懐かしい入院生活に戻って

んか、今日の暁さんはご機嫌だった。朝あんだけ寝坊したのに、怒ってないのは意外に感じる。しかもその御機嫌のまま、生姜焼きまで作ってくれた。肉の香ばしい香りと、しょうがの香りがいいハーモニーを奏でている。だいたい料理番組のコメントには、ハーモニーが使われてると思うのは僕だけだろうか。今日の僕のチャーハンと泊rべものにならないほど美味しそうな生姜焼きが作られていた。

「ほら、ご飯になるから準備してね」

「分かった」

 言われたとおりに、食卓の準備をして、ご飯を並べ終えた。暁さんの方を見ると、鼻歌歌いながら調理器具の片付けをしていた。なんでこんなに元気なのやら。塾に好きな先生でもいるのかな。元気な彼女を見ると、色々とほっとする。

「それじゃあ、食べよっか」

 いつの間にか片付けを終えて、自分の席に座っている暁さんが言った。

「そうだね」

 二人で、向かい合った席に座ったのを確認すると、息を合わせた合掌した。

「いただきます」

 生姜焼きは、絶妙な味つっけと肉の旨味で、完璧な風味を醸し出していた。しょっぱ過ぎず、辛すぎず、ご飯が進む味付けで、非の打ちようがない。ふと、暁さんが作った生姜焼きを食べながら、過去に自分が作った生姜焼きを思い起こした。

 最初は、学校の調理実習で作らされた時。何が悪かったのか、ものすごいしょっぱい味付けになり、みんなで押し付け合いながら食べた。その日に、親に作ってみろと言われて、母親と一緒に適当にやった時は美味しく作れた。ほとんどお母さんのおかげだったけどね。それでも、この味付けにはかなわない。僕が暁さんの料理の虜になっていると、暁さんはふと質問をしてきた。

「そういえば、蓮」

「どうしたの?」

 暁さんは少し心配そうな表情をしながら問いた。

「朝ごはんとお昼ご飯は何食べたの?」

 そんな顔をしながら聞かれることが、ご飯のこととは思わなかった。そこまで僕の食生活が心配されるなんて。なるべく心配をかけさせないように答える。

「朝は適当にトースト1枚だよ」

「よくこのトースト1枚で足りるね、お昼は?」

「昼は適当にチャーハンにしたよ」

 すると、暁さんは驚いた様子で言った。

「適当にやってチャーハン作れるの?もしかして連って料理得意なの?」

 僕はなるべくその言葉を否定した。

「全然得意じゃないよ。ただ、今の時代は、ネットで検索すればなんでも出てくるから、それ通りにやっただけだよ。」

「それでも十分だと思うけどね。それじゃあ、昼はガッツリ食べた感じ?」

「いや、そんなに量は食べてないかな。」

 と僕が言うと、暁さんの表情が一変した。僕なにか悪いことを言ったっけかな、と思ったけど、そうでもないみたい。

「そういえば明日のことってちゃんとわかってるの?」

「明日のこと?」

 僕が問い返すと、暁さんは呆れるように答えた。

「明日は公立高校の前期出願でしょ。授業は無しで、願書貰ったらすぐに高校に行くんだよ。」

 僕は動いていた箸が硬直するほどに驚いた。

「知らなかった」

 すると、暁さんは仕方ないなあという様子で、話を続けた。

「ちゃんとそういうのは聞いときなよ。蓮はどこ受けるの?」

 どう答えようか迷ったけど、少し濁してそれっぽく答える。

「県内最高峰」

「んじゃあ、私と一緒だろうから、一緒に行こうか」

 きょうはここまで

「そうだね そもそも僕は行き方すら知らないから、着いてくしかないだろうけど」

「この家からかなり近いんだけどなぁ まあ、私が連れてってあげるよ」

「お願いします」

「でも、蓮も元々この辺に住んでたんでしょ?」

「そうだよ」

「なのになんで知らないの?」

「なんでなんだろうね」

「部活とかに入ってなければ、練習試合とかないからかなぁ それでも行きそうな気はするけどなぁ」

「中学生が高校にはいる時ってどんな時がある?」

「何かしらの試験を受けに行くとか、それこそ練習試合とか あとは、うちの学校なら、先輩たちの学園祭を見に行くとか」

「どれにも当てはまるものがないんだよなぁ」

「まあ、蓮はずっと入院してたわけだしね」

「そうなんだよ だから、学校見学とかどこにも行ってないし」

「よくそれであそこ受けようと思ったよねぇ」

「成績的に受かりそうって色んな人に言われたから」

「さすがに人の意見に流され過ぎじゃない? もうちょっと自分の意見を持とうよ」

「仕方ないじゃん ずっと病院にいたから何がどうなのかわかんないんだし」

「全く、世話の焼ける人だねぇ」

「すいません」

「仕方ないとは思うけどさ 今日とか暇だったんだろうし、ちょっとぐらい調べときなよ」

「ごめんごめん」

「それじゃあ、明日は一緒に行こっか」

「お願い」

「はいはい それじゃ、今日はちゃんと寝るんだよ」

「分かってるよ」

それからは、特に何もすることがなく、久しぶりに早く布団に入れた気がする。

次の日

 いつものように登校したのはいいのだが、忘れ物、というか、忘れごとをしてしまった。朝に薬を飲むのを忘れたのだ。登校中も、なんか変な感じがしていたのだが、そのまま無視してしまったのは、愚策だったと思う。いつもと異なる体の軽さと、時々くる激痛が天地の差のようだった。

 久しぶりに薬を飲まない時の痛みを感じたが、はっきり言って辛い。普通の人はこんな気持ちをしなくて済むというのがとにかく羨ましく思ってしまった。今の僕には、薬無しではこうやって歩くことすらままならないんだ。それは今更悔やむことはないって思ってたけど、新生活になって、やっぱり悔しく思うようになった。

 いまは、暁さんと一緒に公立高校の願書を提出に来ている。高校までの道のりは、暁さんが全部教えてくれたので、ただついていくだけで済んだ。ただ、願書の提出は順番製で、僕らは少し遅れてしまったから、まだ提出できないでいる。

 少しでも早く自分の番が来ることを祈るばかり。体育館に並べられた椅子に座ってじっと待っている時でも、病気は待ってくれない。暇さえあれば僕の体を痛めつけてくるのだ。早く帰って、薬を飲みたいと願い続けていたら、いつの間にか自分の番がやってきたみたいだ。もう少しでこの痛みから開放されると思うと、少し気が緩む。

「次の方どうぞ」

 と、高校の先生らしき人に呼ばれた。歩いてその一の前まで行くと、自分の願書を差し出しながら

「これでお願いします」

 といって、一式を渡したその瞬間。

 これまでに感じたこともないような激痛に見舞われた。さっき気が緩んだせいか、不意を突かれたのもあって、痛みで思考の泡がはじけ飛ぶ。五感が消え失せて、ただ真っ暗闇の中に閉じ込められた。立っていることさえ出来なくなり、蹲った。でも、それで痛みが収まる訳でもない。手で心臓のあたりを抑えながら、発作が通り過ぎるのをひたすらに待つしかない。

 完全に意識が沈んでしまったせいか、痛みすらも感じなくなっていた。だから、痛みに閉ざされた世界で、自分を責め立てる。降圧剤も鎮痛剤も飲んでないと、こんなにも僕の体は弱かったっけ。いつも薬を飲んでいるし、それが当たり前になっていたから、気づけなかった。高校の先生には最悪の第一印象だろうし、暁さんもこんなことになるとは思ってなかったはずだ。

 少しだけ痛みの波が過ぎ去ったから、どうにか目を開けた。ポケットにしまっていたスマホで救急車を呼ぼうとしたけど、うまく操作できない。左手は心臓を抑えているから、右手だけの操作に慣れていないせいで、119のさん文字が打てなかった。

 そして、もう一度痛みの波が僕の心臓を襲った。内側から包丁で切り裂かれたような痛みを感じた。耳の奥の方で、暁さんが必死に叫んでいるような気がした。そして、そのまま僕の意識は痛みと共に闇に吸い込まれていった。

「うわっ!」

 起きると、いつか見た風景が広がっていた。1面真っ白に整えられている空間。そこに、1人で横たわっていた。さっきまでの痛みが引いたことは良かったと思うけど、これはこれで大問題ができてしまった。目が冷めたら、前まで入院していた病院のベッドに寝ていたんだから。

「おっはよー」

 いつか聞いた懐かしい声が聞こえた。さっきよりも重くなった体を動かしながら、声のした方に向く。すると、いつかの様子で、僕の隣のベッドに横たわる少女の姿があった。

「彼方さん?」

 すると、当の少女はニコニコしながら話す。

「良かった~。起きたんだね。外で待ってる、お姉ちゃんに声かけとくよ。」

「ありがとう」

 と言うと、彼方は小さな携帯電話を操作して、暁さんに連絡してくれているようだ。状況の整理をしてみようと思ったけど、それより前に暁さんが部屋に入ってきた。病室に入るなり、暁さんは僕の方へ駆け寄ってきた。

「元気になってよかった~。まったく、大変だったんだからね。」

 という暁さんに、僕は謝罪する他なかった。

「ご迷惑をおかけしました」

 すると、暁さんは僕と彼方のベッドの間の椅子に座った。

「まあ、少し元気になったみたいだし、ちゃんと起きてられてるから安心したよ。」

 ふと、暁さんの向こうから不満か嫉妬の声が上がった。

「2人とも仲良いね」

 その声に、暁さんは少し椅子を引いて僕達二人が見えるようにしてから、問いかけてきた。

「そういえば、彼方と蓮って知り合いなの?」

 僕は彼方と視線を合わせると、彼方が目をそらしたので、僕が答える。

「患者同士で、仲良くなることは滅多にないんだけど、話したことならあるよ」

「そうなんだ。それはいつの話?」

 僕は、チラチラ彼方の方を見て、彼方が答えてくれるのを待った。でも、答えてくれなさそうだから、暁さんと二人で話をする。

「前に僕が入院してた時の話だね。たまたま、今と同じ場所に二人でいたから、少しだけ話をしたんだよ。」

「そうだったんだ。でも、患者同士で仲良くなることが少ないのはなんでなの?」

 と、暁さんは純粋な疑問に満ちた視線で僕を見た。答えにくい質問だから、少し濁して答えた。

「それは、まあ、こんなとこにいるからかな」

 すると、さっきまで話に入ってこなかった彼方が割り込んだ。

「そそ、私たちみたいな人ばっかだからさ。下手に話しかけにくいんだよね。」

 すると、暁さんは僕の言葉ではなく、彼方の言葉に納得した様子を示した。

「なるほど」

 ふと流れが切れたのを感じると、僕はさっきから気になっていたことを暁さんに聞いた。

「それよりも、僕が倒れたあとってどんな感じだったの?」

 すると、暁さんは遠い思い出でも語るような顔つきをした。

「色々大変だったんだよ~」

 といって、あの後のことを語ってくれた。

「蓮!!」

 咄嗟に私は叫んでいた。朝からなんとなく様子がおかしかった八雲くんが、倒れたのだ。胸の当たりを抑えたまま動かなくなっている。

「すみません!!」

 と、私は一声発したあと、鞄から取り出したスマホで救急車を呼んだ。救急車が来るまで大体五分ほど。それまでの間は何をしたらいいのだろうか。そもそも私は彼の病気が何なのかさえ知らないのだ。下手なことをすれば、戻らなくなってしまうかもしれない。

 どうにか、自分の頭を使って最適な行動を探す。さっき心臓の辺りを押さえていたから、きっと心臓関係か肺関係だと思う。じゃあ、心臓マッサージをしてみるべきか。取り敢えず脈を取ってみると、ちゃんとしていた。

 ふと顔を上げて、高校の先生の顔陶器を見ると、咄嗟の自体になにをしたらいいのかわからない様子だった。少しでも手助けしてくれる一がいないかと思ったんだけど、期待できなさそうだ。

 じゃあ、どうしたらいいのだろう。とりあえず蓮がうつ伏せになって倒れたのを、仰向けの気楽な姿勢に直してあげた。その他には、できることは特に無さそうだった。脈も少し強くて速いけど、止まることはなさそうだし、息もちゃんとしているでも、意識は無い。

 きっと、これから蓮を連れて救急車に乗ることになると思うから、荷物を全部まとめることにした。あと、2人分の願書を高校の先生に手渡した。緊急事態だから、手続きは多分やっておいてくれるように信じた。すぐに帰れる準備を整え終わったその時

「患者さんはどこですか?」

 救急隊員の声がした。必死の思い出、私は救急隊員に場所を伝える。

「ここにいます!」

 救急隊員は、担架に彼を載せると、そのまま体育館の外の救急車に運び込まれて行った。救急隊員に同伴してほしいと言われたので、荷物を持って救急車に乗った。やや乱暴な運転で救急車は高校の敷地を出た。

 救急車に乗ったからと言って、安心出来るわけではなさそうだった。救急隊員の話を聞くに、なんの病気なのかがなかなか分からなかったらしい。同伴している私にも色々聞かれたけど、答えられうことは少なかった。常飲している薬のこともあるから、救急治療は難航した。

 やっぱり、心臓を押えて倒れ込んだと伝えても、何が原因なのか分からないらしい。救急隊員も、この車の中でできうる限りの検査をして、原因を突き止めようとした。

 どうなるか分からない。このまま帰ってこなくなるかもしれない。心配の渦に飲み込まれそうになっていたら、もう病院に着いたらしい。そのまま、八雲くんは救急治療室に運び込まれて行った。すると、ちょっと変わった風貌の先生が、落ち着いた様子で私に話しかけた。

「彼の名前は八雲 蓮で合ってますか」

「合ってます」

 それを聞くと、諒解した様子で、救急治療室に入ると手際よく治療をし始めた。注射や点滴を済ませると、すぐに救急治療室から運び出された。治療を終えた医師が、急なことで疲れた様子で、部屋から出てきた。私が顔を上げると、言葉を発する前に、医者が話し始めた。

「申し遅れました。八雲くんの担当医の者です。」

 さっきの治療の判断が早かった理由に合点がいった。安堵の息が心から溢れ出た。

 一息ついてから、私も名乗ろうかなって思った。そしたら、私は八雲くんの何に当たるんだろうか。考えているうちに、眼光の先生のような姿勢で、医師が話した。

「君が八雲くんのお世話してくれてる人かな?」

 少し気恥ずかしいけど、あながち間違いでもないし、別の言い回しも思い浮かばないので、認める。

「はい、そうです」

 医師は軽い笑いを浮かべながら、

「まあ、こんな感じだけど、八雲くんをよろしくね」

 と答えた。私はその笑みの裏に隠された心を探ろうとしたけど、つかめなかった。

「は、はあ」

「それじゃあ、君は八雲くんの病室に行ってきたらどうかな」

 先生は、私に彼の病室の番号を書いた紙を手渡してくれた。私はその数字に見覚えがあったけど、多分そんなことはないと、思考を払拭した

「ありがとうございました」

 さっきの治療といい、今の話でも、私の心を落ち着かせてくれたお礼を言った。

「はは。私と八雲君の仲だからいいよ。それじゃ、連れて行ってあげなさい。」

 と言うと、医師本人は誰もいない集中治療室に戻っていってしまった。反対に私は、看護師たちに導かれてこの部屋にやってきた。

 ということらしい。暁さんの話が終わると、僕は率直に誤った。

「なんかごめんね」

 すると、暁さんはかつての母を思い出させるような話し方をした。

「まあ、いいけどね。それより、今日は薬飲み忘れたの?」

 バツが悪いなぁと思いながら、僕は答えた。

「忘れちゃったんだよ。だから、こんな大惨事になったって訳。  それと、願書はどうなった?」

 これ以上言われたくなかった僕は、無理やり話をそらした。どうせ願書が提出できなくっても、問題はないけど、少し気になってもいたんだ。

「あの後、全部提出だけしたから、多分大丈夫だと思う。君のせいで受験できなくなったら、恨むからね。」

 と、今更のように言われてしまった。でも、その顔は笑っていたから安心した。病室では味わったことのない、和やかな空気が漂った。その空気を断ち切りたくはなかったけど、一番重要な問題を聞いた。

「僕って退院出来んのかな?」

 すると、暁さんは軽い口調で言った。

「2日3日寝たら退院してもいいってよ」

 すると、僕よりも先に彼方が反応した。

「良かった~」

 その横で、僕も安心した。2,3日で退院できること。そして、暁さんには僕の病状が伝わっていないことに。

 暁さんは、彼方の方に向いていた僕の瞳を覗き込むようにした。

「だから、退院するまでは、毎日お見舞いに来るから」

 否応でも意識させようとするその姿勢に、僕は応じてあげた。

「ありがとう」

 すると、彼方が僕達の方を見ながら、からかうように言った。

「ほんっとお姉ちゃんと八雲くんって仲良いよね。もしかして、恋仲?」

 僕らは、二人して一緒に否定した。

「違う違う」

 口では軽く笑って言いながら、僕は彼方のことを少し睨んだ。でも、彼方はそのからかいの視線をやめなかった。

「じゃあなんなの?居候させてるとは聞いてたけどさ。」

「居候かな」

 先に暁さんが答えたのに合わえて、僕も答えた。

「居候だね」

 すると、彼方は心底つまらない様子で言った。

「つまんないなぁ。こんなにも仲良いのに、認めようとしないなんて。  でも、これから毎日お姉ちゃんに会えるんだね」

 その言葉に、さっきより一層嬉しそうな表情で、暁さんは答えた。

「そうなるね」

 そんな姉妹の会話に、僕は疑問を投げた。

「そういえば、お見舞いってこれまでも来てたの?」

 すると、暁さんが答えると思ってたけど、彼方が拗ねたように答えた。

「お姉ちゃんほとんど来なかったんだよ。忙しいからって言ってさ。」

 そんな彼方の様子を見て、暁さんは謝意を込めながら続けた。

「ほんとに忙しかったからね。昔はよく来たんだけど、最近だと半年に1回とかだったかな。」

 僕は、いつかの入院生活を思い出しながら、答えた。

「そうだったんだ。まあ、確かに光がお見舞いに来てるところは見た事ないなぁ。」

 すると、暁さんはニッコリと笑いながら言った。

「ま、これから毎日見られるようになるから。それじゃあ、私はそろそろ帰るね。」

 僕と彼方は、息を合わせながら暁さんを見送った。

「また明日~」

 病室から完全に暁さんがいなくなったのを確認してから、彼方は僕に言った。

「いや~、君も無理するね」

 僕は、その言葉に見当もつかなかった。

「なんのこと?」

 すると、彼方は呆れたように見える表情で言った。

「だって、この病院抜け出したんでしょ?しかも、戻ってこなかったってことは、バレなかったんでしょ?」

 その言葉に、僕は苦笑しながら、つい先日の話をした。

「あの時は大変だったね。色々とタイミングを見はからって、無理に抜け出したよ。しかも、何故か学校の先生とかも、怪しまれなかったから、今日まではどうにかなってたんだ。」

 彼方は、子供とは思えない表情で僕の向こう側を見ながら言った。

「まあ、それでお姉ちゃんに会えたんだね。お姉ちゃんと仲良くなれて良かったよ。」

 彼方の言葉に少し遠い言葉が込められていると感じた。だから、僕は彼方を元気づけるように言った。

「まあ、何とか仲良くなれてよかったよ。このまま行けば、君と僕の夢も叶うと思うよ。」

 すると、彼方は意外そうに言った。

「あれって、君の夢にもなったの?」

 僕は、少し前の自分を恥じるように答えた。

「僕にはなんの夢も希望もなかったからね。ちょっとだけ意味が違うけど、自分の目標になったんだよ」

 彼方は、少し申し訳無さそうな口調をして言う。

「それなら良かった。あの時は、無理なお願いだと思ったのに、叶えようとしてくれるんだから。まあでも、今の話を聞いてると、君らしいなぁって感じ。」

「そうかな?」

「うん。だって、君はなにかやろうと思ったら、何捨てでてもやり遂げる感じがしたんだ。まあ、だから頼んだよ」

 少しの遊び心で、堅い口調になってみた。

「頼まれました」

「それじゃあ、今日は休むね」

 すると、彼方は僕と反対の方を向いてしまった。僕は、彼方の背中に言葉を投げる。

「またね」

 すぐに彼方は寝てしまったようだ。彼女だって、末期癌を患っているのだ。あの元気さに飲まれて、忘れてしまいそうになるが、彼女も僕と同じ病人なんだ。

 現実の不平等さが眼前に見える。あんな小さい子供(僕もか)が、重病人として入院しているのに、80を超えた老人はピンピンしているのだ。

 久しぶりに見た病室の雰囲気は、なかなか懐かしいものだった。このアルコールの匂い。何度も窓から眺めたこの夕焼けは死ぬまで忘れはしないだろう。

明るい入院生活

 次の日も、昔の日常のようなだった。

 また、朦朧とした意識の中で考える。今の僕にできることはなんだろう。この2日間彼方のことを見てきて、もっと頑張りたくなった。でも、今の僕は何をしたらいいのかがわからない。

 このまま退院して、高校受験をする。それで高校に入れたとして、なんの意味があるんだろう。仮に暁さんと同じ高校に通えたとしても、その先になにがあるんだろう。

 朦朧とした意識の中じゃ考えがまとまらないことに、いらだちを覚える。

 ずっと、目を向けないできたこと。自分の生きる意味への問。病人として、薬を飲み、機材を使い、何も出来ずに息絶える。その事に意味はあるのか。

 それに、なぜだろう。同じ病人で、僕よりも長くは生きないと思う彼方の方が価値のある命の気がする。僕のほうが、ただ虚しい人生送るような気がする。僕らにはどんな相違があるのか。

 家族がいるかいないかだろうか。確かに結構な違いかもしれない。誰かの支えになっているのかだろうか。僕は、これから暁さんの支えになるつもりだ。

 でも、そこなのかもしれない。今の僕じゃダメなんだ。急いで変わらなきゃ。

 まだ、太陽が真南に見える頃に

「やっほ~」

 暁さんは僕らの病室に入ってきた。さっきまでの夢のような思考から目を覚ます。ふと、確実におかしいことに気がついて、暁さんに聞いた。

「あれ、今日は早く来れたの?」

 すると、暁さんは少しつまらなさそうに答えた。

「ん。学校が昼前に終わったからね。受験前の特別期間だってさ。」

 僕は、昔なら嘘だった願望を口にした。

「早く学校に行きたいなぁ」

 すると、暁さんは嬉しいニュースを伝えたくれた。

「明日退院だってよ。退院出来て良かったね。」

「ホントだよ。これで受験に行ける。」

 暁さんは近くに掛けられているカレンダーを見ながら言う。

「そうだったね。あと五日間あるから頑張ろうね。」

 後たった五日間しかないんだっけ。内心大焦りをしたけど、そんなことを暁さんにエバ、また呆れられると思って、平静を装って答えた。

「同じ高校入れたら楽しいだろうなぁ」

「そう成れるように頑張らなくちゃ」

 気がついたら、彼方が起きていたらしい。

「昼間から楽しそうだね。私も混ぜてよ。」

 すると、暁さんはこの前のやり返しのように、彼方をからかった。

「あれ、まだ彼方にはこの話は早いんじゃないかな?」

 すると、彼方は可愛く怒った。

「そんなことないもん」

 僕は、二人の間を取り繕うように、別の話を持ち出した。

「まあまあ。そういえば、彼方っていつ頃からここにいるの?」

 すると、彼方が天井を見ながら答えた。

「ん~。たしかこれで4年目ぐらいじゃない?小学3年生の時からいるからね。」

 入院したのが小学3年生ってことは、今はまだ小学六年生ぐらいなのか。たった12年の人生の3分の1をここで過ごしていると思うと、驚きと別の何かが湧いてきた。

「そうだったんだ。僕がここに来た時にはもう居たから、気になったんだ。それと、彼方の誕生日っていつなの?」

 彼方は、何故か遠い昔のことのように答えた。

「7月1日だっけか」

 僕は、自分の誕生日をオンもい出しながらつぶやいた。

「僕は七夕生まれだから、結構近いね」

「お姉ちゃんも6月生まれだよ」

 すると、会話において行かれていた暁さんが、それとなく入ってきた。

「ここ3人は誕生日が近いんだね」

 僕はこの三人が無事に誕生日を向かられた世界を思い浮かべながら言った。

「そしたら、お祝いが連続するから楽しいね」

 それに合わせて、彼方も言った。

「ケーキがいっぱい食べられるね」

 誕生日談義を聞きながら、僕は三人を俯瞰したように言った。

「この3人で話していると楽しいよね」

 すると、暁さんも楽しそうに言う。

「そうだね。受検終わったら、なるべくお見舞いに多く来ようね。」

 僕は、退院できた未来を想像してみた。

「そうしよっか」

 その後も楽しく雑談は続いた。僕と暁さんだけだと少し真面目な感じであまり面白くはないが、彼方が混ざると話が弾む。彼方は万能なムードメーカーになってくれる。ときにはからかい、時にはからかわれてくれる。おかげで、いつもにない話の展開になって面白かった。僕もこういう人になれたらいいな。

 受験間近なのに、勉強していないのが心配になるほど、ギリギリまで話し込んでしまった。日が暮れて、星空が見える頃になってから、暁さんは帰っていった。

 早く暁さんの家に行きたい。心ではそう思っても、なるべく顔には出さないようにしている。きっと、彼方の方が家に帰りたいと思う気持ちが強いだろう。けど、悲しいことに彼方はどうしても家には帰れないんだ。外出許可はなかなか降りないと思う。だから、彼方のためにも、家に帰りたいという思いは出せない。

 ふと星空を眺めていた僕に、言葉が当たった。

「ねね、八雲くん」

 僕は振り返りながら彼方に答えた。

「ん、なに」

 すると、昨日とは違って僕の顔を直視しながら、彼方は言う。

「八雲くんってお姉ちゃんと同居してるんでしょ?」

「そうだよ」

「それに、お姉ちゃんと同い年でしょ?」

「うん」

 そこで、彼方は突飛押しもないと思うことを言い出した。

「わざわざ八雲くんって呼ぶのめんどくさいから、お兄ちゃんじゃダメ?」

 僕は嫌な思い出を払拭するために、唸った。

「う~ん」

 でも、彼方はそれを無視したように、頑なに言った。

「良いよね?」

「はい」

 一瞬気圧されてしまったが、これからお兄ちゃんと呼ばれるとは思わなかった。確かに同居人の妹だし、感覚的にはわかる気もする。でも違和感があるんだ。今更訂正できない様子だけど。

「お兄ちゃんさ」

 僕は、その呼び名のことはもう諦めて答えた。

「ん?」

 少しさみしそうな表情で、彼方は言う。

「明日帰っちゃうんでしょ?」

 僕は、きついいいかなになら似ように考えながら答えた。

「まあ、そうだね」

 すると、彼方は希望の表情で言った。

「じゃあさ、これからもお見舞いに来てね」

「もちろん」

 それから、念押しをした。

「あと、わかってるだろうけど、お姉ちゃんをよろしくね」

 もう決心したことを念押しされると、少し嫌な気分になってしまった。

「わかってるさ」

「お姉ちゃんにとっても、私にとっても、お兄ちゃんは家族の一員なんだからね」

「家族、か」

 家族という存在から無縁な僕にとって、強い響きの言葉だった。家族の一員になった。それは、あの人たちのことを消し去ることでもあるんだ。

「じゃあさ、お兄ちゃんの家族の話を聞かせてよ」

 僕は、遠回しに話したくないというふうに答えた。

「前に言わなかったっけ?」

 僕のその医師を見透かした上で、彼方は更に問い詰めた。

「きっと伝えてないことがあるんでしょ。私にも、もしかしたらお姉ちゃんにも。」

 ちょっと寝返りを打ち、彼方と反対の方を向いて考えた。

 彼女には伝えてもいいのだろうか。ほとんど誰にも伝えていない家族のこと。暁さんにさえ、嘘で隠していることを。

 ここで彼方に伝えたら、暁さんを裏切ることになる気がする。でも、病人同士という理由か、凄く信頼している。それに、彼方には一切の嘘が通じないのがわかる。だから、下手な嘘を突くぐらいなら、話してもいいかなって思ってしまう。

 彼方には伝えよう。この僕の家族について。

 決心がついた僕は、もう一度寝返って、彼方のことを見た。

「いいよ。教えてあげる。でも、暁さんには伝えないでね。」

 すると、僕が暁さんと呼ぶことに違和感を覚えたようで、少し微笑んだ。

「わかった。お姉ちゃんには言わないよ。病人の絆って感じかな。」

 そして、僕は自分の家族の現状について全て語った。今あの人たちが何をしていて、どこにいるのか。なぜお見舞いにさえ来てくれないのか。なぜ家がなくて、暁さん家にお邪魔しているのか。余すことなkう、嘘一つない言葉でその理由を告げた。

「なるほどね。そんな理由があったとは思わなかったよ。それは大変だったね 、なんて、他人が言えることじゃないだろうけど。」

 僕は、少し自虐するように言った。

「まあ、彼方だって病気のこととかもあるし、大変さは変わらないぐらいさ」

 彼方は、そんな僕の様子を心配しているように見えた。

「ま、そしたら、なんかあったらお姉ちゃんに頼るんだよ。それ以外の頼る人もないんだろうし。」

 最後にさらっと僕のことをバカにしたような気がしたけど、無視して答えた。

「充分頼ってるよ」

 すると、彼方は僕の先を見ながら言った。

「この話もしないぐらいだし、そうとは見えないんだけどね。まあ、これで家族だね。」

 深く考えないで、彼方の考えに同調しておいた。

「もちろん」

「それじゃあ、おやすみ」

「おやすみ~」

 もう家族のことを伝えてしまったんだ。だからもう、家族と同様の信頼関係になれるんだろうか。これで、安心してこの家族に頼ることが出来るだろうか。未だに僕の心には、少しの迷いを抱えていた。

 星空に一筋の雲が見えた。

正式な退院

 次の日

 僕は、朝一での退院となった。八時に起きて、帰りの荷物の準備し始めた。検診を終えたばかりで寝ぼけた様子の彼方が、僕に言葉を投げ当てた。

「お兄ちゃん帰っちゃんうんだっけ?」

 荷物整理をしていたから、彼方の方を向かないで答えた。

「そうだよ」

「お姉ちゃんを頼んだよ」

 僕は少しだけ胸を張って答えた。

「任せて」

 それから、彼方は少し声を潜めていった。

「あのことはお姉ちゃんには伝えるの?」

 僕は、彼方の方を向かないようにしながら答える。

「今はまだ伝えたくないかな。でも、いつかは絶対に伝えるよ。」

 すると、彼方は僕の心を見通して言う。

「私たちには、時間が残されてないんだから。いつかやるって思ったことは、今やらなきゃ。」

 そうだ。僕に残されている時間は少ないんだ。暁さんとのうのうと過ごしていたせいで、完璧に忘れていた。伝えたいことは今のうちに伝える。これは、重病人の掟のひとつだ。チャンスは少ない。だからこそ、できるタイミングで。

「わかった」

 最後に、釘を刺すように彼方は言う。

「それじゃあ、今度はお見舞いでね。また入院したとか言ったら怒るから。」

「わかった」

 その後も準備を続け、10時に退院手続きを済ませた。帰り際に、先生から追加分の薬を受け取った。さすがに暁さんは学校があったので、家帰ってから会うことになった。途中から学校に行く気も起きなかったので、家でのんびりと過ごすことにした。

 しかし、病院の設備っていうのはすごいもんだ。体の疲れとか、痛みも全部抜けていた。ついこの前と同じように、少し体がだるいけど万全の状態に戻っている。入院するのは嫌だが、たまに来るのはいいかもしれない。そしたら、今度は彼方に怒られるかも。

 誰もいない家に一人でいるのは寂しい。話しかける相手もいないし、一緒に勉強してくれる相手もいないんだ。こうしていると、暁さんの寂しさが身に染みて伝わってくる。僕がこのうちに来るまで、こんな経験をずっとしていたのだろう。話し相手になっていると言うだけでも、役には立ててるのかなそしたら、少し嬉しい気がした。

 ゆったりとした時間は早く過ぎ去っていく。一人でつまらないととはいえ、受験も間際なので、単語帳や文法の復習、公式の見直し、漢字の見直しをしていた。気がつけば日が傾き、暁さんから連絡が入った。

「今から帰ります」

 ということらしい。

 せっかく退院したけど、2人とも忙しいし、短期間だから、退院パーティーとかもなしかな。まあ別に期待してたわけじゃないんだけどね。ようやく家族らしい関係の人ができたから、少し経験してみたかった、なんて言い訳かな。

 それから、少しの間勉強を続けていると

「たっだいま~」

 暁さんが玄関の戸を開けた音がした。出迎えに行こうかと考えているうちに、暁さんはリビングに入ってきた。

「蓮いる?」

 僕は、暁さんから借りた単語帳を閉じて、答える。

「いるよ~」

 暁さんは僕の顔を見ながら、心底嬉しそうに

「良かった退院出来て。本当ならパーティーでもしたい所だけど、それはまたいつかだね。受験が終わったらかな。」

「わかった」

 そのまま、暁さんは手を洗いに行ってしまった。まあ、受検終わればケーキとか待ってるんだろうし、それまで待てるかな。体力的には大丈夫だと思うんだけど、医師から不穏なこと言われたし。

 考え事を単語帳の仮面に隠していると、暁さんがご飯を作ってくれた。いつものように、ご飯を食べた。二人で話しながら食べる時間を、少しだけいつもよりも噛み締めた。

「そんじゃ、風呂はいってきます」

 と言って、風呂に入った。なんとなくのまま、ここまで過ごしていた。だから、考えるべきことを思考の隅に隠そうとしていた。

 暁さんに伝えるか否か

 伝えないとしたら、理由はなんだろう。  怖いから?  信用してないから?  それとも…

 頭の中では、伝えるべきだってわかっている。でも、得体のしれない感情がそれを押しとどめているんだ。罪悪感とか、後ろめたさに似た、自己正当化に近い感情。

 頭を左右に降って、感情を削ぎ落とした。伝えなきゃなんにも始まらないじゃないか。それに、彼方にも医師にも言われたように、時間はない。その意気込みに体を乗せて立ち上がったら

 そして、風呂を出て、入れ替わるように暁さんが風呂に入った。

 どんな感じに話そうか。自分がついてきた嘘なんだから、謝罪から入るべきかな。

 そんなことばかり考えていたら、暁さんが風呂から出てしまった。入院する前と同じように、そのまま勉強をするために、暁さんは僕の前の席に座る。そして、どこかから持ってきた教科書とノートを開こうとしていた。その手に、制止を掛けた。

「光」

 暁さんは驚いたように、僕の顔を見つめた。

「ん?」

 優しさに満ちたその表情に、僕の嘘をこれから塗りたくない。でも、今更引き返せないと、心を振り絞る。

「ちょっと話したいことあるんだけど」

「大事な話?」

「うん」

「いいよ、今なら」

 1呼吸置く。焦って変な話し方にならないように、自分の吐いてきた嘘を隠さないように、正当化しないように、話の進め方をもう一度確認した。もう大丈夫と心でが決めたら、ゆっくりと語り始める。

「僕の家族についてなんだけど。僕の家族が海外にいるってのは嘘なんだ。」

 暁さんは、落胆とも失望とも言い表せない表情で、ため息混じりに言う。

「やっぱり」

 そんな彼女の様子を見て、少しだけ茶化しながら話した。大事な話の最中に茶化すのは、悪い癖とわかっているんだけど、止められ無かった。

「気が付いてた?まあ、僕は嘘つくの下手くそだからね。 今の親は、はっきり言うと、もういないよ」

「…」

 そういうと、暁さんは押し黙って下を向いた。自分で吐いた嘘が招いた結果だけど、僕はその空気に耐えられなかった。

「僕の親はすごい優しかったんだ。僕が病気だって知っても、責めたりはしなかった。ちょっと優しすぎたからなんだけどね。  僕の入院が決まってから、入院費をしっかり稼ごうとしたんだ。そのために共働きで、深夜まで残業し通しの毎日だったんだ。僕自身、そのことを知ったのはすべてが終わった後なんだけどね。  クリスマスイブの日、僕にクリスマスプレゼントを買ってこようとしたんだ。しかもサプライズでさ、僕が密かに欲しがっていた高いパソコンを買ってくれてたんだ。そのために、11月あたりから働き詰めになってたんだ。 あの日は覚えてるかな。雪の降るクリスマスイブ。」

 すると、暁さんはロマンチックな風景を想う顔をした。

「覚えてる。クリスマスイブに、雪の降る星空は綺麗だったもん。」

 彼女が少しだけ明るい顔つきになったことで、少しだけ口が軽くなった気がした。

「それが仇になったんだ。残業のせいで眠い目を擦りながら、僕の病院に車で来たんだ。パソコンだから、手で運べる大きさじゃないから、車を使うしかなかったんだ。しかも、あの雪の中で。そして、スリップ事故を起こしたんだ。他の車は巻き込まないで、親の車だけの事故だった」

 暁さんは、また暗い顔になってしまった。

「それで、亡くなったの?」

 僕は自分でも驚くくらいに淡々と告げた。

「そうだよ。親がいなくなった僕には、入院費をひねり出すために、家を売るしか選択肢が無かったんだ。でも、家を売ってすぐに退院したから、まあまあお金があるって感じかな。」

 自然と、暁さんと目が合わせられなくなる。嘘を告白しているのに、また嘘を吐いているんだから。暁さんがそれに気がついていないのが、幸いだった。

「そうだったんだ。だから、蓮の親に会うことは出来ないし、電話も出来なかったんだね。」

 僕は、さっきみたいに冗談めかして言う。

「いなけりゃ話せるわけないもんね」

 暁さんは、僕を非難するのかと思いきや、彼女の口からこぼれたのは感謝だった。

「教えてくれてありがとね」

 驚いた僕は、素っ頓狂な声を出した。

「へ?」

 暁さんは優しさのある顔で言う。その姿に、ふと彼方の寝ている姿が重なる。

「だって、私のことを信用してくれたってことでしょ。きっと、家族ぐらいの仲だと思ってくれたんだろうし。」

「うん」

 全て話し終わって、僕は一息つこうと思った。でも、暁さんはそれを止めた。

「それじゃあ、ちょっと気晴らしに勉強しよっか。蓮だってさすがに3日ぐらい勉強してないから、まずいんじゃない?」

 最後の一言に、僕は言い返す言葉がなく、彼女の提案に乗らざるを得なかった。

「一緒に勉強しよっか」

 やっと隠し事がひとつ話せた。しかも、嘘をついていたことについては何も言われなかった。悪い気がしていたけど、許してくれたからいいのかな。自分のことを責めたりないようにも感じたけど、彼女がそれでいいならいいんだ。それが僕の選択だし、人生なんだから。

 このスッキリとした心持ちで、勉強に臨むのだった。

updatedupdated2024-11-072024-11-07