新たな日々

お邪魔します」

 と言って、暁家に足を踏み入れた。まずは靴を脱いで、玄関先から上がった。暁さんは、僕のあとに家に上がるとすぐに、玄関の電気を付けると、靴を脱いで、リビングらしいところに行ってしまった。あとを追うようにリビングに入ろうとしたけど、入室が寸前で止められてしまった。

 仕方なく廊下を見渡すと、洗面所らしい部屋を見つけた。人様の家に上がっておいて、手を洗わないのは汚いと思って、洗面所を借りた。蛇口周りは丁寧に使われているからか汚れもなく、使ってる石鹸までもが、高級感を醸し出していた。手を洗い終えた頃に、リビングの方から、

「入っていいよ」

 と聞こえたので、リビングに向かう。リビングは、ある程度整頓されているように見えるけど、埃が薄ら舞っていた。多分、僕みたいな人が唐突に家に来るとは思いもよらぬことで、散らかっていたものをこの時間に掃除したんだと思う。埃は見てみぬふりをして、邪魔にならなさそうなところに荷物を置いた。安堵の思いで一息ついて、暁さんが見ていないのを確認して椅子に座って鼓動を整えた。

 少し休んでいると、どこかから暁さんの声で

「先に八雲くんの部屋を案内しとくね。ちょっと着いてきて。」

 と言われたので、声のした方を向く。リビングを出て右にある階段の前に彼女がいた。「いつの間に」と思ったけど、椅子に座って休んでいる間に、彼女自身のことは済ませたのかな。

「今行く」

と言って、僕も階段に向かう。たった1階分の階段とはいえ、今の僕には結構応えた。階段を昇った先には、小さめの部屋がいくつも並んでいた。外から見たこの家の大きさを思い出せば当然かもしれないけど、ちょっとしたホテル並みの構造をしている。

 階段の一番近くの部屋には、ネームプレートのところに「光」と書いてあった。その隣には、「彼方」と書いてあった。これは、きっと病院で話した、暁 光の妹の部屋だろう。僕のそんな思考を置き去りにして、彼女はどんどん先の部屋に進んでいく。その次の部屋あたりかと思っていたけど、結局彼女はその3っつ先の部屋に僕を連れていった。

 その部屋は、特段他の部屋との違いはわからなかったけど、一人で使うには大きい部屋だ。ちょっとした机やクローゼットが場所を取っていても、十分に広いと感じられる部屋だ。先に部屋に入った彼女は、僕の方を振り返って言う。

「ここが今日から八雲くんの部屋だから。この部屋は、昔に遠縁の親戚が使ってたんだけど、もう図と使われていないんだ。さっき見た部屋たちは、私とか、妹とか、両親の部屋だから、入らないようにね」

 確かに、海外に赴任したとは言えど、家族は家族だ。帰ってきた時のために、部屋を残しているんだ。彼女らしい家族愛の形だ。僕は、そんな彼女の愛情を汚さないように答える。

「もちろん、そんなことはしないよ。こんなにいい部屋を貰えただけで十分だから」

 そう言うと、安心したように笑った彼女は、僕と入れ替わりで部屋を出ながら会話を続けた。

「それなら良かった。ご飯を下で作ってるから、できたら呼ぶね。それまで、この部屋を自由にアレンジしたり、荷物を整理したりして待っててね」

「わかった」

 と僕が言うと、彼女はそのまま部屋を出ていこうとして、振り返った。

「あと、布団はその押し入れの中に入ってるからね。使う時は出して、終わったらちゃんと片付ける。それはきちんとやること。」

「はーい」

 と、僕はあえて子供っぽく返事をした。

「それじゃあ、下に行ってるから。何かあったら呼んでね。」

 そう言うと、彼女は下に降りていった。

 取り敢えず、押し入れを開けてみると、布団一式と、ハンガーが何本か掛けられていた。そういえば、下の階にカバンを置いてきている。暁さんに連れてこられちゃったから、完璧に忘れていた。あの中には、予備の制服や薬などなどが入っているので、気付かれないうちに回収に向かう。

 階段をおりて下の階に行き、リビングに入ると、

「何かあった?」

 と、彼女が声をかけてきた。

「カバンを取りに来ただけだよ。部屋に置いておこうと思って。」

 とだけ言い残すと、自室に戻った。押し入れにあったハンガーに今日来ていた制服をかけた。本当は洗いたいところなんだけど、今日のところは我慢するとしよう。いつかそのことも暁さんと相談しないとね。    カバンを漁ると、子供の頃に買ってもらって、病院でもなるべき着ていたパジャマが残っていた。今は他に着替えるものもないので、それに着替えておいた。上下の色合いは微妙だけど、シンプルなデザインものだから、女子の前で着ていても文句は言われないと思う。というか、言われたくない。

 残りのカバンの中身を整理したら、食事に行こうと決めた。カバンの中には、点滴に変わるまで飲んでいた降圧剤や鎮痛剤が、数週間分くらいはあった。今の体調で飲み続けたら数週間も持つかはわからないけど。足りなくなったら、またあの病院に行ってもらうことにしようかな。あの病院に行ったら、また入院させられてしまうかもしれない。でも、僕の担当の先生にだけ会えば、うまく行くという謎の自信が有った。

 ともかくとして、この薬たちを彼女に見られては行けないので、押し入れの少し奥の方に隠しといた。さすがの暁さんでも僕の部屋に立ち入ることは無いと思う。あったとして布団を干すぐらいだから、気付かれる心配はかなり少ない。

 鎮痛剤は緊急時しか飲まないから、数錠の常備だけで済むので、それでいいはずだ。でも、降圧剤は水がないと飲めないし、毎朝と毎晩に飲まなきゃいけない。水筒にでも入れた水で、どこか一人きりになれる場所で飲むぐらいしか方法が思いつかない。一度でも飲み忘れたら、命の危機に晒されるから、絶対に飲まないといけない。最悪は夜中と学校の休み時間に飲めばいい。

 幸い、うちの学校は置き勉が許可されていたので、教科書の持ち帰りがないことは助かる。置き勉を学校が可能にした決定打は、ロッカーが全生徒分完備されていることだと思う。謎の鍵付きで、容量もかなりあるから、安心安全に使える。もちろん、僕もずっと置き勉をしている。そのため、鞄には教科書分の隙間があるから、ペットボトル一本ぐらいは余裕で入ると思う。

 粗方、持ってきた鞄や制服の片付けが終わった頃に、

「ご飯ができたよ」

 と、階段下から声がかかった。

「今行くよ」

 と伝え、僕は部屋を出た。今更のことに思うけど、彼女は本当に、僕みたいな知らない人を家に泊めてもよかったのだろうか。こんなことをしていたら、いつか大変なことになりそうで心配だった。まあ、この次の人がいるようなら、僕が全力で阻止しよう。彼女の安全のために。

 下に降りると、すごいいい匂いがした。三ヶ月ぶりに嗅ぐジューシーなお肉の匂いだった。

「今日は、八雲くんがうちに来た記念ということで、ハンバーグにしてみたけどどうかな?」

 と自慢げに言う暁さんは、フライパンからハンバーグを引き上げているところだった。その色合いや肉汁を見て、僕は素直に褒めた。

「よくこんな上手く作れるね。見ているだけでも、きれいに作られているのがわかるよ。」

 すると、大きなお皿にハンバーグの盛り付けを終えた彼女は、二人分のお皿を持って食卓の方に歩いてきた。食卓を見るに、既に他の料理は並べられていたらしく、ハンバーグを並べて1食完成というとこだった。彼女は僕の料理を彼女の席の前に置くと、僕に座るように言った。

「ありがとう。冷めないうちに食べちゃお」

 と言われたので、僕は彼女の前に座る。挨拶をする前に、彼女は僕に質問をしてきた。

「そういえば、さっきから気になってたんだけど、そのパジャマはどこから来たの?さっき見た限りでは、指定鞄以外の荷物はなかったし、、あのカバンに入っていたの」

 その質問に、僕は多少気恥ずかしく思いながら答えた。

「まあ、その通りだよ。入院していた時に着ていたものだね。親がちょくちょく持ってきてくれたんだ」

「見た感じだけど、そのパジャマなかなか古いんじゃない?」

「1年くらいかな。ずっと着てたからヨレヨレだけどね」

「そうなんだ。いずれ買い替えたほうがいいよ。」

 と、ただの推奨とは別の意味がありそうな言葉を言うと、彼女の視線も意識も料理に向かっていた。

「それじゃあ、いただきます」

 急いで僕も料理に挨拶をした。

「いただきます」

 そう言うと、一口分にハンバーグを切って、食べてみる。

 美味しい。今の僕の言葉では表せないほどに美味しい。久しぶりに食べたハンバーグは、最高の味だった。噛むたびに溢れ出る肉汁と、絶妙な味付けをされたデミグラスソース。あまりの美味しさに、僕はずっと無言でハンバーグを食べては、ご飯を食べてを繰り返していた。

 2人ともずっと黙ったまま食べていて、気づいたらハンバーグが無くなっていた。少しの間、フォークとナイフを虚空に彷徨わせてから、ないことに気がついた。どっちももとの位置に戻すと、食事を終わらせた。

「美味しかった。ご馳走様。」

「ご馳走様 片付けは私がやっておくから、お風呂はいってきていいよ」

「わかった」

 そう言って、彼女が片付けをしやすいように、自分の食器はシンクまで運んでおいた。

 お風呂に入ろうと思ってから、お風呂がどこにあるかを知らないことに気がついた。アメリカ的な設計を考えて、トイレの方に向かってみると、トイレの隣が風呂だった。自室に一度戻り、手頃なタオルやら着替えやらをもって、もう一度風呂場に向かった。

 さすがは豪邸といった感じで、風呂がとにかく大きかった。3平方メートルぐらいは、ある感じで、とにかく凄かった。体と髪の毛を洗って、湯船に浸かると、最高の心地だった。心ごと湯船に浮かされるような心地よさだった。

 できるなら、30分位は使っていたかったけど、病気のこともあるので、早めに上がってしまった。もっと浸かりたいと思いながら、風呂場を後にした。着替えを済ませてリビングに戻る。食卓は片付けが完璧に終わっていて、食事前と同じ状態に戻っていた。暁さんってほんと家事万能なんだ。

 ふと見渡したが、暁さんの姿がなかった。とりあえず椅子に座っていると、階段をおりてくる音がした。

「それじゃあ、お風呂入ってくるね」

 そう言うと、彼女は風呂場に行ってしまった。

 話し相手も居なければ、本もない。自分の荷物の中にも、面白そおうな小説は入っていないと思う。暇で仕方が無いので、テレビをつけてみたが、自分には合わないコントやお笑いなど、くだらないものしかやってなかった。

 手持ち手無沙汰になった僕は、テレビの周辺を見回した。すると、テレビの下を見ると、なんと将棋盤があった。駒も揃っていたので、昔見た本の通り並べてみてから、詰将棋をしてみた。一人でやっていると、なかなか悲しい気持ちになるけど、久しぶりの爪絵将棋は楽しかった。

 7回目の詰将棋が終わったところで、暁さんが風呂から出てきた。

「あ、早速将棋盤が出てる。元々今日は、八雲くんに勝つまで将棋をやろうと思ってたんだけど、いいよね?」

「いいよ」

 ものすごい迫力で言われたから、そのアツに押されてとっさに答えてしまった。

 それからというもの、怒涛の7連戦が繰り広げられた。だんだんと暁さんも上手くなってきているのだが、なかなか僕が詰むことは無い。そんな訳で、なんとか7連戦を乗りきって、フッと一息ついた瞬間だった。

 ものすごい睡魔が襲ってきたのだ。そして、気がつけば朝になってしまっていた。結局、彼女との試合は、7戦7勝で、僕の寝落ちで終わってしまったのだった。

新しい毎日

「いてて」

 机の上で寝てしまったので、最悪の寝覚めだった。これほど最悪な寝覚めはないと僕は思う。頭痛いし、腕は痺れてるし、なんかフラフラするしで、酷い心地だ。ただ、背中に掛けられた毛布のぬくもりだけは良かった。顔を上げると、昨日と同じ様子の彼女がいた。

「あ、やっと起きた?全く、昨日ここで寝ちゃうもんだからさ、八雲君を起こさないようにして、片付けをしたあとに私だけ寝たんだ。さすがに君を運べるほどの力はないからね。とりあえず毛布かけといたんだけど。   せっかく君に勝てるかと思ったのに、まさか寝られちゃうなんてね。まあ、楽しかったからいいけどね」

 眠い目をこすりながら、彼女に答えた。

「いやぁ、唐突に睡魔が来るもんだからさ、抗えなかっんだよね」

「そういう時もあるよ。はい、朝ごはん。」

 と言うと、キッチンの方から美味しそうな朝ご飯が運ばれてきた。

「あ、ありがとう」

って言うと、自分の腕をどけて食事を並べられるように整えた。彼女は、まるでウェイターさんのような手つきでご飯の準備をしてくれた。

「今日は、いつものトーストに、ベーコンとスクランブルエッグね。色々と栄養も取れて、ちょうどいいでしょ。」

 と言うと、食べるように勧めてきた。彼女は調理器具の片付けが残っているらしく、僕だけでも先に食べてと言ったので、少しだけ先に頂いた。

「うん。すごく美味しい。」

「良かった。朝起きてから、急いで作ったから少し雑だけどね。君と将棋してたせいで寝坊しそうになったんだよ。」

「寝落ちしてごめん」

「もういいよ。片付けも終わったし、一緒に食べよ」

 と言うと、彼女は自分の朝ご飯を僕の前の席に並べた。

「もちろん」

 そう答えたら、彼女席に着いた。

「いただきます」

 ようやく、二人で食べ始めた。食べ始めてすぐに、彼女は僕にある一つの質問をした。

「そう言えばさ、登校時間どうする?」

「どうするって?なんか登校時間に問題があったっけ?」

 と、特に気に指定なさそうな僕が言うと、少し気恥ずかしくなりながら彼女は答える。

「2人で1緒に登校したらカップルみたいに思われそうじゃん。だからさ、時間ずらさないとまずくない?」

 そう言われてようやく納得した。一瞬考えてから、僕は自分の案を提示した。

「確かにそうだね。そうなったら、僕が先に家を出るよ。」

「そうしてくれるならいいけどさ そういえば、薬とか飲まなくていいの?」

 洞察力が鋭い彼女は、僕が隠そうとしていたことを的確に聞いてきた。僕が入院していたことを知っているんだから、気がつくのも当たり前かもしれないけど。そんな彼女に嘘をついてもバレると思って、僕はあえて本当のことを言った。

「食後にあるよ」

「そう。まあ、退院してすぐに薬がなくなるなんてことないしね。」

「そりゃあね。まあ、病気によってはそういうこともあるみたいだけど。」

「そうなんだ。」

 と言うと、そこで会話は一旦途絶えた。時間を見るに、登校時間をずらせるほどの時間がないことに気がついたから、ご飯を食べることに集中した。そうすれば、すぐにご飯は跡形もなくなってしまった。

「ご馳走様」

「はい、ご馳走様でした」

 ご飯が食べ終わったので、カバンを2階から取ってきて、薬を飲んだ。ずっと点滴だったので、薬の味は忘れていたけど、妙に甘い感じだった。鎮痛剤だからか、よくわからない甘さがある。

 キッチンでは、彼女が皿洗いをしてくれている。彼女に家事を全部任せてしまうのも気にかかるけど、僕はキッチンに入るとだめになってしまう。皿洗いから、料理まで、何1つできないのだ。だから、少しでも彼女の迷惑にならないように、なるべく早く学校の支度を整えた。

「それじゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい。また後でね。」

 っと言って、僕は暁家をあとにした。家を出てから、学校に行くのが、とても久しぶりな気がした。昨日はあんなふうに病院を抜け出してたので、家から出たようには思えないんだ。家から登校するというのは、とても清々しいんだなと、感慨に浸る。夜とは違う風景の街を見ると、新しい家に住んでるんだって感じた。

 色々な考え事をしていると、、すぐに駅に着いてしまった。やはり、彼女の家から駅までの距離は、近い気がする。これぐらいが普通なのだと言われてしまうと、なんにも言えないけど。

 通勤ラッシュの時間帯はやはり混んでいて、電車に乗るのも、大変なくらいだった。人とドアに挟まれながら、電車に揺られていると、程なくして僕の学校の駅に着いてしまった。たったの一駅なので、歩いて行ける距離だけど、やはり電車の方が圧倒的に楽だ。

 定期券の残高を気にしながら、駅を降りた。駅から学校までの間には、たくさんの同じ中学の人がいるが、僕の友達はそこにはいなかった。そもそもとして、僕に友達と呼べるほどの人はほとんどいないけど。数少ない、登下校が一緒に出来る友達は、行きはすごい遅いので、滅多に会うことは無かった。周りの人に合わせるように、僕は自分の持っていた問題集を片手に、問題をときながら登校した。暇というのは、人に変なことをさせてしまうものだな、と思った。

 学校につくと、一二年生がたくさん登校していた。しかし、その中に僕のクラスの人はほとんど居なかった。教室に入っても見たが、漁業待ちのような過疎化をしていた。たった数人しか教室にはいなくて、最初は不思議に思っていた。でも、僕は昔のことのように、このクラスのことを思い出した。

 だいたいみんな五分前から教室にかけこんできて、間に合わせているので、そのことで何度も先生が話をしたぐらいだ。ただ、5分前に駆け込んでくる人達の中には、僕の友達は含まれていない。というのは、僕は朝に友達と話したかったので、朝早くに来ている人しか友達にしなかったのだ。だから、今朝も窓際でかつての友達と駄弁っていた。

「キーンコーンカーンコーン」

 階段を走っている人にも、問題を当人にも、僕らの横にも、チャイムが鳴った。と言っても、これは五分前の予鈴なので、まだホームルームは始まらない。それに、朝の支度を完璧に済ませている僕と友達には、一切関係がない。気ままに会話を続けた。

 そろそろ人が来るかな、と思ってドアの方をむくと、ちょうど暁さんが入ってくるところだった。この時間差なら、僕と暁さんが同じ家に住んでいることがバレることもないと思う。そろそろ人が沢山入ってきて、混雑するだろうと思って、僕は友達と別れ、自分の席に着いた。

 数十秒後、僕の予想通り、20人ほどが、流れ込んできた。みんな、リュックを乱雑にロッカーに入れて、ホームルーム前には着席していた。この時期のホームルームなんて、内容もないのでうつらうつらしながら聞いていた。

 そういえば、僕がほとんど学校に来れなかったせいか、僕の席は1番窓際の後ろの席で、隣がいない。受験期の他の人たちの隣に誰かがいないと、精神的に辛いだろうという配慮なのかな。とにかく隣がいないというのはつまらない。

 僕のクラスでは、男女が交互に座るような席配置になっているので、僕の前には女子が座っていた。ただ、そいつとは一切話した覚えがないほどに、話せない人なので、完全に孤独だった。窓際だし空でも見るか、と思いずっと空を眺めていようと思ったら、

「今日の日課は、国語、体育、数学、美術、英語、学活です」

 と、前で今日の日課が読み上げられた。その中の一つに、僕は焦った。なにせ、体育をしてもいいのかについて、医者の判断を一切知らないんだ。体育の今期の選択は、なにもしなければ卓球なので、競技的にはほとんど動かずには済むと思うけど、何が起こるかわからない。

 とは言っても、ドクターストップの証明書的も持っていないので、断る手段もない。しかも、うちの学校は教科担任制なので、担任と体育の先生に話を通さなくてはいけない。担任にも、ほとんどどんな病気なのか伝えていないわけだし、体育の先生なんて以ての外だ。

 体育科の教師は、かなり忌み嫌われている。テストの度に足し算が出来ないから、得点もろくにつけられない。成績や選択授業の編成は女子を優先している。嘘つくなとか言っておきながら、自分で決めた期限内に仕事を終わらせられない。こんなような諸々のことをするため、生徒から相当嫌われているのだ。

 もちろん僕もその1人で、相手を嫌い、相手から嫌われている。なるべくなら口も聞きたくないような相手なので、どうしたものかと迷っていると、ホームルームが終わってしまった。考えがまとまらない間に1時間目が始まっていた。

 ただの入試対策の授業しかしていないので、聞いても無駄だと思いながら聞き流していると、意外と直ぐに授業が終わってしまった。ほんとにどうしようか、と迷いながらも、とりあえずみんなに合わせて体操服に着替えておいた。

 私立でもないのに、うちの学校には、体育館の下にスペースがある。プレイホールと呼ばれていて、卓球や柔道、剣道場として使われている。授業の卓球でも、そこの場を使うらしい。卓球の場所や内容については、卓球を選択していた友達に教えてもらった。

 その友達と一緒にプレイホールに向かうと、先に先生がたっていて、早く並べと言った雰囲気を醸し出していた。まだ僕らの他には数人しか来ていないので、もう少しリラックスすればいいのにと思ってしまった。

 荷物を置いて、来ていたジャージを脱ぐと、ものすごく寒かった。降圧剤のせいで、冷え性が進化したみたいだった。ずっとブルブルしたまま、取り敢えず整列の場所に並んでおいた。

 早く始まんないかな、って思うほどに、1秒1秒がすごく長く感じた。寒さのせいで集中出来ずに、震えながら準備体操をして、先生の無駄話を聞いて、やっと授業が始まった。

 この時だけは自分の運を信じて授業に出てよかったと思う。グループ学習が中心で、しかも、友達がグループに誘ってくれた。友人たちは僕を気遣ってくれて、色々教えてくれた。友達達が上手く先生をごまかしてくれたので、ほとんど運動という運動をせずに済んだ。

 どうにか症状の悪化もなく、楽しく授業を受けられた。そのあとは、普通の授業を受け、ホームルームが始まろうとしていた。本当に隣がいない席は、ほんとにつまらないものだった。まあ、僕にはこれから暁さんのために何をしようか考える時間になっていた。意外とそのことを考える時間は少し楽しかった。

 周りの人達は、ホームルームなんか気にせず、過去問を解いていたり、塾の課題などを進めていた。暁さんは、将棋が好きらしいので、将棋の勝ち方なんかを教えてあげたら喜びそうだな。あとは、やっぱり女子だし、買い物とかについてくのが一番いいのかな。荷物を持ってあげたり、写真を一緒に撮ったりするだけで良さそうだし。

 もしも彼方に何かがあった時は、少しでも励ましてあげられればと思う。話には出さないけど、きっと暁さんは、あの子を溺愛していると思う。彼方に何かあれば、暁さん当メンタルがやられてしまうだろう。そこを頑張るのが僕の役目なのだ。

 そんなことを考えていたら、みんなが一斉に動き出したので、何が起きたかと思ってあたりを見回した。みんなが自由に動いているあたり、ホームルームが終わったらしい。今日もまた、教室で勉強したり、図書室に行ったり、塾に行ったりする人で別れていた。今日は教師から呼び出されていないので、自由だが、特にすることも無い。

 暁さんがいないと僕のなすべきことができないのは確かだから、昨日と同じように図書室に行くことにした。暁さんより早くついたから、昨日暁さんがいた席の隣に座って、この2日間を思い出していた。

 ほんとに濃厚な2日間だったと思う。病院を抜け出して、学校に登校し、知らない女子と将棋をした。挙句の果てに、その子の家に泊まらせてもらって、一日を終えた。ほんと、運はなかなかにいいのか悪いのか、わからない。

 こんな病気になっている時点で運がないように思えるけど、こうして女子と一瞬で仲良くなれたのは運の賜物かもしれない。運良く図書室で出会えて、共通の趣味があって、なんて、こんなことそうそうないだろう。しかもそれが、関係の無い女子ではなくて、頼まれていた人というのは、偶然とは信じられないことだ。

 あの子がそれを知っていたんじゃないかと言うぐらいに、仲が深まっていた。しかも、その勢いで家にまで泊まらせてもらい、部屋まで貰ってしまったし、夜中まで仲良く将棋もした。ほんとに運が意外といいのかもしれないなぁ。

「隣座るね」

「ふぇっ!?」

 急に隣から声がしたから、変な声を出してしまった。

「もしかして私に気づかなかったの?」

「ごめん、完全に気づけなかった」

 と言うと、少し悲しそうな表情をして、暁さんは言う。

「そんなに私が音を立てなかったのか、君が深く考え事をしてたかのどっちかなのかな。まあ、君に逢えてよかった今日ばどうする?勉強するか将棋するか家に帰るか」

「ここで勉強をする必要も無いし、一緒に帰ろうよ」

「それじゃ、そうしよっか」

 そう言うと、彼女は椅子の下においていたリュックを背負って出ていってしまった。

 いやほんと、暁さんは忍者なのかなって思うほどに無音だった。一切気づけなくて、焦ってしまった。なんて振り返りをしている暇もない。置いていかれるわけには行かないので、急いで荷物を取って暁さんを追いかけた。急いで暁さんを追いかけると、まだ階段のところにいた。

「やっほー」

「やっほー。そういえばさ、朝は別れて登校しているのに、帰りはいいの?めんどくさくならない?」

 言われてみれば確かにそうだ。今の僕たちがいちばん恐れていることの一つは、あらぬ噂を立てられることだ。非常に厄介なことになる。

 確かに、今の僕達は、傍から見れば同棲している。一緒に住んでいるのは事実なのだが、恋愛関係を持っているわけじゃない。そこが微妙なところだ。完全に僕が向こうに居候させてもらっているのだが、そんなことは、噂がたった後に言っても無駄な事だ。

 だけど、一人で登校していて思ったことは、なにか考え事するしかなくて、とにかく悲しくなる。まあ、暁さんに迷惑をかけないのが当然なんだけど、一人の登下校には少しうんざりしていた。一方だけならまだしも、行きも帰りもとなると、さぴしくなる。そんな感じで僕が答えかねていると、

「まあ、一人で帰るのも寂しいし、2人で帰ろっか」

 と、暁さんが先に答えを出してくれた。僕は、内心安心しながら、その案に乗った。

「そうだね」

 僕が彼女の隣りに立つと、彼女は僕の服装を凝視しながら言った。

「もしかして昨日と同じ制服着てた?」

「うん。今は1着しか持ってないからね。」

「じゃあさ、今度の週末に買い物に行かなくちゃね」

「予定はいいの?」

「今週は何もないんだ。八雲くんはスマホも持ってないよね。それに、夜に来てたパジャマもあんまり似合ってなかったし。色々買いたいものがあるから行こうよ。」

「そんなに似合ってなかったかな」

「あれは吹き出しそうなぐらいだったよ」

「そんなにみっともないんだったら、買いに行かないとね。でもスマホはちょっとあれじゃないかな。」

「そう?今の時代、スマホは持ってないと連絡できなくて困るんだよ。だって君はまだ退院してちょっとなんでしょ。何かあった時に1人で救急車も呼べないのは危ないと思うよ。」

 言われてみればそうかもしれない。いつ倒れれるかわからないような人が、救急車さえ呼べないのは困る。だが、他人に買ってもらった携帯を使うのは気が引ける。

 そう思ったけど、よくよく考えてみると、僕の手元には相当な貯金がある。元々は入院費になる予定だったから、相当な額で溜まっているだろう。しかも、家も住まわせてもらっていて、使い道がないお金になっているから、せめて活用しようかな。

「それじゃあ、スマホも買うよ。でも、スマホ代ぐらいは自分で払うからいいよ。」

「そう?もしもの為にお金は貯めておいた方がいいと思うよ。両親からの支援がないんだったら、手元のお金は大事にしないと。」

「他人に買ってもらったスマホってなんかやだからさ」

「確かに、その気持ちはわかるかも。それはそのときに考えるということで一旦保留ね。とにかく明日は買うものがいっぱいあるから、ちゃんと朝起きてよ。」

「大丈夫だよ。今日だってなんとかなったんだし。」

「今日はほとんど練れてないんだから、気をつけてね。なんて話てたらもう家に着いちゃうね。」

「ほんと、家が近いって楽でいいよね。」

「家が近いのもあるけど、やっぱ二人で話してるからじゃないかな?1人じゃこんなに早く感じることは無いと思うよ。」

「確かにそうだね」

 そう言って、彼女は僕をおいて玄関に行こうとした。でも、すぐにこっちに振り返ると、急な話をした。

「八雲くんに鍵渡してなかったっけ」

「貰ってないね」

「いつか渡さないとだね。じゃあ、今は私が鍵を開けてくるね」

 と言って、彼女はまた振り返って行ってしまった。と言っても、すぐそこだ。物理的には近いけど、彼女の言う通り1人だと少しの距離も遠く感じる。彼女が鍵を開けて入っていったので、少し駆け寄るぐらいの速さで家に向かった。

 どうしてなのだろう。彼女とは出会ってまだ間もないというのに、すごい親近感があって、本当の家族のようだ。暁さんの優しい性格故なのかもしれないけど、依存している気がする。たった2日なのに、暁さんがいなければ、まともな生活が送れないと断言できるほどにだ。

 あと、何故か暁さんとは、どこかであった覚えがあった。いつどこでなのかは思い出せないけど、暁さんの声は耳に染み付いている。

 謎の気持ちを振り払うように、僕は家に入った。暁さんは、先に手を洗いに行っていたので、荷物を置いて僕も向かうことにした。入れ替わりに、僕が洗面所に入ると、暁さんが洗面所を出ていってしまった。学校でこんなことされたら、嫌われてると錯覚してしまいそうなぐらいのタイミングだった。暁さんだからそんなことは無いと思うけど。

 僕は暁さんに習い、手を洗って洗面所をあとにした。すると、暁さんに、風呂に入るように勧められたので、早速準備して入ることにした。

 やっぱり暁家の風呂は大きかい。この身長の僕でも、軽く入ってしまうぐらいの大きさだ。その風呂を横目に見ながら、せかせかとからだや顔や髪の毛を洗う。地味にこの作業は時間がかかるから、少しだけ体が冷えてしまった。その寒さなんて軽く吹き飛ばすような、最高の心地の風呂が用意されている。

「ふぁー」

 風呂に入るなり、そんなも気の抜けるような声が出た。ちょうどいい温度に設定されていて、体が休まるのがよくわかる。いくら足を伸ばしても問題ない広さは、まるで露天風呂に浸かっているみたいだ。

 ほんとに最高の空間だ。こんな時には、物思いにふける。

 やっぱり、1番に思うのは、暁さんに依存しちゃってるってこと。生活に必要なものが全て揃えて渡してくれた上に、とてもフレンドリーな人だ。彼女のおかげで、特になんの手伝いもすることなく、ご飯や風呂が当然のように出てくる。こんな生活に慣れてしまったら、もう抜け出せない。それぐらい、僕はこの生活に依存してしまっている。

 自分でも意外に感じる。きっと、僕がこんなことを考えている間にも、暁さんが料理をしていてくれる。

 本当は立場が逆になるはずだったのに、いつの間にか僕が依存してしまっていた。いっそのこと、相互依存関係になってしまおうかなと思った。そっちの方が信頼関係的にもいいかなとも思った。でも、今の僕に暁さんが依存しているとは思えないし、このまま居座っていたら、ただの居候だ。やはり、何かしら動いた方がいいのだろうか。

 なんて考えていたら、風呂の戸がノックされた。 

「そろそろ出ないと、ご飯出来上がっちゃうよ」

「今でます」

 もうそんなに時間が経ってしまっていたのか。それに、僕がお風呂に入っている間に、着々とご飯の準備をしてくれていたんだ。急いで出る支度をして、風呂場を後にした。

 リビングに戻ると、既に完璧な夕飯が仕上がっていた。既に調理された魚とサラダが食卓に並べられていた。

「ほら、さっさと席に着いて。今日は骨抜きにしんと、レタスね。」

「にしんか。美味しい魚だね。  それじゃあ」

 二人で同時に合掌すると

「いただきます」

 と、言った。昨日とは違って、2人の声が重なって、ちょっと面白かった。

 美味しい魚と口では言っているが、あまり好きではない。そもそも魚が嫌いになってしまった。どうしても病院食を思い出してしまうからだ。病院で食べた魚はとにかく美味しくなかった。薄味で、栄養を調整されているような感じだ。

 その条件反射的思考とは裏腹に、ひとくち食べた暁家の魚は別格だった。骨がないので、パクパク食べられるし、旬の時期なのか脂が乗ってる。味も濃い訳では無いが、圧倒的に病院食よりも味付けが施されている。

 パクパク食べていると、にしんもご飯もなくなっていた。もう少しにしんが食べたく有った僕は、率直に彼女に聞いてみた。

「にしんってまだある?」

 すると、彼女はまだ食べ終えていなかったから、一旦飲み込むと答えた。

「にしんは1人1本しかないんだ。もうごちそうさましたら?」

 子供みたいな扱いをされたようにも感じたけど、彼女の言うとおりにした。

「ごちそうさま」

 少しでも彼女の役に立てばと思って、自分の食器を全てカウンターに置いた。もう一度自分の席に座って、目の前に座る彼女に、今日のこの後について聞いた。

「今日は将棋やる?それとも勉強する?」

 すると、ちょうどご飯を食べ終えたあたりの彼女が答えてくれた。

「今日は数学の過去問やったら寝るつもり。お互い昨日はちゃんと寝れなかったから、今日はちゃんと寝ないとね。」

「それじゃあ、のんびり待ってるよ」

 そう言って、僕は部屋に戻って、最初に薬を飲んだ。薬の内容だけは彼女にバレないようにしないとと思って、自室で飲むと決めた。慣れない新生活に、体が疲れていたので、薬を飲み終えると、少し布団に寝転んだ。寝ないようにと掛け布団はあえて外した状態にして。

 程なくして、下から

「過去問解くから来て」

 という声がしたので、だるい体を無理矢理に起こして、下の階に降りた。リビングに入ると、食卓に分厚い過去問の本を開いて、問題を説いている彼女がいた。僕が彼女の問いている問題を覗き見しようとすると

「とりあえずこの問題任せてもいい?」

 と言って、また図形の問題を1問僕に解かせた。

「分かった」

 そう言って、その問題を僕は解き始めた。解けたら彼女に答えを伝え、その解き方を教える。するとまた新しい問題を彼女から託される。そんなふうに、僕は彼女の解けない問題を得サポートをする役目を背負った。下に降りてきたときはまだ八時ぐらいだったのに、既にもう10時を回っていた。

 僕がある程度難しいと思っt問題を一つ彼女に教え終えると、彼女は過去問を閉じて言った。

「今日はこれでもういいかな。ありがとう。」

「いやいや、少しでも手伝えたならいいよ」

 僕がそう言うと、彼女はとんでもないという顔をして

「少しなんてもんじゃないよ。正答率が低そうな問題全部やって貰ったからね。教え方もうまいから、本当に助かったよ。」

 と嬉しいことを言ってくれた。彼女だって相当頭がいいはずだから、僕がいなくたって解けたんじゃないかなって思っちゃうけど、口にはしないでおいた。代わりに、ふと疑問に思ったことを言った。

「そういえばさ、もうお風呂はいったの?」

「もちろん。君が寝ている間に入ってきちゃったよ。」

「そうだったんだ」

 どうにか平然のふりをして答えたけど、内心驚愕していた。まさか布団で休んでいたところを見られていたなんて。しかも、ミラ得ていたことに、全く気が付かないなんて。

 と僕が焦っていると、彼女は僕をおいて階段の方に向かってしまった。医師で僕もついていった。暁さんは自分の部屋に入ると、扉をほんの少しだけ開けて、

「それじゃあおやすみ」

 と言ったので、僕は歩きながら

「おやすみ」

 と答えた。僕は少し先の自分の部屋に入る。布団に入ると、機能異常に強い睡魔に襲われたので、考え事をするまでもなく寝てしまった。そんな感じに、僕の新しい毎日が始まろうとしていた

updatedupdated2024-11-072024-11-07