六話目

 了解とだけ返信してから、美雪の心の内を詮索する。集合という言い方をするということは、私だけでなく桃花にも声がかかっているということ。それならたぶん勉強会のことだろうか。

 一抹の不安と疑問を胸に、九時までにお風呂や食事を済ませた。予定時間の三分前になると、美雪がグループのほうで通話を開いたという通知がスマホに届いた。パソコン机の前に座り、キーボードをのけて紙とペンを用意すると通話に参加する。

「あら、晴翔のほうが先に入るとはね。まあ、桃花のことを待ちましょうか」

 通話越しにいう美雪の声は普段と変わっていないように感じた。適当に返事をすると、ペンを両手で回したり振ったりして遊んでいた。思い出したように美雪の声が耳元から聞こえてきた。

「そういえば、忘れ物はしてないわね」

「紙とペンでしょ」

 机にあるものを見ながら答えると、美雪は付け足すように言った。

「正直な心も忘れないでよね。」

 はいはいお嬢様。最後の一言以外を口にする。いったい正直な心とは何だろうか。なんて哲学的な疑問を頭に浮かべていると、突然

「待たせちゃったかな」

 という桃花の声が聞こえてきた。美雪は落ち着いた声で答える。

「集合時間通りだから問題ないわ、それじゃ、勉強会を始めましょう」

 やっぱり勉強会なんだと安堵する。しかし、別方向からそのアンドは打ち砕かれた。

「とりあえず今日は今後の目標と計画、それに多少の課題を出すところまで進めるわ。異論は認めない」

 桃花と声を重ねて返事をしながら、なんて悪政だよという言葉を桃花と心で共有する。何なら江戸時代なんかよりもひどい統治だ。

「今後の目標は全科目で平均点以上を取ること。これはノルマみたいなものだと思ってちょうだい」

 私たちの心のうちなんか気にせず、美雪はブラック企業並みのノルマを課してきた。さすがの桃花もこれには反論した。

「いきなり無茶じゃない?」

「今後のことを考えるなら平均以上は必須よ。まあ、私についてくれば大丈夫だから」

 依然とした口調で美雪は答えた。すでに彼女についていくのが大変な雰囲気がするけれど、一応計画まで話を聞こう。

「次に今後の計画ね」

 通話越しに桃花と私のつばを飲む音が重なる。私たちの緊張を意にも介さないように美雪は続ける。

「これから私が定期的に課題を出すから、毎日それに取り組むこと。週に二回勉強会を開くから疑問なんかはこの時に伝えてくれたらその場で答えるわ。」

 それから、美雪は彼女なりに考えた課題を私たちに提示した。わざわざ二人にそれぞれ苦手な科目を大量に含んだ構成をしていて、少し憂鬱な気分になってしまった。

 課題のメモを確認した後、美雪は普段以上に冷たい声で言った。

「それで晴翔、今日は何をしてたのかしら?」

「どういう……こと?」

 思わず口から言葉が漏れてしまった。頭の中に疑問と恐怖、そして見学をしたことへの後ろめたさがこみあげてきて混沌と化す。美雪の冷徹な毛尾はさらにこの混とんを突き刺す。

「今日の放課後のこと、私にも桃花にも言ってないんでしょう?それとも私から言ったほうがいいかしら」

 大仏を見上げてにらまれた時のような罪悪感を掻き立てる恐怖が混沌を統一化する。どのことだろうと自問自答しても、帰ってくる答えは一つしかない。何もわかってない様子の桃花の声がさらに気持ちに拍車をかける。

 美雪の言葉と自分の感情に負けた私のダムからは、小川程度に言葉が漏れだした。

「今日、バレーボール部の見学に、行ってきました……」

 片方からは息をのむ音、もうかたほぅからは盛大なため息が聞こえて、さらに罪悪感が掻き立てられる。せめて通話じゃなくて面と向かってだったらと思ってしまう。

「部活帰りの様子がちょうど目に入ったのよ。」

 静寂よりも静けさを感じさせる落胆が滲んだ声が響く。誰よりも冷静な彼女が、私たちを置いて流れを作り出す。

「正直、あなたの熱意がそこまでとは思っていなかったの。とはいえ、前みたいにもなってほしくないの」

 悲愴をはらんだ声に、また別の罪悪感が湧き出す。当時は彼女らと向き合ったら何にもない自分に失望しそうで、目を合わせられなかった。そう考えてしまう時点で自分に失望していたんだろう。

 数分の静寂、というより沈黙が足元を固める。足が固まる前に空気を壊したのは桃花のほうだった。

「正直うちらは晴翔が不登校になった理由を詳しくは知らないの。過去の晴翔を悪く言いたくはないけど、一人で抱え込む癖があったからね。」

 桃花の言葉の影で、私も知らないという美雪。二人の言葉が心臓をバラの茎がまとわりつくように心を痛ませる。たとえ友人だとしても、いや2人のような友人だからこそ言えない話なんだ、と自分に言い訳をする。

「その節はごめんなさい」

 部屋の隅に押しやった箱を見ながら口を開いた。何度忘れようとしても思い出してしまう箱の中身。ちらちらと浮かぶあの日のこと頭から振り落とす。

 私はあなたの理解者でも専門家でもないけどという口上で始まった美雪の言葉は思いもかけぬものだった。

「私は自分が不登校になるとしたら、自信がなくなった時だと思うの。例えば桃花に成績で負けたら落ち込むかもしれないわね」

 えぇ、と驚きの声を上げる桃花を口先で笑う美雪。つられて私からもか弱い笑いが漏れる。

「ははっ。それはあり得るかもね」

「でしょ。だから、逆に晴翔は何か自信を付けたらいいんじゃないかしら」

 えぇ、と今度は私の口から洩れてしまう。想像していた方法とは違うが、彼女の理屈も確かに分かる。しかし、それは私にとっては傷口を裏から縫い合わせるようなことに見える。

「何か自信を持っていれば、人前に出やすくなるもの。それに、努力すればだれにでもできることがあるのよ。」

 得意げに語りだす美雪。私は言葉を切る権利を捨てて彼女の言葉を待った。

「勉強よ。特に晴翔は私からしても才能があるほうだし、まじめに勉強すれば学年でも上位になれるわ」

 まさかの美雪の提案に、私は焦って反論する。

「私才能なんてないよ。学校来てた時ですら成績悪かったんだし。学校来てなかったんだから終わりだよ。」

 ぽんぽんとのどから浮かんできた言葉を重ねるも、段々と枯れてくる。どれだけ言葉を投げても、それは彼女にとっては道端の石ころがはねた程度で。すべて受け流した後に美雪は言った。

「そもそもこの高校に入っている時点で十分。それに勉強の素質は成績に直結はしない。磨かないと輝かないのよ。」

 たった三言。私の反乱はたやすく鎮められた。

「それもかねて勉強会を開こうと思ったのよ。これで成績が上がればあなただって学校に居場所ができると思うの」

 美雪の言葉は中学時代の私と今の私を明確に対比させた。ちょうど中学三年の時にバスケ部をやめた後、クラスに居場所があったのは勉強ができたから。地域では底辺と揶揄される中学だったけど、井戸は蛙にとっての居場所なんだ。

「確かにそうかも、ね」

「じゃあそれでいこ~」

 私の言葉を聞き終わらないうちに、我慢してたとばかりに桃花が声を上げた。

「私も晴翔に負けないように頑張るから、待ってなさいよ」

「受けてたとう」

 桃花の言葉に乗せられて変な口調になったけど、頭がすっきり切り替わってた。さらに美雪は釣り師のごとく餌を提示した。

「次のテストで全科目平均点を超えたら、バレー部に行ってもいいわよ」

「ついでにうちに勝ったらね」

「わかった!」

 そのまま勉強会の第一回はお開きとなった。スマホで時間を確認すると、もう十時を回っていたので、提示された課題の冊子を集めて机の上に置いた。以前の私なら放り出していた量だけど

「頑張りますか」

 今の私は一人じゃない。教師の美雪とライバルの桃花がいる。そう思えば自然とペンは動き始めていた。ただ、帰りが遅いお母さんだけが心配だった。

 それから、私と桃花は美雪の指導に従って切磋琢磨した。二人で通話しながら勉強机で寝落ちなんてこともあった。勉強会のない日で課題が終わっていればバレー部に遊びに行ってもいいと言われたので、テストまでに五回ぐらい見に行った。大祐君達とは部活外でも多少話せるようになった。

 そして来てしまった中間試験。高校入試以降二回目となる試験で誰よりも緊張した。結果は

「最後の科目、英語で平均点超えたよ」

 一番怪しいと言われていた英語でも平均点声で目標達成だ。この結果には、私以上に美雪が驚ていた。ちなみに桃花との勝負は2点差で勝った。

「あんた数学意外私に負けてんのに、なんで負けるのよ」

「知らないよ。あんたの数学力が不甲斐ないだけ」

 数学で突いた30点差で最後まで逃げ切ったけれど、どの科目もいい勝負だった。教師からしたら二人とも大きな成長でうれしいらしい。

「あなたたちのこと、しっかり教育してきてよかったわ」

 なんだか満足げに笑う美雪。不貞腐れた桃花は 軟体動物のような姿勢で聞いた。

「そういう美雪はどうだったのさ」

「いつもよりもよかったわよ。」

 そういって見せてくれた答案用紙には、私の数学みたいな点数がすべてに書かれていた。私たちの勉強まで考えながら、それだけの点数が取れてしまうのは、さすがとしか言いようがない。二人に出した課題の解説もしながら自分の勉強もできる天才お嬢様だ。

 何はともあれ目標達成で停止条件発動だ。英語の授業が終わると、バレー部顧問のところに入部届を取りに行った。

updatedupdated2024-11-072024-11-07