、大祐君と俊君の間で落ちた。一瞬の間をおいて、顧問からの怒声が飛ぶ。すぐにチームを立て直そうと、大祐君はもう一度大きく声を出した。それに対して、俊君は少し前に上がっただけだった。

 二本目も同じコースで、そろそろ曲がるぞというところを俊君が拾った。オーバーでボールを上げると、なぜかセンターのはずの彼がレフトに開いた。そのままスパイクの構えに入り、しっかりとストレートコースを決めた。決めても声を上げることはなかったが、少しだけうれしそうにしていた。顧問には怒られたみたいだけど。

 試合はどちらも引けを取らないまま終盤戦までもつれた。第一セットから白熱した試合は、大祐君のスパイクミスで24-26という形に終わった。コートから出てきた大祐君は、つかつかと私に近づくと

「最後のめっちゃ入ってるぽくない?」

 と言って、豪快に水を飲んだ。また水汲みに行かないとと思いながら答える。

「いや。多分長すぎだね」

 まじか~と言いながらさらに水を飲むと、試合間の休憩なのに練習を始めた。それを見ながら私の隣りに座った俊君は独り言ちる。

「あいつ、あんな練習ばっかして、意味あんのかよ」

 結構口が悪いなぁ、と思いながら聞いていないふりをしてこまごまとした作業をしていると

「テーピングとって」

 と声をかけられたので、適当なテーピングを渡すと受け取ってからつかつかと歩み寄ってきた。

「このテーピングは新品だから先輩たちが使うやつ。一年生はこのぼろいほう」

 相変わらずぶっきらぼうに暗黙のルールらしきものを伝えると、テーピングをかさらって戻っていった。今までとは反対の手の指にテーピングして、その感触を確かめると次の試合まで暇そうにしていた。

 二セット目はあまりいい立ち上がりではなかった。先輩たちは互角に戦えているけれども、俊君と大祐君が前衛にいるときに点差が開いてしまう。お互いに少し雰囲気が悪いまま25-17で試合は終わった。顧問も少し機嫌が悪そうにしていたが、一年生ということもあって二人はあまりとがめられなかった。

 それ以上に、彼ら同士のいらだちが手に取るようにこちらに伝わってくる。ベンチの中でも、けんかにならないか心配する声が上がっていた。スコアボードを書きながら、彼らを見守る事しかできない。

 そして事件は起こってしまった。

 相手レフトのスパイクが大祐君の右足元に落ちた時だった。大祐君がその場で怒鳴った。まるで来診が舞い降りた時のように、コートの震えがベンチを揺らす。

「お前はちゃんとブロックしろよ。今のコース止められただろ。今日これまで何本ブロックしたんだよ。」

 疲れで息も絶え絶えに叫んだ炎に対して、氷が返したのは、まさしくコートを絶対零度にした。

「ちぇっ」

 一瞬だけ大祐君の顔を見て舌打ちをして、すぐに相手コートに視線を移す。相手選手たちもあまりの状況に驚いていたが、ただ一人俊君だけは臨戦態勢を続けていた。

 思い出したように審判の笛が響いて試合が再開された。お互いに声があまり出ないままだった。そして試合は予想もしない展開になる。

 急に俊君のブロックが点を取り始めた。しかも、相手に一本たりとも得点を与えず、ローテが回らないまま10点を獲得していた。もはやサーブ以降こっちにはボールが帰ってこないことのほうが多い。後衛の選手なんて膝に手をついて休み始めたが、それでもこちらのサーブは続く。

 結局試合はそのまま25-12で幕を閉じた。試合が終わった瞬間、俊君は誰に向けてでもなくいった。

「こんな試合じゃつまらないだろ」

 試合後の反省会は、さっきまでとはかなり違う雰囲気だった。顧問も何が起こったのかわからない状態で、とりあえずこのままでと言って席に戻った。先輩たちもこんな展開になるとは予想外で、ひそひそと話声が飛び交った。

「なんなんだよ、あいつ。なんか感じ悪くない?」

 大きな独り言なのか、私に話しかけているのかわからない大祐君の声が近くで聞こえた。なんとなくで返してしまう。

「まあ、いい雰囲気ではないよね」

 そんなにさっきの試合疲れたの、と疑問が浮かんでしまうほど大量に水を飲んでから、大祐君は私のことを見て言う。

「ほんとさ、あいつがいると雰囲気が悪くなるんだよ。もっと楽しそうにやればいいのに」

 あいつバレーが好きかわかんないしな、と言い残してから、また練習に戻っていった。

 結局その後のセットでは俊君は通常運転に戻り、ブロックの本数は落ち着いた。そのため、かなり競った試合が続き、ひりひりとした雰囲気が漂ったけど、全部勝ち切れたので顧問も機嫌がよかった。

 練習試合後も片づけが多くて少し大変だった。相手校の先生に手土産を渡したり、使った更衣室の掃除などでバタバタしたが、小森先輩と二人でこなしたのでそれなりに早く済んだ。最後に、忘れないようにスマホでスコアボードの写真を残しておいた。

 今日も帰りに更衣室を出ると、ちょうど大祐君たちの集団を見つけた。大祐君に声をかけて一緒に帰ってもらう。やっぱり部活なら一緒に帰りたいというのと、これだけ人がいれば安心できるんだ。

 帰り道、大祐君は何度も俊はほんとによくわからないと愚痴った。今日のプレーのことから日ごろの練習態度についてまで、いろんなことを愚痴り、そのたびに私に同意を求められた。彼が一番バレーを真剣に考えていると知っている私はなあなあな返事ばかりしてしまった。

 いつもの交差点で五人にはさよならをして、自分の道に戻ろうとした時だった。急に肩のあたりをつかまれて、全身を震わせる。

「ひゃっ」

「そんなびびんなよ」

 鼻で私のことを笑う氷の姿がそこにあった。

「何しに来たの」

 私が聞くと、彼はスマホを取り出していくつか操作すると私に見せてきた。それは、私たちがよく使うメッセージアプリの彼のプロフィールにだった。

 登録しろということかと納得すると、私も自分のスマホで彼のことを友達に登録した。それを彼に伝えると、スマホをしまって大祐君たちと同じ方に歩いて行ってしまった。なんなんだ彼は。

 俊君のさっきの態度にむかつきながら、どこかで大祐君のさっきのげんどうが気にかかっていた。部活に入ったばっかでこんなことになるなんて、部活が向いてないんだろうか。

 部活が向いてない人ってどんな人だよ、と自分で突っ込みながら秋の昼過ぎを歩く。夏場よりだいぶ涼しくなったけど、さっきまで部活だったせいで汗ばむのは変わらない。それでも多少乾いてくれるから心地よい。名も知らぬ草木が実をつける姿に少し見惚れた。

 家に帰ると美雪の勉強会に向けて課題の準備をした時だった。スマホの着信音が鳴った。確認すると

「スコアボード送って」

 名前を見ずとも送り主は誰かわかった。言われるがままにスコアボードを送ると、既読はすぐについたが返信は一向に来なかった。なんなんだと思いながら、課題に集中した。

 夕方に三人で通話して勉強会をやった。一か月以上続いているのはすごいと思うが、それはきっと美雪のおかげだろう。

「今週の課題は大丈夫そうね。来週の分はこれとこれ。」

 毎週こうやって準備してくれる彼女がいるから、三日坊主の桃花も私のついてこれるのだ。あとは、勉強会が終わった後の女子会みたいな雰囲気も好きだ。意外と面と向かっては話さないような近況を伝え合う。

「最近バイオリンの調子がいいのよね。もうすぐ文化祭だから、最終調整」

 バイオリンのこととなると嬉しそうになる美雪の声はなんとなく微笑ましい。

「もう文化祭までに週間ぐらいだね。私たちのクラスは準備大丈夫なんだよね」

「うちのクラスは大丈夫だよ。私たちががんばったからね」

 文化祭の準備に加われなかったことが少し悔やまれるが、まあ仕方ないと思うしかない。あの頃はまだ彼女が怖かったから。

 少し目を閉じると、やはり燈子の顔が瞼の裏に浮かぶ。それでも、今は彼女らと部員がいるからきっと大丈夫。深呼吸して落ち着かせる。

「晴翔、なんかあった?」

「いやなんでもないよ」

 少しの間ですら気が付かれるとは思わなかった。それから話は文化祭の当日に移っていった。

「そういや、午前は三人で回るけど、午後はどうするの?」

「あれ、三人で回れない感じ?」

 ちょっと予想外な話に困惑する。

「うちはクラスの人と午後は回るかな。美雪は確かあれだよね」

「私は弦楽器部の準備があるから無理。流石に当日の発表前は行かないと」

「なるほど」

 これは困った。私には彼女ら以外に友達と呼べる人はいない。しかし、一人で歩いていたらどうなることかわかったもんじゃない。

「まあ、もし回る人いなかったら声かけてくれたら、うちらと回ろうか」

「そうだね。ありがとう」

 桃花が気を使ってくれるけど、少しでも彼女らに心配をかけたくはないなぁと思ってしまう。それと同時に、彼女らも部員も隣にいなかったら、一人では学校にいけない自分もいる。

 勉強会も終わり、疲れた体が休眠を求めてベッドに吸い込まれる。スマホを確認すると見慣れないアイコンからの通知がたくさん来ていた。メッセージアプリを確認すると

 グループに招待されました  友達に追加されました

 の通知が四件ほど来ていた。どうやら、俊君が部活のグループに追加してくれたらしい。一言ぐらい言ってくれればお礼もできたのに。一応メッセージしておくか。

 あとは、大祐君から元気のいい「よろしく」のメッセージが来ていた。眠いので適当なスタンプを送って閉じる。

「はぁ」

 こんなに私に関わってくる2人なのに、喧嘩しているのは少しいやだなぁ。分析好きで頭脳派の俊君、熱血で元気が売りの大祐君。

「くっついたら最強、なんてことはないか」

 真っ暗な部屋の中で私の吐息が溶けていく。ふと部屋の中を見用としても、闇は純粋に視界を遮る。闇の中から燈子が現れる幻影が目に映る。思わず布団に隠れて、壁のほうに寝返った。  

updatedupdated2024-11-072024-11-07