懐かしのバレンタイン

はぁ」

 私は、いつものように朝の支度をしていたが、なかなか蓮が起きてくれない。全く、受験が終わったら、気が抜けたのだろうか。何度か起こしてみたのだが、朝ごはんを食べに来る様子はない。この調子だとちょっとまずい。何がまずいかといえば

 今日は、バレンタインデーなのだ。

 バレンタインだから、チョコを作ろうと思って予定を立てたんだ。朝起きて、早めに朝ご飯の支度を済ませておく。そして、蓮をとっとと病院に送りだす。病院に行く予定があることは、元から知っていた。だから、午前中に蓮に病院に行ってもらい、その間にチョコを作ろうと思ったのだ。

 そして、午後には彼方のところに行って、少しチョコをおすそ分けしようと思う。せっかく作るんだし、彼方にも食べさせてあげたいんだ。そのあとは…。まあ、成り行きに任せようと思っていたんだけど、

「蓮が起きないなぁ」

 これじゃあ、予定が狂っちゃう。チョコを作る時間だって必要だから、早く家を離れてほしいのに、起きてくれる気配すらない。朝ゴハンの準備を済ませながら、今日のチョコの材料確認をしていると

「眩し」

 と、二階から蓮の声が聞こえた。私は急いで材料をすべて隠すと、蓮を催促した。

「朝ごはん食べちゃうよ」

「今行く」

 と、眠そうな彼の声が聞こえた。時間的にはかなりギリギリだけど、まだ間に合うかな。時計を見ながら、これからの行動のタイムテーブルを組み立てて、ある程度算段はついた。と思ったのだが、声がしてから彼が降りてこない。しびれを切らした私は、もう一度彼を催促した。

「蓮ってば。ご飯冷めちゃうよ。」

「ごめんごめん」

 と言って、ようやく蓮が降りてくる音がした。時間が無いので、とにかく彼を急かす。

「着替えなくていいから、とっとと食べよ」

 と言って、強引に朝ご飯を食べさせた。食事中も、なるべく早く病院に行って欲しかったから、話しかけないでいた。予想通りに、いつもより少しだけ早くご飯を食べ終えた蓮は、律儀に食器を運んでくれた。

「ご馳走様。今日、ちょっと病院に行ってくるね」

 私はなるべく知らないふりをする。

「病院?蓮、また彼方に逢いに行くの?」

「いや、自分の方だよ。一段落したから、ちゃんと検査も受けたいし」

 そういう彼に、私は少し前のことを想いながら言った。

「こないだ倒れてたしね。分かったよ。早めに行って、早く帰ってきてね。」

「歯磨きしたらすぐ行くよ」

 そう言って蓮は、食器を片付けて、洗面所に向かった。それから蓮は、一度自室に戻った後に、自分のバッグを持って、

「それじゃあ、行ってくる」

 と言って出かけた。本当なら見送りもしてあげたいが、そんな時間は残っていない。私は急いでチョコの作り方を確認して、制作に取り掛かった。

 と言っても、今回作るのは簡単な生チョコとクランチなんだ。どちらも手頃な材料と、短い時間で作れる。とネットの記事や友達の意見を参考にして決めたんだけどね。

 先に生チョコを作ることにした。生チョコなら、何度か作ったことがあったから慣れている。彼方がいなくなってから、暇な時間に少し作ってみていた時期があるんだ。彼方には隠しちゃってたけどね。

 適当にチョコを割って、ボールで湯煎する。生クリームを混ぜたら、完璧に溶けるまで湯煎しながらかき混ぜる。溶けきったら容器に移して冷やすだけだ。一つ一つ手順を確認するまでもなく、流れ作業として完結させた。早くクランチ制作に取り掛かりたかったんだ。

 クランチもほとんど同じ要領で作れた。ただ、生クリームではなく、フレークなどに変わっただけだった。作業工程自体が変わらなければ、さっきと同じ感じにすればできる。これを食べている蓮の姿を夢想しながら、フレークになるチョコを作った。

 何とか予定していた時間には作ることが出来た。けど、今度は別の不安が生まれた。それは、蓮が帰ってこないことだ。いつもなら1時間ぐらいで帰ってくるのに、一時間半経ってもまだ連絡さえないんだ。

 今度はお昼になってしまう。お昼を食べ終える頃には、チョコが完成している予定で、食べ終えたらすぐに彼方のところに行く予定なので、お昼は時間通りに食べたいんだけど。

「蓮、ちゃんと帰ってくるかなぁ」

 このままじゃ面会時間に間に合わなくなってしまうので、とりあえずお昼ご飯を作って、自分だけ食べた。休日の面会時間は午後が速いから、注意しなきゃいけないんだ。

 一人でお昼ご飯を食べてしまうのは気が引けたし、寂しかったけど、仕方ない。先に蓮の分も作って盛り付けておいた。全部並べて、ラップまでかけ終えたのに、蓮は帰ってこなかった。もう待てないと思って、一人分の食事を平らげてしまった。

 これ以上待っても蓮が帰ってこないなら、倒れている心配もあるから探しに行く。どちらにしても、着替えようと思い、外に行ける服装に着替えることにした。着替えてる最中もチョコを食べている蓮の姿がチラチラして、集中できなかった。着替えを済ませ、もう出かけようと思った時に、

「ただいま」

 と、蓮は帰ってきた。

「おかえり。ご飯ここに置いとくから、勝手に食べといてね」

 焦っていたから少しそっけない返事だったと後悔した。

「どっか行くの?」

 急いでるんだから、聞かれたくはなかったけど、蓮の無視はできないから、とにかく返事はしておく。こんなところで仲が悪くなったりはしたくない。

「彼方に会いたくなったからね」

 自分でも適当な理由だと思ったし、蓮も少し気がついたみたいだけど、方っておいてくれた。

「なるほど。それじゃあ、早めに行ってきた方がいいね。」

 蓮が食事の支度を済ませている間に、残りの準備を済ませて、彼方のチョコの確認をした。玄関で靴を履くと、立ち上がって

「行ってきます」

 と言って出かけた。

 時計を見たが、まだ何とか時間はありそうだったので、ほっとした。これからチョコをあげに行くと言っても、彼方だからあまり緊張はしなかった。バスに乗っていると、なんとなく昔のバレンタインを思い出した。

 これまでは、人にチョコを渡すことなんてほとんどなかった。あげたのは、お父さんぐらいしかいない。

 彼方が元気だった頃。と言っても、きっとあの頃から調子は悪かっただろうけど、まだ家にいた頃に、一緒にチョコを作ったことがあった。作ったのは、今と同じ生チョコだった。小学生2人が作ったものだったけど、お父さんはすごい喜んでくれて、嬉しかった。でも、それ以来彼方とチョコを作れなかった。それに、自分に好きな人が出来たこともなかったから、お父さんのためにしか作らなかった。

 今思い返してみたら、こうやって、彼方にチョコを渡すこともなかった。今あげたら、彼方はどんな顔をするのかな優しく笑ってくれるかな。いつもの様に茶化してくるのかな。

 上の空でいたら、危うく病院前のバス停を乗り過ごすところだった。急いでバスをおり、病院に入った。直ぐに面会許可を貰い、彼方の部屋に向かった。

「入るよ~」

 と声をかけて病室に入ろうとすると、彼方の声に止められた。

「お姉ちゃん?ちょっとまってて。」

 何やらゴソゴソと音がした。最後に、引き出しを閉めるような音がしてから、

「いいよ~」

 と彼方の声がした。  扉を開けると、いつもは寝ている彼方が今日は起きていた。彼方は私に時間感覚を忘れさせるような挨拶をした。

「久しぶり」

 すかさず私は彼方のボケにツッコんだ。

「いや、昨日あったばっかじゃん。 それより、ほら。ハッピーバレンタイン。」

 と言って丁寧に自分でラッピングしたチョコを荷物から取り出した。彼方の手に直接手渡すと、嬉しくも複雑そうな顔をして

「ありがと、お姉ちゃん」

 と言って、優しく受け取った。複雑そうな表情が気にかかったけど、とりあえずは見なかったことにする。

 渡してから大切なことを見落としていることに気がついて、彼方に聞いてみた。

「彼方ってチョコ食べられるの?」

 食べられなかったらどうしよう?と、内心焦っていると、

「大丈夫だよ。普通に食べられるようになったから。 それより、このチョコどうしたの?蓮にフられたの?」

 からかわれているとわかっていながらも、顔を真っ赤にしながら私は答えた。

「そんなわけないから!!!! これは彼方のために作ったチョコだよ!!」

 と、半分怒ってしまった。言ってから私が言い過ぎたと反省していると、彼方は、私のことを笑った。

「あはは、お姉ちゃん大人気ないよね。まあ、私のお姉ちゃんの事だからね。それに、まだ蓮に伝える気もないんだろうし。 それより、1個チョコ食べてもいい?」

 と、私のラッピングを丁寧に解いて、チョコを眺めている彼方に、私は落ち着きを取り戻して言う。

「いいよ。長持ちしないから、生チョコを先に食べて欲しいかな。」

「はいはい。それじゃあ、1口」

 彼方の小さい口にチョコが半分ほど入っていった。すると、彼方の顔がすごい嬉しそうな顔に変わり

「おいし~」

 と言った。正直、彼方がチョコを食べるほど回復してるとは思わなかったし、まだ信じられていない。でも、チョコを食べて、美味しいって言ってもらえて何より嬉しかった。

「お姉ちゃんの生チョコ美味しくなったね。すごい口溶け良くて、感動したよ。」

 何故か私の成長を感動している彼方を眺めた。私の昔の失敗作を知っているからこそ、褒めてもらえるのは嬉しい。

「感動するほど美味しくできてたなら、良かった。まあ、二日三日は持つから、あんまり焦らないで食べてね。」

 彼方の体の状態がわからないから、少なめにしておいた。彼方なら自分の体のことをを考えないで一日で食べちゃうかもしれないと思って、先に年を押した。

「もちろん。それよりさぁ~」

 と言って、彼方の病院事情や愚痴やを聞かされた。延々と続いたけど、なんだかんだで面白く話してくれるから、嫌な気分にはならなかった。それは、彼方が私のことを気遣って、少し冗談を交えてくれうから、飽きないのかもしれない。

 ふと、昔の御見舞の風景をお見だす。私一人でお見舞いに来る時はよくこういう話を聞かせてくれた。でも、中三になって全然会えてなかったから、相当溜まっていただろう。気がつけば、日は傾き、面会時間の終わりが迫っていた。時計を見た私は

「ねぇ、彼方。そろそろ時間だから、帰るね」

 と言うと、かなたも病室の時計を見た。時間は面会時間の終わり間際だった。

「そっか、そんな時間になっちゃってたかぁ。まあ、これからも来てくれるんだろうし、また話そっか。」

「うん。それじゃあ、チョコちゃんと食べといてね。」

 彼方は、私が上げたチョコを大切そうに棚の上においてくれた。

「美味しく食べとくよ。  ばいばい。」

 と言って、手を降る彼方に、私も手を振り返す。

「ばいばい」

 といって、彼方の病室を出た。傾き出した日を背に、家に向かうのだった。バスに乗りこみ、また考え込む。どうして彼方はあんな表情だったんだろうかと。複雑そうな、何かを隠している表情だった。何を隠していたのか、皆目見当もつかない。私が行く前に何かあったのかな。病気の事じゃなきゃいいんだけど。

 なんて、杞憂に振り回されながらも、家に帰るのだった。

updatedupdated2024-11-072024-11-07