第16話

意外と夢って安いよね」

「いや、充分高いでしょ」

 野恵と恵美と私の三人は前も後ろも人に囲まれながら、必死にゲートが開くのを待つ間、意味のない会話をしている。長蛇の列の前後に取り付けられたスピーカーからは、いかにも夢の中で聞いたようなどこかの国の音楽が辺りを包んでいる。どうも、夢はお金だけでなく礼儀正しさや忍耐力もないと味わわせてもらえないらしい。スクールバッグについているマスコットを思い出して、野恵たちに話しかける。

「三人でここ来るのいつ以来だっけ」

「知らない。てか、私今日あれ乗りたいんだよね。あの、飛行機に乗るやつ。何回乗っても違う話なのすごくない?」

「前に野恵と来た時、一日で3回くらい乗ったけど全部違ったんだよ。でもこの前も乗ったから今日はほかのところも行くから」

 最近できたアトラクションなのに野恵と恵美はもうすでに何度も乗っているらしい。   「あー、あれ没入感あって楽しいらしいね。専用のチケットあるけど買う?」

「最初に駆け込めば乗れるでしょ。ねえ、恵美?」

「無理だよ。列の並び的に1時間以上待つから、ほかのところ先行く」

 そんな話をしているうちに列が急に動き出した。列が広くなったり狭くなったりするたびに、野恵と恵美は人の間をすり抜けるようにして進んでいく。私は周りの人に時々じろりとにらまれるたびに謝りながら、肩をぶつけ足を取られながらも何とか二人を追いかける。ゲートをくぐったところでスマホをにらみながら言い争っている二人に追いついた。

「やっぱり私はこっち行きたい」

「そこは昼時にでも狙えばいいから、こっち行ったほうがいい。雪梅もそう思うでしょ」

「あ、そうじゃない? 混むところはご飯時かパレードの前後のほうがのりやすいしね」

 コートの厚い布を通しても、恵美の平手の痛みは肩に強烈に感じる。結局恵美の計画通りに野恵の行きたいところは後で回ることになった。さっきまで駄々をこねていた野恵も、アトラクションに向かって歩き出すとどんどんと歩幅が大きくなっていく。運動部二人に置いていかれないようにするだけで精一杯になる。

「ここ行ったら野恵の言ってたところに行くよ。それでいいでしょ」

「もち。まじであれは楽しいからやらないと人生の損だよ」

「野恵がそこまで言うなら期待してるよ」

 野恵と恵美に交互に小突かれながらもアトラクションの列に着くと、恵美の言う通りまだ誰も並んでいなかった。本来は待ち時間を退屈させないための壁面の装飾について、半ば駆け足になりながら恵美と野恵が交互にうんちくを語る。

「こっちが博士の研究ノート。それで、あそこの賞状が冒険家の証」

「大体冒険家協会に入ってる時点で変人の巣窟みたいなもんだからね。あれが確か盗んできた人形だったよね。恵美?」

「そう。アトラクションの途中でも出てくる。」

 二人は息を切らせることもなく、裏話みたいなものを紹介してくれる。

「二人とも本当に詳しいよね。どうやってそういうの知ったの?」

「大体待ち時間に恵美にいろいろ紹介されるから覚えたくらい? 恵美の知識がやばいだけ」

「うちは野恵が飽きないように色々調べただけ」

「子供扱い反対~」

 恵美と野恵がじゃれ合うところを半歩後ろから眺める。あっと言う間に乗り場に着くと、その並びのまま私は2人の後ろの席に座らされる。アトラクションが動いてる間も2人の会話に割り込めそうな隙を探す。

「このアトラクションの命の泉みたいなの、どこにあるんだっけ」

「岩の裏だよ。通る時に教えるから」

「雪梅、それ前も恵美に聞いてたよ。」

「そうだっけ? だいぶ前だから忘れちゃった」

 ゼンマイ仕掛けで動く人形たち、狭い洞窟の中で水面に反響する録音された声、ボートを模したトロッコに揺られながら先へ先へと進んでいく。体が小さくなってドールハウスの中に入り込んだようで、子供のころの夢を叶えてくれる。それはいつの間にかほとんどの人が忘れてしまうようなもの。

 「気をつけろ!」という船長の声のすぐあと、恵美が振り返ると同時に私の肩をたたいた。

「あれだよ、見てな」

 そう言われて上につながる洞窟から転がってくる石に見える何かが頭上を通り過ぎた後、確かにそこには緑に光る池のようなものがあった。恵美に感謝を言おうとする間もなく、ボートは大きく揺れて降下しながらスタート地点に戻っていく。物語が終わると急にこれがレールの上を進んでいただけだったことを思い出させる金属音が足元から響いた。

「命の泉、見えたよ。あれがここの研究者が探してたやつだっけ?」

「あれを飲んで若返るのが目的だったから。」

「へ~。」

 行きにも挨拶をしてくれたキャストさんに言われるがままにアトラクションを降りると、野恵と恵美がまた次のアトラクションについて話し始める。建物の外に出ると冬の風が首元から熱を奪い去っていく。インディアンが太鼓と笛で演奏しながら踊っていそうな音楽を背に、前を歩く二人の背中を追いかけた。

 それから別のアトラクションに乗った後に野恵が行きたがっているアトラクションに乗るために、三人で早めのお昼ご飯を探す。本当は腰を落ち着けてゆっくりと食べたかったけれど、時間がもったいないというので屋台風のお店でエスニックなのか日本人が魔改造したのかよくわからない包み揚げを買って頬張る。野恵が包み揚げを写真に収めるのを待ってから声をかける。

「野恵は飛行機のアトラクション以外に行きたいところはあるの?」

「ジェットコースターと射的のやつ。今回は恵美に勝つから」

「そしたら私は野恵の方に付こうかな」

「雪梅が入ったって結果は変わらないと思うけど」

 恵美に肩をたたかれる。私下手だしね、と返すと今度は野恵からも小突かれる。

「まあ雪梅じゃ私たちの足下にも及ばないからねぇ。でも足引っ張ったらなんかおごってもらおうかな」

「帰宅部の雪梅に言ったって仕方ないでしょ。今だって走って息切らしてるくらいなんだから」

「確かに~」

 私のことをいじっていた話題が段々と恵美の部活の話に移っていく。三人の真ん中にいたはずの私はいつの間にか二人の間に割って入る立ち位置になっている。

「恵美だって部活に顔出してないじゃん。それでも大会は選ばれるの?」

「まあ選ばれるんじゃない? うちが部活いけないのはバイト行ってるからってみんな知ってるしね」

「うらやま。こっちなんて練習全部出てても選手外されるのに」

 二人が盛り上がっているうちに急いで食べたはずなのに、結局二人と同じくらいに食べ終わった。野恵が行きたがっていたアトラクションはお昼時で少し空いているとはいっても二時間待ちの表示だ。映画が一本見られる時間と思うと長いけれど、このパークの中にいると短い時間のように聞こえてしまう。

「そういえば、雪梅はこの前の模試はどうだった?」

「恵美には勝てないけど、まあまあだったと思うよ。手ごたえは悪くなかったし」

「じゃあ、黒瀬さんに勉強教わる必要もないし、春休みは予定空けといてよ。暇になったら呼び出すから。冬は全然呼んでも来なかったんだから」

「休みの半分くらいは野恵と遊んだ記憶があるんだけど。まあ呼ばれていけない日があったのはごめん。でもたぶん勉強は続けると思う」

「なんで? もともと私たちと遊ぶためなんだから、成績よくなったなら遊んでよ」    模試の結果が返ってきたらね、なんてお茶を濁すと、恵美も口添えをしてくれた。早く列が進んでくれたらいいのにと心の底から思う。話半分に二人の会話に相槌を打ちながら、ふっと話題に出た黒瀬さんのことが頭に浮かんだ。黒瀬さんはこういうところに遊びに来ることはあるのかな。その答えも一瞬で頭に浮かぶ。きっと一ノ瀬さんとなら行くんだと思う。2人が並んで遊びに行く姿を思うと、私は自然と唇の内側を小さくかんだ。

 列が進むたびに野恵のテンションが上がってきて、ついに私たちの番がやってくる。乗り物について説明を受けたあと、暗い部屋に通されて飛行機型の乗り物の座席に着く。席順を調整する声、シートロックの音、機体の軋みが幕開け前の物語らしい雰囲気を作り出す。

「私と恵美で雪梅のこと挟んで、色々教えるからちゃんと聞いてよ?」

「はいはい」

 左に座る野恵は飛行機が空中に躍り出ても口を閉じることはなかった。ライト兄弟のように生身で空を舞っているかのような感覚を味わおうと思っても、その仕掛けをいちいち野恵が説明する。

「あれ、スクリーンが曲面構造になっているから奥行きがあるってわけ。さらに機体自体も映像に合わせて傾いたり、私たちの頭上についてる扇風機から風が出るから、空にいるみたいでしょ。マジで考えた人天才だわ」

 私はそういうことを知って楽しむよりも、せっかくなら肌で感じて楽しみたい。夢の国なんだから、仕組みや仕掛け寄りを知ることは野暮だと思うし、お金の対価として与えられた体験を全力で楽しむのが本筋だと思う。でも、野恵の言葉を無視して空気が悪くなるほうが嫌だ。だから、夢の仕組みに耳を傾けないわけにはいかない。

「じゃあこの音はどうなってるの? すごい近くで聞こえるけど」

「それも頭上の羽の部分に小さなスピーカーがあるんだよ。わかるでしょ? 建物の天井近くにあるスピーカーとは別に、小さな音量を出すことでより臨場感が出るの」

「ここから音がしてるんだね」

 待ち時間に対して夢が見られる時間は長くはなかった。それでも野恵を満足させるには十分すぎる体験だったらしい。空の上にいる間は一言も口を開かなかった恵美も、外に出ると開放感からか野恵と熱く語りだした。

「うち、北京の上空飛ぶの初めてだったんだけど、野恵は見たことあった?」

「ないない、私も初めて。北京とか自分では行きたくないけど、上から見る分には綺麗だよね。」

「確かにアトラクションで見るくらいがちょうどいいかも。でもこれで何都市目だろ。多分二桁は軽くあるよ」

 二人が話している間、私もさっきの空の旅を反芻していた。野恵に話しかけられていない時間だけを思い出して、空の上でのことを忘れないように思い出としてしまっておく。

 そのあと、野恵と恵美の射撃勝負に巻き込まれて案の定恵美に二人して負けたり、野恵が行きたがっていたジェットコースターにも乗ったりした。射撃が終わった後は何度も野恵に毒づかれたけど、ジェットコースターを降りる頃には上機嫌に戻っていた。

「この後どうする? 野恵が行きたそうにしていたところは全部行ったと思うけど、恵美はあとどこか行きたいところある?」

「うちはあとはパレード見たいだけ。雪梅はなんかないの?」

「そうだなぁ」

 私がスマホでマップを確認する前に野恵が口をはさんだ。

「じゃあ、最後にやっぱりあれ乗らないと帰れないでしょ。」

 そういって指をさした先にあったのは廃墟と化した高層ビルのアトラクションだった。恐る恐る恵美に視線で訴えかけようとしたけど、時既に遅しだった。

「まだ時間あるし行こうか。それ乗ったらパレード見るから」

 それからあんまり記憶がない。思いのほか空いていたせいですぐに建物の中に入ると、不気味な肖像画が急に笑い出した。音楽室の怪談みたいだなと思ったのもつかの間、満員のエレベーターに押し込まれて空中に放り出されかけた。そのあとパレードも見たはずだったけど、それはスマホに残った写真以外では証明できなかった。

 いつの間にか三人で電車に揺られながら夢の国は遠く離れていく。夢の残り香みたいな高揚感がいまだに私の肌を離れないでいる。それは夢の国を出たばかりの人同士だと伝播するらしいけど、新聞片手にうつむいているサラリーマンには似非科学の広告やっぱいのお酒ほどの効果もないらしい。

「まじで恵美ってアトラクションめぐるのうまいよねぇ。おかげで好きなアトラクションたくさん載れたよ」

「野恵と何度も来てるからね。それにできるだけ待ち時間は減らしたいし。雪梅は乗りたいアトラクション乗れた?」

「あ、うん。飛行機のやつ乗れたし、あとはパレード見られたから」

「それならいいけど」    乗りたいアトラクション全部に載れたかと言われたら、うんとは答えられないけど、満足はしてる。野恵の言う通り飛行機のアトラクションは楽しかったし、恵美が楽しみにしてたパレードも見たような気がする。だから、多分それでいいはず。

「つぎのちびぬいはみんなどこにつけるの?」

「うちはスクールバッグ。また交換するよ」

「恵美はすぐ交換するよね。野恵は?」

「別に決めてない。雪梅に誘われて買っただけだし」

 ごめん、と口から言葉が漏れる。せめて三人でおそろいのものをつけられたらと思って、なんて言い訳は飲み込む。窓の外に目をそらしても、宵闇の中にはマンションやビルの明かりしか見えなかった。

「それより、雪梅は例の人とは連絡とってるの?」

「あ、連絡来たよ。っていうか1回だけ遊んだし。あと、野恵また勝手に私の連絡先渡したでしょ」

「だって別にタイプじゃなかったし。いい人いない? って聞かれたから雪梅ならフリーだよって言って写真見せたら食いついたんだよ」

 どうりで最初にあった時に写真と印象が違うなんて言われるわけだ。野恵と一緒に撮った写真だから、ギャルっぽい感じに映っていたのを見て、選んだんだろう。

「1回遊ぶところまで行ったなら、早く付き合っちゃいなよ。そんで惚気を私に聞かせること」

「まだ付き合うつもりないかな。それに野恵に話したってからかうだけでしょ」

「そりゃ、当たり前でしょ。雪梅ののろけなんだから」

 思わずため息をつくために閉じた瞼を戻す。恵美は買ったお土産を写真にとってはスマホで誰かに送っては、返信を受けている。段々と電車の中にもうつむいた人が増えてきて、現実が足を忍ばせて近づいている。さっきまでに肌に残っていたベールのような高揚感は電車の空気に溶けてなくなって、いつの間にか冷たい空気がコートの下に入り込んでいる。疲れたふりをして結局目を閉じた。家族のために買ったお土産が、夢を見た代償として重く私の腕にのしかかっている。  

updatedupdated2026-05-032026-05-03