第6話

それで、さやは広岡さんのことどう思ったの?」

 いつものように昼休みに私の教室に来て、お弁当のブロッコリーを方ばっているさやに聞いた。もとはといえばこの前の広岡さんに教えるときにさやが参加したのは、広岡さんがどんな人なのか知りたいといったからだった。

「まあ、悪い人って感じじゃないんだけどね。私はちょっと苦手かな。」

 さやがらしくもなく少し渋い表情を作って見せた。どんなところが苦手か聞いても、よくわからないという答えだった。

「思ったより根はまじめに見えるのに、茶髪にしてたりパーカーを羽織ったりして校則を破ってるところとかかな。まあ、周りに流されやすい人なのかもね。あやと違って。」

「一言余計。」

 私だって別に誰かに影響されることがないわけじゃない。ただ、私に影響を与えてくる人があんまりいないだけだ。

「私はあやみたいに芯が通ってるほうが好きだけどね。」

 そういうとすぐにさやは私の頭をなでてくる。さやに頭をなでられるのは嫌いじゃないし、落ち着くけれど人前でやることじゃないと思う。でも、何度言っても無駄なことはわかりきっている。

「そういえば、あやは広岡さんに教えるときはもう少し優しくしてあげなよ。」

「できる限り優しくしてるつもりだけど。」

 そんな風に言われるのはちょっと心外だった。私としては角が立たないようにしているつもりだったのに。

「あれは優しいとは言わないよ。本当に最小限のことしか教えないし、声だって今よりずっと固いし。」

 自分なりに頑張っているつもりではある。ただ、広岡さんから顰蹙を買ったとしても私が気にすることでもない。私のやるべきことは彼女が赤点を取らないような成績にすることであって、彼女と交友を深めることではないのだから。

「あと、広岡さんの何もしてないって話は何だったの?すごい気になったんだよね。」

 頬張っていた菓子パンのクリームが急に甘ったるく感じる。私もごまかすの下手だったと反省しつつ、結局この場も適当にお茶を濁すことにした。

「何でもないよ。まあ勉強教えてるお礼をもらってる感じ。」

 なるほどね、というさやの顔は言葉とは全く反対のものだった。それからいつも通りにお弁当に残っていた冷食のとんかつの半分を私の口に押し込んだ。

「ちゃんとタンパク質も取らないと、風邪ひいてからじゃ遅いからね。」

 風邪ひかないし、という私の言葉を無視してとんかつが口の中に入ってくる。冷凍食品の自然解凍でもそれなりにおいしく食べられるんだから技術は進歩しているんだと思う。

「そういえば、さやの予備校はどうなったの?」

「英語一科目増やされたよ。まあ映像授業だから自習しながらパパっと受けちゃえばいいだけだしね。」

「それじゃあ意味なくない?」

 ちゃんと大学に合格さえすればいいからね、と言い残してさやは教室を後にした。

 そういえば広岡さんが目指している大学がどこか私は知らない。別に知りたいとも思わないけれど、勉強するならやっぱり志望校に合わせたほうがいいとは思う。無闇に難しいことばっかり勉強するのがいいとも限らないし、少しは知っておいたほうがいいような気もする。

 そんなことを考えながら、菓子パンの残りをほおばっているとちょうど広岡さんが畠さんたちと教室に戻ってきた。手には購買や自販機では見たことがない紙パックのジュースが握られている。一応昼休みに校外に出るのは禁止されているけれど、多分そんなことは彼女らにとってはお構いなしなんだと思う。でも、校則を破ってまであのジュースを買いに行こうという気持ちが私にはわからなかった。

 今日は広岡さんに教える日だから、授業が終わると誰よりも早く教室を出て家路についた。広岡さんが来る前に少しだけ自分の部屋を掃除して、彼女の到着を待つ。そういえば、さやがきたときの帰りにいつも仮面のような笑顔の広岡さんが少し泣きそうな顔をしていたのを思い出した。さやの前で変なことを口走るし、ちょっと機嫌が悪い時に軽口を言うから少し強く言いすぎてしまった。

 今日は広岡さんは来ないかもしれない。いや、もしかしたらもう私が勉強を教えるなんてことはないかもしれない。そしたら、別に前までの生活に戻るだけだ。そう思いながらも、さっき送ったメッセージに既読が付いてるか確認せずにはいられなかった。

 既読が付いていることに安堵しつつ、メッセージを少しさかのぼってみる。広岡さんからメッセージが来ることはないし、私からもたいした内容を送ることはない。それでも、何回かスクロールしないと最初のメッセージに戻れなくなったのを見ると、案外始まってから時間がたっているんだなと気づかされた。この関係が始まったころには冷房をつけるかで争っていた教室が、今では暖房の温度で喧嘩するようになったのだから、それなりの時間がたっている。あと半分もすれば次の試験がやってくる。

 なんて考えていたらオートロックのチャイムが鳴った。リビングのインターホンから広岡さんの顔を確認して解錠する。もう慣れたはずなのに、広岡さんが来ると思うと少しだけ緊張する。

「失礼しまーす。」

 そうして声の主は私の部屋に入った。一緒に食べよ、なんていって広岡さんは左手に下げていたビニール袋からクッキーの袋を取り出した。

「なんで買ってきたの?」

「勉強するときにお菓子があるといいなぁって思ったからさ。好きに食べていいよ。」    よくわからない。けれども、お菓子を買ってきてもらった以上は、何かこっちももてなさないとという気持ちがして、残りわずかだったジュースをグラスに次いで広岡さんに渡すと、いつもと笑顔とは違う笑顔が見れた。

「ありがとね。そしたらいつもみたいに勉強しよっか。」

「言われなくても。」

 それから広岡さんは自分で持ってきた問題集の問題を相手にしていた。これまで課題とは関係ない勉強をやることなんてあんまりなかったと思う。

 私も自分の勉強をしながら、時々広岡さんのほうを確認する。だいたい広岡さんがシャーペンを回し始めたらわからなくなった合図だった。それなのに、今日はシャーペンを回しても私に質問せず、問題に集中している様子だった。そんないつもと違う様子になぜかむかついた。

「わからないところあるなら聞きなよ。そのために来てるんでしょ?」

 そういうと素直に広岡さんはわからないところがどこか教えてくれた。

「それはこうすれば解ける。」

 そう説明してから、昼休みにさやに言われた言葉を思い出した。

「こことここの形見て、求めたいものがこれってわかってるならそれに合わせて変形するんだよ。」

 なるべく言葉が固くならないように気を付けながら広岡さんに説明すると、彼女は丁寧に要点をノートの隅に書きまとめていた。こういうところを見ると真面目なのになんで成績が思うように振るわないのか不思議に思う。

 説明を終えて、自分の勉強もひと段落した時に手を止めて広岡さんを見てみる。遠くから見て綺麗な顔立ちだと思っていたけれど、近くで見てもそれは変わらない。ダークブラウンのカールした前髪にぱっちりした二重と柔らかい弧を描く眉がより顔をやさしく見せて、きれいな素地を際立たせるほのかに主に染めた頬、小さくも立体感のある唇はコスモスのような色をしている。問題に集中している時でさえゆがんだようには見えないその顔は、普段は絶え間ない笑顔がよりきれいに見せている。確かに文系の生徒も黙っていないというのはわかるような気がする。

 今日の広岡さんは一番上のボタンを外した水色のブラウスにグレーのパーカーを羽織っている。さやとかは制服が窮屈な感じだけど、広岡さんが着ると彼女に合わせて伸び縮みしそうな感じがする。彼女の持ってきたスクールバッグにはどこかの広告で見たことある架空の生物の小さなマスコットがチャックと結ばれて天井を向いていた。空いたチャックから見える中身は丸や四角のメイク道具が顔をのぞかせていた。

「いったん休憩にしていい?」

 私が何かを言う前に広岡さんはクッキーを一枚とると、端から少しずつかじった。

「これおいしいよ。黒瀬さんも食べたら?」

「別にいい。」

 断ったはずなのに広岡さんは新しいクッキーを取って私のほうに押し付けようとしてきた。私が首を振るとちゃぶ台に身を乗り出して口に押し込もうとしてきたから、その前にクッキーを取った。この前のポテトチップスといい、クッキーも食べるのは久しぶりだ。口の中に放り込むとサクサクとした触感と程よい甘さが口の中に広がった。

「おいしいでしょ?」

「まあね。」

 クッキーをかじりながらブラウスのボタンの2つ目を開けた広岡さんに、私は思い出したことを聞いた。

「いきたい大学とかあるの?」

 広岡さんはいつもの何かを隠すように笑いながら答える。

「私馬鹿だしさ。そもそもこのままだと大学行けるかわかんないし。高校卒業できればいいよ。」

 適当に返事をしながら、彼女の言葉を頭の中で反芻した。高校卒業が目標なんて普通に過ごしていればできるだろうし、大学を決めるつもりもないなら私が手助けできることもない。最初に言われたとおりに赤点を取らないで卒業まで行けるようにすればいいだけならホームズがパイプから持ち主を充てるよりも簡単なことだと思う。

 勉強に戻った後の広岡さんの手元のシャーペンは回り続けていた。機能性よりも見た目を意識したらしい華奢な見た目のシャーペンは大道芸のように広岡さんの手元を上下左右に回転しながら彩っている。ずっと見ていたら目が回りそうになる。

 いつになく真面目に勉強していた広岡さんは、最後の問題の解き方を私に聞いて自分で解き終えると今日の勉強は終わりにするといった。私も今日はいつも以上に勉強が進んでいたからいつもより少し早い時間に家庭教師が終わることに抵抗はなかった。ただ、家庭教師の終わりには問題が一つあった。

「それで、今日は私は何をしたらいいかな?前回の分も合わせて二つまで言うこと聞くよ。」

 正直に言えば休憩後の勉強の時間はひたすらこのことを考えていた。たとえ何回か勉強を教えたとしても、もともと仲がいいわけでもなければお互いのことをほとんど知らない人にするお願いなんて簡単に思いつくはずもない。どうしようかと悩んでいる時に、ふと気になっていたことが頭に浮かんだ。

「さやが来てた時、二人が話してたこと教えて。」

 さっきまで笑顔だった広岡さんが少し顔をゆがませた。

「言いたくない話ならしなくてもいいけど。」

「そういうわけじゃなくて、何話してたか思い出してるだけだよ。たしか、一ノ瀬さんと黒瀬さんの出会いの話だったかな。」

 今度は私の眉間に力が入るのが自分でもわかった。さやのことは信頼しているけど広岡さんにどこまで話したのかは気になる。

「さや、なんて言ってた?」

「レトロゲームがきっかけで出会ったって話をしてたよ。あとは別に大した話はしてないかな。」

 レトロゲーム、多分私の家にある古い家庭用のテレビゲーム機のことだ。確かにさやと私が関わるきっかけになったものの一つだった。当のゲーム機自体は今でも向こうの部屋で現役で動いているから、レトロと言われるのは少し癪だけど。

 あともう一つ、何にするの?と広岡さんに言われて、いつの間にか口がこう答えていた。

「じゃあ一緒にゲームする?時間があればだけど。」

 今日は勉強が終わってるし、遊ぶなら大体だれであれ一人より二人のほうが楽しい。誘ったのなんてそれくらいの軽い気持ちだったけれど、広岡さんの顔がぱっと明るくなった。

「もちろん、やるよ。準備手伝おうか?」

 後半の提案は断って、リビングからテレビとゲーム機本体を担いで自分の部屋に戻る。やっぱり手伝うという広岡さんにテレビの設置を任せて、ゲーム機のほうの設定をする。やりたいゲームの種類を聞いても何でもいいとしか返ってこなかったので、自然と初めてさやと遊んだ時のゲームを選んだ。

「広岡さんってゲームするの?」

「あんまりやらないかな。親が厳しくてね。」

 服装や持ち物からは想像できないけれど、人の家の事情なんて知りたいとは思わない。ひょうたん型のコントローラーを渡すと、ゲームを起動した。

「これって対戦ゲームだよね?」

「そうだけど。」

 いわゆる格闘ゲームと言われる類のものだ。何を広岡さんが想像していたのかは知らないけれど、選ばない広岡さんが悪い。簡単な操作の仕方を教えると、十本勝負を始めた。

「いや~、全然勝てないね。私が下手過ぎて手ごたえなかったんじゃない?」

 スコアは9:1。さやと初めてやった時は互角の勝負だったから、それに比べれば手ごたえはなかった。でも、それはさやが経験者だったからの話だ。

「一本とれてるし、上手いほうじゃない?」

「そうかな。一ノ瀬さんとかに比べたら全然だと思うよ。」

 それは否定しない。けど、別にそこまで卑屈になる必要もないと思う。

「黒瀬さんてお夕飯どうしてるの?」

 急な質問に固まっていると、広岡さんが続けた。

「もうこんな時間だし、一緒に食べるのはどうかなって。もちろん私の食費は払うよ。」

 そういえば初めてさやがうちに来た時もそんなことになった気がする。そしてそのころから私の食生活はたいして変化していない。リビングの在庫を確認するとカップ麺はなくなっていた。ひょうたん型のコントローラーのボタンを手持無沙汰に遊んでいる広岡さんに今日の夕食を告げる。

「レトルトのご飯でよければ。」

 それならいいや、と言って広岡さんは帰り支度をし始めた。広岡さんを送った後、電子レンジでレトルトのご飯とカレーを温めると容器に移し替えて自分の部屋に持っていった。宇宙人に向けたメッセージのように応答を待ち続けるゲーム機の電源を切って、片方のコントローラーをしまった。カレーライスを食べながら、次は別の味のカップ麺を買おうと思った。

updatedupdated2026-03-242026-03-24