幸福のバレンタイン

が地平線の少し上くらいまで傾いた頃、僕はまだ暇を持て余していた。渡すべきチョコは既に用意できている。だから、渡す相手の暁さんの帰りを、ただひたすらに待ち望んでいた。すると、スマホに連絡が入った。

「そろそろ家に着きます」

 と、暁さんから届いた。

 チョコの渡すタイミングは、暁さんが、帰ってきたあと少し落ち着いてからがいいと思う。そうはわかっていても、とっとと渡してしまいたくて、うずうずしていた。チョコを渡すっていう動作がこんなにも恥ずかしいとは思わなかった。

 最初はチョコをどこに置こうかな。どんな感じ渡そうかな。そういえば、ただ暇してただけで渡し方とか考えてなかった。今更のように焦り初めての、無駄だとわかっていたけど、少しロマンチックさを追い求めようとした。でも、恥ずかしさが思考を埋め尽くしていたので、もう諦めて普通に渡すことにしよう。

 玄関からは醜い位置にチョコを隠した時に、

 ガチャ

「ただいまー」

 と言って、暁さんが玄関の戸を開けて入ってきた。僕はなるべくいつもの様子を装いながら答えた。

「おかえり~。彼方どうだった?」

「元気そうだったよ。ちょっと手を洗ってくるね。」

 と言って暁さんは洗面所に姿を消した。もう、とにかくソワソワして止まらなかった。早く渡して反応がみたいという気持ちと、恥ずかしさで今にも消えたいという気持ちがせめぎ合っていた。

 なんて、頭の中が渦を巻いていたら、洗面所から暁さんがでてきた。リビングに入ると、食卓の椅子に座っている僕の方に歩いてきた。謎の箱を持ち

「ハッピーバレンタイン!!」

 と言って、その箱を僕の手に乗せた。  一瞬僕の思考が完全に停止した。どうにか考えられるようになって、最初に考えたのは、自分のチョコを渡すことだった。

「あ、ありがとう。そして、ハッピーバレンタイン!!」

 と言って、チョコを暁さんの手の上に置いた。

 2人とも、交換したチョコを1目見てから、目線を上げてお互いの顔を見合った。二人共顔を真っ赤にして、恥ずかしさを顕にしていた。そして、二人はお互いを見ながら、盛大に笑いあった。

 たっぷり数分間は笑ったかな。机の上にチョコを置いたあとも笑い続けた。自分がチョコを貰えるなんて思ってなかったこと、相手に渡した時の、謎の反応が、笑いのハーモニーを生んでいた。どうにか必死に笑いをこらえて、暁さんにチョコのことを聞いてみる。

「このチョコ手作り?」

 暁さんもようやく笑いが収まったらしく、笑い涙をこぼしながら答えた。

「うん、そうだよ。簡単なものをふたつつくっただけだけど」

 僕は彼女の自虐的な言葉に、更に強い自虐を重ねた。

「そう。まあ、僕のなんて店で買ったやつだしさ。」

 すると、暁さんは僕の顔を上目遣いで見ながら言う。

「貰えるだけ嬉しいよ。そもそも男子から貰うことなんてないしね」

 僕は少し恥ずかしくなって、暁さんから視線をそらして答えた。

「そうだよね。イレギュラーだけど、せっかくだからやってみようかなって」

 僕が一生懸命視線を外したのに、暁さんはずっと視線を合わせようとしてきた。僕の顔を嬉しそうに見ている暁さんに、僕は少し喜んでいた。

「ほんとにありがとう。それじゃあ、少しお互いに食べてみよっか。」

 と言って、暁さんは食卓の椅子に座って、僕が渡したチョコの包装を外し始めた。僕も暁さんからもらったチョコの包装を外した。どちらからともなく、チョコの甘い匂いが立ち込める。

「そうしょうか。まさか2人とも用意してるとはね」

 暁さんからもらったチョコを見ながら僕がそう言うと、暁さんは少し拗ねたように言う。

「私が作ることは大体予想出来たでしょ。それより蓮が買ってくるのが予想外すぎただけだよ」

 僕はそう言いながらも、嬉しそうに僕のチョコを見ている暁さんを眺めて、幸せの湖に浸った。

「あはは。喜んでもらえれば良かったよ」

「うん。もうこんな時間か。先にご飯を食べてから、チョコ食べようかな」

 暁さんの言葉を聞いて、僕は時計を見た。すると気が付かない間に、黄昏の刻になっていた。僕は少しチョコが食べられないのを残念に思いながらも、暁さんの意見に同意した。

「その方が良さそうだね」

 暁さんは椅子に引っ掛けていたエプロンを着ると、キッチンに向かった。

「食後のデザートだね。ご飯できるまでにお風呂入る?」

「じゃあ入ってくるよ」

 想答えると、僕はお風呂への支度をして、風呂場に向かった。お風呂は準備している間に沸いたので、手短に身体中を洗った。

 初めての感覚だった。女子にバレンタインでチョコを渡す事が。そして、女子からチョコを貰うことが。

 だから、夕飯の後に食べられるチョコにワクワクしている。でも、それとは別に、すごい緊張している。いつも話している暁さんでも、チョコを渡すとなると、緊張してしまった。だからか、それともお風呂に浸かっているせいか、顔が熱い気がする。

「ふ~」

 ちょっと溜息をこぼした。暁さんと彼方に渡したチョコ想うと、どうしても考えずにはいられなかったんだ。今の僕が本当にとるべき行動とはなにか、っていう単純だけど答えられない自問。

 あのチョコは本当に渡すべきだったんだろうか。もしかしたら、誰かのチョコがなくなってしまったかもしれない。もしかしたら、暁さんと彼方からしたら、僕からのチョコは迷惑だったかもしれない。渡したあのチョコはただの自己満足の結晶かもしれない。本当にあのチョコで暁さんを幸せに出来るだろうか。

 そんな自虐的な思考ばかりが頭の中を渦巻いていく。答えがないのはわかっているし、悲観的に見ればいくらでもできるものかもしれない。でも、僕はどうしても考えられずにはいられなかった。

 そこで、ふと彼方の顔が浮かんだ。僕を叱る彼女の姿が。そして、もう一度考え直した。なるべく楽観的に。

 きっと幸せにできているはず。だって、チョコを見た時の喜びは、見たことないぐらいの反応だった。あのチョコで、暁さんと彼方を幸せにできたと信じたい。

 こうやって懐疑的で自虐的な思考に陥るのはやめにしたいな。時間の無駄な気がしてしまう。それに、こんな姿を見られたら、また彼方に怒られちゃうかな。

 それに、僕はチョコをもらってうれしかった。だから、僕が渡したチョコも喜ばせられてるはず。もうそれでいいじゃないか。

 何かが吹っ切れた僕は、お風呂を上がった。お風呂の中で考え事をしていると、紆余曲折を経てから思考が吹っ切れるから、毎回お世話になってる気がする。お風呂から上がって、

「お風呂出たよ~」

 と言いながら、リビングに帰ると、暁さんが美味しそうなハンバーグを準備していてくれた。暁さんは、配膳をしながら僕の顔をまじまじと見つめた。

「今日はお風呂長かったけど、なんかあった?  悩み事?」

 自分の中を見透かされている気持ちになって少し焦ったけど、何事もないように装う。

「ん~  まあ、ちょっと悩んでたけど、お風呂の中で解決したからいいよ」

 と言って、暁さんの配膳を手伝う。

「ふ~ん。まあ、解決したならいいけどね。じゃあ、蓮のごはん自分で持ってってね」

 と言いながら、僕の顔の奥を見ているような眼差しを向けてきた。カウンターに行くと、暁さんは僕の茶碗を手渡し、暁さんは椅子に座った。僕も、自分の茶碗を席に持っていき、椅子に座った。そして、互いの顔を見合わせて

「いただきます」

 と言って、ごはんを食べ始めた。冷めないうちにと思い、熱々のハンバーグに箸を入れると、小おばしい香りのする肉汁が流れ出した。その肉汁を、無駄にしないように、急いでハンバーグの切れ端を箸で持ち上げ、頬張った。

 口に入れた瞬間に口いっぱいにあふれ出す肉本来の味。少し挽きを荒くしたお肉は、粒が立っていて新しいハンバーグの味。噛めば噛むほどあふれ出す肉汁。飲み込んだ後も残る余韻を消さないように、ちょっとご飯を食べるのをためらった。そして、余韻がなくなってから、暁さんに質問をした。

「一つ聞きたいことがあるんだけど」

 すると、暁さんは箸を止めて、僕の顔を見た。

「ん、どうしたの?」

 僕は食卓の隅に置かれているチョコを見ながら聞いた。

「あのチョコ手作りって聞いたけど、いつ作ってたの?」

 暁さんは少し僕のことを恨めしそうに見ながら、苦労話を語った。

「あれね~大変だったんだよ~。蓮が病院に言ってる間に、彼方の分も含めて作ったんだ」

 僕は自分が家を出てから帰るまでの時間を数えてから、声を漏らした。

「え?!あの短時間に完成させたの?  チョコ冷やすの時間かかりそうだけど…」

 と言うと、なおも暁さんは僕の顔を少し睨んだ。

「ほ~んと、大変だったんだよ。蓮が朝起きるの遅いから、間に合わないかと思ったんだからね。まあ、何とか間に合ったからいいけどさ  逆に聞くけどさ。蓮はいつチョコ買ったの?」

 聞き返されるとは思ってもいなかったけど、隠すことじゃないから素直に返事をした。

「今日病院に行く間だよ。その間しか時間なかったからね」

 今度は暁さんが僕の家にいない時間を数えている様子だった。

「良くあの少ない時間の間に買えたね。まあ、確かに彼方と話してるだけにしては遅いと思ったけどさ。  とにかく、本当にチョコありがとうね。」

 と暁さんが僕に頭を下げたから、僕も頭を下げ返した。

「こちらこそ」

 と言って、もう一度食事に専念した。それからは、僕たちは特に会話もせずに食べていた。けれど、この静寂は閑散というより、幸せに満たされた静寂だった。気が付いたら、ごはんもハンバーグの欠片もなくなっていた。

「ごちそうさま」

 すると、僕よりも先に暁さんが食べ終わっていたらしく、僕の食器とかを片付けてくれた。

「片付けやっとくから、チョコもってきといて」

「わかった~」

 と言って、自分が買ったチョコと、暁さんがくれたチョコを、テーブルの真ん中に運んだ。すると、まだそんなに時間もたっていないのに、片づけを済ませたのか、暁さんが台所を離れた。そして、僕と同時に席に着いた。気になった僕は、すかさず聞いてみた。

「片付けもう終わったの?」

「ううん。取り敢えず、茶わんとかは片付けたから、もういいかなって。先にチョコ食べたいし」

 嬉しい理由を聞かせてくれた。僕はそれに喜びながら

「そうだね。それじゃあ、いただきます。」

 と言うと、暁さんもそれに続いた。

「いただきます」

 二人同時にさっき包み直したチョコの包みをはがした。そこには、丹精込めて作られたであろう、甘い芳香を発する生チョコとクランチがあった。

「きれいだな~」

 と、言った後、お互いの顔を見合わせた。お互いに自分が渡したチョコを食べられるのは、少し恥ずかしい。だから、すぐに自分のチョコに視線を落とした。見た目から先にと決めた生チョコの一口目を噛み取った。

 生チョコは口の中で一瞬にして溶け切った。そして、口いっぱいにその芳香と甘美を残していった。まるで雪のように解けていった生チョコを、口の中で追いかけた。チョコを飲み込むと、第一感想を言った。

「おいしかった~」

 すると暁さんも僕に合わせるように、おんなじ事を言った。そして、お互いを見て、笑いあった。恥ずかしさと嬉しさが繋がった感情は、僕の視線をチョコに落とした。

 それから、チョコを食べたくて、話さないで少しずつ食べ続けた。本当においしい生チョコとクランチで、一口一口の余韻に浸りきってから、次の一口を食べるようになっていた。そして、気が付けば手の中にチョコは残ってなかった。手をなめていたことに気が付き、前を向くと、ちょうど暁さんがチョコを食べ終わったとこだった。暁さんが後味を噛み締めている間に、先に感謝を伝えた。

「すごい美味しかったよ。手作りとは思えないぐらい美味しかった。チョコを作ってくれてありがとうね」

 すると、後味を堪能した後の暁さんは、言葉を乗せた。

「ううん。蓮こそおいしいチョコを買ってきてくれてありがとう」

「喜んでもらえてうれしかったよ。それじゃあ、二人で片づけして早めに休もうか」

 口の中の後味を感じたいと思ったけど、暁さんの手伝いを優先した。

「そうだね」

 それから、僕たちはチョコの包みとかを片した。そして、二人で手伝って、食器の片づけを終わらせた。二人でやればかなり早く片付けは済んでしまうけど、二人共疲れていた。片づけが終わっただけで、完全燃焼してしまっていた。片付けが終わってすぐに、僕は椅子に座らずに階段の方に向かいながら、背中越しに暁さんにお礼を言った。

「今日は美味しいチョコをありがとう。疲れたから、もう僕は寝るね。」

 すると、暁さんも僕の背中に声を掛けた。

「うん。蓮君が買ってきてくれたチョコ、美味しかったよ。おやすみなさい」

 そして、僕は自室に入り、布団にこもった。電気を消して、いつでも寝れるようにしてから、今日を振り返る。

 お風呂では心配になったけど、やっぱりあのチョコは人を幸せにできて良かった。少なくとも僕は、暁さんのチョコの美味しさで幸せだった。

 これがずっと続くといいな

 僕の意識は、雄大で寛大な夜空に吸い寄せられていった。

updatedupdated2024-11-072024-11-07