一話目

何をやっているんだろう。

 遮光カーテンに包まれた薄暗い部屋でセミの鳴き声を聞いていた時だった。

 吸い込まれるようにパソコンデスクの前に座ると、電源を付けていつものオンラインゲームにログインしていた。

 ヘッドフォンをしてセミの鳴き声の代わりに、よりうるさいゲーム音で頭を満たした。ゲームのロビー画面にいる人たちは最近だんだんと人が減ってきていたけれど、今日は一段と多かった。普段は夜しか参加しない人も、今日は昼から参加していた。

 今日ってそんな特別な日だったっけ。 

 パソコンのカレンダーを確認すると、今日は8月31日だった。夏休み最終日に名残を惜しんで多くの人がゲームに参加しているのだろう。そんな人たちと一緒にゲームをするのは少し気が引けたので、オンラインゲームからログアウトして、一人プレイができるアドベンチャーゲームを起動する。

 ゲームが起動するまでの待ち時間で、ふと部屋の中を見渡してみる。

 6月で止まったカレンダーには中間テストの予定。箱買いして何回食べても減ることがなさそうなカップ麺。カップ麺を作るためだけに買った電機ケトル。そして部屋の真ん中におかれたちゃぶ台は、カップ麺一つ分の範囲をのぞいて、埃をかぶった教科書が山積みになっていた。ベッドの上は長らくぬいぐるみの寝床になっている。

 急に耳元で、ゲーム会社の名前を呼ぶ機械音がする。ディスプレイ画面にはゲーム会社のロゴが表示されている。私がエンターキーを押すと、画面が急に切り替わり、三日前のデータからゲームが始まった。

 ゲーム画面では廃墟と化した地球上で、宇宙からの侵略者とAIが導入されたアンドロイドが戦闘を繰り広げている。プレイヤーが操作できるのはアンドロイド側であり、月に避難した人間が地球上に戻れるようになるまで、廃ビルや無人の遊園地、砂漠を駆け巡りながら、侵略者を殺し続ける。

 このゲームを遊ぶのは二回目で、もうすでにこの後起きる惨状をすべて知っている。だから、あえて途中でストーリーを進まないように調整して、レベルだけを上げ続けている。やりこみ要素に浸ってしまう中毒者の酔狂だ。

 今日の討伐目標数までもう少しとなったところで、デスクの上に置いてある携帯から通知音が鳴った。

 珍しいな。

 母親との連絡にしか使うことがない。しかも母親は機械音痴なのでスマホを買ったのに電話以外の連絡手段を使ったことがない。だから、ただの通知が私のスマホでなるなんていつ以来だろうか。二月ぶりぐらいかな。

 いったんゲームを中断すると、ヘッドホンを外す。そして、スマホを手に取って電源ボタンを押すと、チャットアプリに連絡があるとの通知だった。内容の興味より後ろめたさが先行してしまって、電源ボタンを押してしまった。

 元あったところに携帯を戻そうとすると、もう一度通知音が鳴った。そっと消音モードにすると、スマホを元あった場所に戻して、ゲーム画面に視線を戻すと

「gameover」

 と大きく書かれていた。どうやら中断処理をしたつもりになっていただけだったみたいだ。ため息交じりにやり直しボタンを押すと、三日前のデータに戻った。もう一度、今日のノルマまで討伐をする。

 残り一体になったタイミングで、今度はインターホンが鳴った。まだ母親が帰るには早い時間だし、何か宅配を頼んでいただろうか。少し不審に思いながらも、今度はちゃんと中断処理をしてから部屋を出て玄関に向かう。

 癖でインターホンの通話ボタンを押してから後悔した。インターホンの向こうにいるのは、宅配のお兄さんではなく、今の、いやかつてのクラスメイトの姿だった。通話ボタンを押してしまったので、二人の声はこっちに聞こえてきた。

 ぱっと自分の姿を見て絶望する。シンプルすぎるパジャマ姿に、メイクだって何もしていない。対照的にインターホン越しにいるのは、この辺では少し有名なセーラー服を身にまとった可憐な少女二人。

 こんな姿見られたくない。

 強烈な羞恥心と、自分への失望が心をかき混ぜる。そっと通話ボタンを押して切ると、自分の部屋に戻る。ゲームに戻ろうと思ったその時、今度は携帯が着信を知らせた。とっさに電話に出ると

「いるんでしょ、早く開けなさいよ」

「別に怒ったりしないから」

 と、口々にいう二人の声が聞こえてきた。このまま無視を決め込んでも、簡単には帰らない二人と知っているので、携帯は部屋に置いたまましぶしぶ玄関の扉の前に立つ。深呼吸をしてから玄関の扉の鍵を開けると、同時に扉が押し開かれた。その勢いに驚いて身を引くと、二人が部屋に入ってきた。

「お久しぶり、ちゃんと連絡には答えなさいよね」

「心配をかけるのはいいけど、心配している側の気持ちも考えなさい」

 胸をえぐられるような言葉に、うつむき何も言えなくなってしまう。自分が間違っていて、彼女らが正しいのが分かっているから、追い返すことすらできなかった。そんな私に、二人して近づくと、私の両肩に手を置いて、私の目を見つめていった。

「生きてたから十分だよ」

 ありきたりな言葉なのにうれしく思ってしまう。心の整理がつかずないでいる私を置いて、二人は玄関で靴を抜いで部屋に上がってきた。気が付いて制止しようとするよりも先に、二人は私の部屋に上がってしまっていた。

 慌てて二人を追いかけるように、自分の部屋に入ると、立ち尽くしている二人を見る。急に申し訳なさに襲われて思わず

「ごめん」

 と口から洩れた。その言葉に電源が入ったかのように二人はそれぞれ首を振って否定を示していた。けれども、かつての、特に数か月前まで友人だった人の部屋が、引きこもりの城になっていたら呆然とするのも無理はない。

 せっかく来てもらったのだから、何かおもてなしをしないとと思って、適当に二人にはちゃぶ台の周りに座ってもらう。部屋の隅の段ボールを漁ると、ギリギリ賞味期限が切れていないお菓子がいくつかあったから、二人に手渡す。

 三人してちゃぶ台を囲んでお菓子を食べ始めると、先にが口を開いた。

「それにしても、晴翔はここ最近何してたの?」

 早速つらい質問。口ごもりながらも答えた。

「…ゲーム…」

「そうじゃなくってさ~…」

 さらに質問をしようとする桃花の声に重ねるように美雪が声を出す。

「それよりもいうべきことがあるでしょう?」

 私はその言葉にぎょっとしたけど、美雪の目は私ではなく、桃花のほうを向いていた。一瞬きょとんとしてしまった私に、二人が同時に提案した。

「夏休み明けから一緒に学校にいかない?」

「へ?」

 一瞬何を言われたのかわからず、間抜けな声を挙げてしまう。その言葉の意味を理解すると、慌てて否する。

「いまさら学校に行っても意味ないよ。もう勉強にもついていけないし、友達だっていないし、それに…」

 思いつく限りの学校に行きたくない理由を上げ続けてみたが、二人からは何の反応もなかった。もう何も思いつかなくなって言葉に詰まると、美雪が立ち上がった。もう帰るのかなと思ったけど、反対に美雪は私のすぐそばに座ると、両手で渡しの顔を掴んでいった。

「大丈夫、私たちが付いてるじゃない。それに、夏休みが終わったら、誰が不登校だったなんて忘れてる。まだ退学手続きしてないんだったら、一緒に学校に行こうよ。」

 まっすぐに私の瞳を見ながら言った。まっすぐな瞳に心を貫かれるようで、息苦しくなる。何とか喉から声を絞り出して言う。

「私は…」

 頭の中には、学校に行くことへの恐怖、学校に行けなかったことへの罪悪感。クラスメイトとの比較で感じる羞恥心。そして、不登校の原因になった人たちの存在。ぐちゃぐちゃになった感情は言葉になる代わりに、涙になってこぼれた。幾滴も、幾滴も流れ続けるその涙を美雪は一生懸命にぬぐい続けてくれた。

 いったい何分ぐらいそうしていただろうか。気が付くともう涙は枯れていた。

 顔を上げると、優しい顔をした美雪と目が合った。

「少しは気持ちが晴れた?」

 さっきと同じ優しい声音に、自然と答えが口から洩れる。

「うん…」

 その言葉に、美雪は優しく微笑んだ。正直に言えばまだ学校に行くのは複雑な感情がある。特に会いたくない人たちがいる空間に踏み込むのは怖い。それでも、ここまでしてくれた二人の思いを無碍にするという選択はない。それに、心の中では今の生活よりも学校に通ったほうが健康的なことぐらいわかっていた。

「晴翔はまだ退学はしてないんだよね」 

 さっきまで黙っていた桃花が急に口を開いた。私は声を抑えながらその言葉に答える。

「前期分の学費払っちゃったから、それまでは退学しないつもりだったからね」

「それならよかった」

 お母さんのせいでこうなってしまったとは口が裂けても言えないが、桃花は心底嬉しそうにしていた。

 いつの間にか美雪は元の場所に戻って、私が出したグミを食べていた。あの人は紅茶が好きだからか、紅茶に合いそうにもないグミはあまり気に入らないようだけど、一つ一つ丁寧に食べていた。

 三者三様にお菓子を食べている間は沈黙が続いた。多分美雪も桃花も私に気を使ってくれているんだと思うと申し訳なかったけど、私にもこの沈黙を破る話題は持ち合わせていなかった。

「じゃあ、帰りましょ」

 ふと美雪が立ち上がっていった。慌てたように桃花が言う。

「ちょっと待って」

 そういうと、袋に入ったお菓子を一気に口に押し込んだ。豪快な音を立ててポテチを食べる桃花に美雪は言った。

「人の家でマナーの悪いことはしない」

 少し軽蔑のこもったような諭す声。かみ砕いたポテチを一気に飲み込んだ桃花は、軽く誤ると荷物をもって美雪と並んだ。

「それじゃ、また明日いつもの時間ね」

「私たちは家の前で待ってるから」

 そういうと二人は私の部屋を後にした。玄関のほうに向かう二人を見送る。重そうなかばんを持ちながらも、楽しそうに歩く二人がうらやましく見えてしまった。

 玄関の扉の内側から二人を見送った。二人は

「明日から一緒に学校行くのが楽しみ」

 という優しい言葉を残して私の家を後にした。帰路に就く二人の姿を追いかけるように玄関の外に飛び出すと、夕焼けが私の目をくらませた。久しく見た夕焼けに溶けていく二人の姿が美しく見えた。

 私は自分の部屋に戻るとパソコンをつけてゲームに戻る。さっきまで続けていたゲームに戻り、今日のノルマを片付けると、オンラインゲームをもう一度起動させてみた。やはりたくさんの人たちが名残惜しそうに戦闘を繰り広げていた。

「一回だけやるか」

 私もその先頭に参加して、明日から忙しくなる人たちに混ざって敵を倒す。彼らの楽しそうな会話をマイクをオフにしたヘッドフォンで聞きながら思ってしまった。

「本当に学校いけるかな…」

 その声は誰に聞き取られることなく、部屋の隅に消えていった。

updatedupdated2024-11-072024-11-07