救う勇気

 そのあと、僕らは買い物をしたり、ごはんを食べたりした。ただ、僕にとっては、その光景すべてが、見るに堪えがたい光景だった。暁さんの様子が、どうしても見ていて、居ても立っても居られない様な気持ちにさせられた。それなのに、一切言葉も行動もできない自分がいた。そんな自分が恥ずかしかった。だから、僕はここですべてを伝えようと思った。

 それは、病院の後ろにある小さな原っぱ。夜になると、美しい星々が良く見える場所。まだ元気だった頃に何度も病院を抜け出しては、ここで寝そべっていた。そんな、僕にとって特別な場所だった

「ねえ、暁さん」

と、寝そべりながら、隣で同じようにして、空を見上げている暁さんに声をかけた。

「どうかしたの、蓮?私のこと、暁さんって呼ぶの珍しいね。」

「あ、あぁごめん。それよりも、一つずっと話そうと思ってたことがあるんだけど」

「話したい事?」

「うん」

 と言って、僕は起き上がって、草原に座った。隣で、暁さんも同じように座った。そして、僕は暁さんの方に向きなおって、もう一度口を開いた。

「彼方のことなんだけどね」

 すると、暁さんはちょっと表情を変えて

「彼方のこと?」

 と答えた。その顔に、一切の悪気が感じられなかった。だから、僕はその言葉を伝えるのが、本当につらかった。暁さんの大切なものを壊してしまう、踏み入ってはいけない部分に踏み込むような罪悪感が生まれた。でも、義務感の方が大きかった。それは、暁さんを救うということに対する義務感、そして、彼方から託されている義務。

「暁さんには彼方が見えてるの」

 すると、僕のことを怪訝そうに見ながら

「もちろんだよ」

 と、答えた。その表情、声音に、一切の嘘偽りが含まれていなかった。だから、僕は余計に胸が苦しくなった。でも、この言葉を言わずには、終われない。かすかに、暁さんに聞こえるぐらいの声で

「もう彼方はいないんだよ」

 とつぶやいた。その瞬間、世界が豹変した。先ほどまでの、僕を包み込むような空、ただちょっといつもと違う色合いの空が、唐突に僕を責め立てるようだった。まるで禁忌に触れてしまったかのようだった。

 暁さんの方を向き直ると、暁さんは顔色をコロコロ変えていた。青ざめたり、赤くなったり、血の気が完全に引いたりを行き来した。やがて、ちょっと赤くなったところで落ち着いたと思うと

バチン

 暁さんの掌が、僕の頬を叩いていた。それは、暁さんの感情制御がはじけ飛んだ音でもあった。

「蓮に私たちの何が分かるっていうの!!私たちは、ずっと一緒にいたくって  ただ、二人で遊んでいたかっただけなのに。それすらも、病気のせいで許されなかったんだよ!!だから、少しぐらい夢見たっていいじゃん…」

 最後まで言い切ると、暁さんは意気消沈したように、僕の膝に頭をうずめた。僕は、その暁さんの頭をやさしくなでた。いつも暁さんに優しくされてきたことを恩返しするように、できるだけ寄り添うような優しさで。

「彼方がいなくなったのは、つらかったよね。僕なんかが感じるよりも、相当つらかったと思うよ。でも、仮想の彼方を作るのは、君のためにはならないよ」

 すると、泣きじゃくりながら暁さんが言い返した。

「じゃあ、私は何に縋ればいいの…」

 そういう暁さんの頭を、片手でやさしく撫でまわしながら、もう片手は自分の体を支えるために地面に置いて、話した。

「僕が支えてあげるよ。暁さんのことは僕が支えてあげる。  彼方のことを忘れろとは言わない。でも、もう仮の彼方は作っちゃだめだよ。そんな暁さんを見たら、彼方も悲しくなるよ」 

 と、何度も何度も暁さんの頭をなでながら、話した。暁さんは、ようやく少し泣き止んだのか、顔を上げて、

「じゃあ、蓮はずっと私の隣にいてくれる?」

 と、質問を投げかけた。その質問に、僕は一瞬答えられなかった。でも、その場しのぎだと思って伝えた。その優しい嘘を

「僕は絶対に暁さんから離れないよ」

 と。すると、暁さんも、落ち着いて自分の服で涙を拭きとって、僕の顔をもう一度見た。

「わかった。蓮が隣にいてくれるなら、私は頑張れる。だから、これからも一緒にいようね」

 と言って、立ち上がった。暁さんは僕の瞳から自分の顔を覗くようにして言った。

「こんなに泣いちゃった。久しぶりにいっぱい泣いたら少しスッキリしたよ。じゃあ、今日はもう帰ろうか。」

 と言って、周りにあった僕らの荷物をまとめ始めた。こんなに一気に治るとは思わなかったけど、ほかに頼る場所があると違うのかもしれない。僕はすごい安堵に浸った。

 これで、もう大丈夫。もう何も心配することは無いと思った。そうして、僕も彼女について、立ち上がり帰路に着く。

 はずだった。立ち上がった瞬間、ものすごい激痛が心臓付近に走ったのだ。僕はもう立つ気力さえ残っていなかった。心臓に一番近い血管を切れ味の悪いナイフで切られたような痛み。歩くどころか、意識を保つことさえままならない。

 あぁ、なんて僕は馬鹿なんだ。あの時、暁さんについた嘘が、こんな一瞬でバレることになるなんて。

 こんな悠長に考えていられたのは、これが最後だった。もう、次の瞬間には、とめどなく押し寄せる痛みに耐えかねて、のたうち回った。目を開くのさえ限界な、まぶたを閉じてしまいたいと思いながら、暁さんの方を見た。すると、暁さんは、信じられない様子で僕のことを見た。その目を見て、僕は目を瞑ってしまった。

「蓮くん、蓮くん!!」

 と、暁さんの声が薄れゆく意識を止めた。けど、それも一瞬の事だった。そして、僕の意識は痛みに引っ張られて、闇に沈んでしまった。

updatedupdated2024-11-072024-11-07