はじめの一歩

 さて、どうしたものか。

 小児病棟とはいえど、重症な人が集まる場所に僕はいるのだ。だから、看護師や医者の目を盗んで、#容易__たやす__#く抜け出せるはずがない。逃げ出したり、暴れないようにするために、常に看護師が一人いるのだ。常に病棟のどこかにいて、すぐに駆けつけてくる監視役が。

 とはいえ、看護師もいなくなるタイミングがある。それは、その看護師が検診の後に、データを本棟にいる医師に持っていく時だけ。それに、小児病棟は、本病院とは離れているため、看護師が帰るまでには、少しだけ時間はある。

 もちろん、監視役がそこまで好きを見せるはずもない。時間はほんの数分のため、今の僕がここから抜け出すには短すぎる時間だ。僕は点滴で降圧剤やら鎮痛剤やらを常時入れられているので、その副作用なのか体の動きがすこぶる悪いのだ。そもそも病気のせいで動けないというのも否めないけど。

 そこで、僕はなけなしの頭を使って、ある策を思いつくのだった。それは、お見舞いに来た人に変装し、抜け出すというものだ。看護師が居なくなった数分に、普通の服に着替え、出ていけばいい。すごく単純な方法だけど、以外にもバレにくいと思う。

 それに、病院の受付の通り方だけは、僕は熟知している。ただ受付にバレなければいだけなので、医者や看護師用の出入口を使えばいいのだ。そこは、医者たちが残業の後に帰るとき、患者に気が付かれないで帰るためのものだ。だから、他の人からは見られにくい場所にある。

 なぜ僕がその場所を知っているかというと、入院して最初は、そこまで体調も悪いわけではなかったため、自由に病棟内なら歩けたので、そのときに見つけたんだ。ついでに、ナンバーロックもポチポチ押しているうちに番号を覚えてしまった。その時は、外に出ても病院服を着ていたから、すぐにバレて連れ戻されたけど。    ともかく、この病室からは離れているが、受付を通らずに出られる場所だ。しかも、人目に付きにくく、この方法ならだれにもばれない自信があった。

 あとは、僕の体力がそこまで持つことと、看護師がいるはずのない来客に気が付かないことを祈るばかり。

 次の日の朝の検診の後に、早速作戦を挑戦することにした。チャンスは一回きり。でも、僕には、一回で成功させる自信があった。

 看護師が健診データを持って行ったのを足音で確認すると、懐かしの服装に着替えた。まだ学校に通っていた時代に来ていた制服を羽織ると、最低限の荷物を持って病室をあとにする。去り際に、彼方に、

「行ってくる」

 とだけ言った。彼方は眠たそうに、半開きのまぶたで僕を見ると、嬉しそうな顔をした。

 廊下に出ると、医者や看護師何人か歩いていた。見つかるかと思ったけど、なるべく堂々と歩いた。堂々としている方が、悪事はばれにくいのだ。あとはただひたすらに職員用玄関を目指すのみ。

 そして、今僕は何とか職員用玄関飲めの前に立っている。慎重にナンバーロックを外すと、ドアノブに手をかけて目一杯押し開けた。一歩踏み出して味わう、久しぶりの外の空気だった。まだ、外は朝早く、日が東からでてきたすぐという感じだった。

 薬とか筆記用具とかの必要なものは学校指定のカバンにつめていたので、このまま学校に向かうことができる。

 約3ヵ月ぶりの登校だった。

 病院からそう離れていないところに学校があったのが幸いで、前より少し遅い時間の出発だったけど、焦ることなく登校できた。三十分ぐらいの徒歩は、以外にも僕の体でも耐え切ることができた。

 久しぶりに登校した僕に対する視線に、好感の含むものはなかった。ほとんどが、「忙しい時に来るなよ」って感じだった。今は受験勉強の大詰めなので、はっきり言って僕は邪魔者だと思う。こういう時に限って、教師がホームルームで話題にしてきて、歓迎会みたいなことを始めるので、みんなイライラしていたのだった。

 そんな視線の中には、完全に僕の顔を忘れている様子のものもあった。しかもその中に。かの #暁__あかつき__##光__ひかり__#の姿もあった。学校では男子としか喋らない方と思われていたため、どんな人かすら記憶していない人もいて当然なのかもしれない。実際には、最初の頃は人見知りで、三年になってからは病気のことを隠したかったからなんだけど。

 中には数人は僕に話しかけてくる人もいた。その半数近くは、推薦や単願などで既に受験が終わっている、暇な人たちだった。僕の受検に興味を抱いて、茶化したりされて、かなりイライラした。別に僕は今から受験勉強なんて一切しないつもりなので、適当にいなすだけだったが。

 残りの半数は、仲のいい人たちで、自分の勉強よりも僕の体調を心配してくれた。その人たちには、ちゃんと退院したと、嘘を伝えた。抜け出したなんて言ったら、冗談でももう一度病院送りにされるだけだ。そいつらも、僕と話が終わると、過去問をひたすら解いていた。

 僕もそんなに馬鹿じゃないので、全く受験勉強をしていなかったが、過去問をある程度なら解ける。これでも一応、県内名門と言っても過言じゃないくらいの進学校のはずなんだけど。趣味と遊びで勉強した程度だから、僕はちゃんとした解き方なんて熟知していないので、回答のほとんどが運と直感だ。そのことを友達に言うと、毎回のごとく、

「その直感がお前は強いんだよ」

 と言われる。僕にとって大体の教科はそれでこれまでやってきた。特に数学は、直感と趣味の勉強だけで今までやってきた。一見難しそうな問題でも、なんとなくの確信で、絶対こうなるって思って突っ走れば、大体あってる思う。塾に行くこともできなかった僕には、これくらいの勉強法しかなかったから、ひたすらにそれを極めた。数学だけは趣味に乗じて、色んな本で発展的なこ都にも触れてみた。

 あっという間に一日も終わりに近づき、帰りのホームルームが始まろうとしていた。帰りのホームルームでも、やはり教師は僕の話を引っ張り、フォローしろと言っていた。まあ、そんなことを求めに来た訳では無いので、完全に無視を決め込んでいたけど。受験が近いから、生徒が集中していないので、かなり適当なホームルームになっていた。

 話を聞いているのは、真面目な女子と受験が終わっている人たちだけで、ほとんどは過去問を解いてるか駄弁っていた。かく言う僕も、友達の過去問を手伝っていた。僕の知らぬ間にホームルームは進行していて、気づいたらもう帰りの挨拶になっていた。

 とりあえず立って早く挨拶して終わらせようと思ったのだが、体が思うように動かない。

 貧血なのか降圧剤のせいなのか、無理に立った瞬間、ふわっとした頭が浮く感覚とずしっとした重圧にモニタ感覚に襲われた。机に手をついて、頭を下にして、なんとか耐えたけど、その後に残る嫌なめまいに苛まれた。視界も真っ黒になったから、立ち眩みと思って下を向いてやり過ごそうとした。クラスの誰も気づかなかったみたいなのでほっとした。

「気をつけ  礼」

「さようなら」

という田舎町の風が届ける号令が、僕にはとても懐かしく感じた。

 号令が終わると、みんなバラバラに動き始めた。塾に行く人、このまま過去問が切りのいいところまで終わらせる人、別の部屋に移動する人。みんなが何をしているのか観察していると、教師に呼ばれてしまった。

 まあ当然だと思う。

 入院していたはずの生徒が、受験期になって連絡も無く学校に来たのだ。しかも、進路についての話もほとんどしていないので、教師は心配だったのだろう。教師に別の部屋に連れていかれ、開口一番

「お前受験どうするんだ?」

 と問われた。

 志望校については、一応県内トップの公立高校にしていたが、本心では、受験する気なんて毛頭なかった。どうせ受かっても、ほとんど通うことができないとわかっていた。ただ、一回しかできないことだし、公立なら受検料もなんとか払えるから、お試しということで、そこの受験だけしてみようとも思っていたのだ。

「これまで通りです。」

 とだけ答えた。教師はメモ用紙に適当に文字を書いたあとに、

「私立は受けなくていいのか?」

 と、聞いてきた。私立は受験料も高いし、入学する気がないから

「受けない方向でお願いします」

 と、答えておいた。そもそもこの時期なら、大体の私立校の出願手続締切日を過ぎているはずだ。だから今更受けられないだろう。なんて考えていると、教師が口を開いた

「お前の体調のこともあるしな。公立高校ならまだ時間もある。お前なら出来ると俺は信じてるぞ。」

 そう言って、僕の方を両手で叩くと、教師は帰っていった。

 あの教師、大丈夫なんだろうか。最も大事なものを忘れているのに気が付かなかっただと。

 入院していた生徒が帰ってきたのなら、退院許可証を渡されるはずなんだ。それがないと普通は登校禁止なんだ。どんな特例の退院でも渡されるから、それのコピーを教員が受け取ることで登校が許可されるぐらいだ。

 普通に考えたら、医師が知らない間に退院して、病院の外には出られないはずなので、抜け出した僕みたいな異例以外は持っていて当然といえば当然かもしれない。それでも退院許可証を確認するのを忘れていくとは思わなかった。おかげで、怪しまれずに済んだ。

 とりあえず教室に戻ると、暁 光の姿はなかった。間に合わなかったか、と内心呟いたが、どうしたものか。とりあえず荷物を取って、適当に校内を散策することにした。どこかで過去問を説いている可能性に賭けた。校外に出ていってしまっていたら諦めるしかないので、いろんな教室を手探り次第当ってみた。

 しかし、3学年すべての教室を見たけど彼女の姿はなかった。今日は逃げられた、と思って下駄箱に向かった。ふと図書室を見ていなかったと思って、下駄箱から二階の図書館の中に目線をやると、暁 光らしい人影がいた。

 やっと彼女のことを見つけられたと思った矢先、難題があることに気付かされた。

 どうやって話しかけるか。こんなに学校に来ていなかった生徒に、唐突に話しかけられたら、驚枯れると思うし、下手すれば警戒されてしまう。しかも、わっすれられてしまうぐらいに、あの人と話したことはほとんどないんだ。でも、彼女の心の近くに行かないと、彼女を幸せにすることは無理なのは自明だ。

 そこで僕は試案を重ねたのちに、一つの方法を思いついた。それは、彼女の隣で勉強をして、タイミングを図って話しかけるというものだ。これなら、受験生として当然のことだから、怪しまれないだろう。そうと決心した僕は、おもむろに図書室に向かった。しかも、幸い彼女の近くに人はいないみたいだった。

 これなら、多少恥ずかしいことを言っても、外に声がもれなくて済む。最初の手はずとして彼女の隣に座ろうと思ったけど、やはり恥ずかしかった。だから、あえて隣ではなく、前に座ることにした。前なら、うつむいていると相手の姿が見えにくく、意識しないで済む。それに、話しかけやすそうだったからだ。

 席について、勉強道具を取り出そうとしたら、向こうから話しかけてきた。

「うちのクラスの、どなたでしたっけ」

 本当に記憶されていなかったとは。しかも同じクラスの人っていうのは、朝に教室で見たからであって、覚えてはいなさそうな雰囲気だった。同じクラスの人に、しかもホームルームで名指しされたのに、覚えられていなくて、ショックを受けながらも、答えた。

「#八雲__やくも__# #蓮__れん__#だよ。ここ3カ月ぐらい学校に来ていなかったけどね。」

「あぁ、あの八雲って人だ。たしか頭いいんだっけ。」

 なんでそう思われているのだろうか。頭いいなんて思われる要素が思いつかない。

「そんなに悪くは無い程度だよ。」

「それじゃあ、この問題解いてくれない?」

 そう言って出てきたのは、県内でも、国内でもトップクラスの私立の過去問だった。そんなに悪くないって言った人に出す問題じゃないと思う。

 というか、彼女ってこんなに頭いいんだっけ?僕自身も言うほど彼女を知らないのは知っていたけど、まさかここまで頭がいい人だったとは。

 ただ、たまたま問題が数学で、しかも見た目で解けそうな図形の問題だったので、少しだけ考えてみることにした。頭の中で補助線を引いたり、適当な公式を当てはめているうちに、なんとか答えを出すことはできた。

「解けはしたけど、どこから説明したらいい?」

すると、彼女は驚いた顔で、

「この問題が解けたの?!」

 と心底驚いたように言ってきた。これぐらいなら解けて当然だと思うけど。とか考えていると、

「この問題、受験者の中でも解けたの数人とかいう難問なんだよ。私でも、ほかの問題はなんとか自力で解けたんだけど、この問題はできなかったぐらいの問題なんだよ。」

 と力説された。そんなに難問だったのかな。意外と暗算だけで解ける問題だったので、そんな問題とは思わなかった。

 僕が脳内でこの問題をけなしていると、彼女は上目遣いに僕を見て

「じゃあ、この問題の解き方教えて」

 と言った。僕はなるべく丁寧に補助線の引き方から、教えてあげた。説明すればするほど、彼女から質問が出てくるところを見ると、彼女も相当頭いいのだと思う。僕の解き方は、なんとなくで答えは絶対に出るけど、理由が当てにならない場合が多い。だから、その筋道をたどることすら難しいらしい。

今回もそんな感じに直感的な解き方を試しただけだ。そんな僕の解き方を一回で理解しつつ、質問できるほど、スムーズに理解できるのは、ほんとに感心した。彼女の質問のほとんどは、なぜその考えになったのかばっかだったけど。

 あらかた説明し終えると、

「という感じにやれば解けるよ」

 と言って、残りの回答は彼女に任せる。僕の悪いくせなんだけど、答えを言いたがらないんだ。解き方は説明しても、肝心の答えは言わずに、あとは頑張って、にしてしまうのだ。一応理由もあって、きっと本人が解いた方が、実感があると思ったというのが建前。本音は自分の計算力が信用できないから。多分僕が暗算するより、彼女が計算したほうが正確だ。

 なんて考えてると、彼女の方は必死に僕の方法で問題を解いて、答え合わせをしていた。そんな彼女に質問をした・

「それで、いくつになった?」

「24√5」

 僕の計算とあっているから、今回は僕の暗算もあっていたみたいだ。年のために彼女が持っていた回答と照らし合わせても、答えは同じだったようだ。その問題が一段落したので、追加があるか聞いてみる。

「他になにか聞きたいこととかある?」

「もう大丈夫。。今日解く予定だったこの年度のほかの問題は解き終わってるから。それよりも、八雲くんは暇?」

 唐突な質問に、疑問形を織り交ぜながら答える。

「暇だけど?」

「八雲くん、将棋できる?」

 家にいた頃の趣味の一つとして、本も買ってやっていたほどなので、少しはできるかな。

「まあまあできるよ」

「じゃあさ、将棋しようよ」

確かに雲行き的にはそうだったかもしれないけどさ。受験生がこの時期に将棋やるの?受験は大丈夫なの?なんて思ってしまったが、僕の目的の彼女の幸せのためならと思って、OKした。

「いいよ。腕前はそんな期待しないでね」

 すると彼女はどこからか、碁盤と駒のは言った箱を取りだした。

「自分の分は並べてね」

 そう言って半分ほど僕の方に駒を寄越すと、各々でコマを並べた。

「君、何月生まれ?」

「7月7日だよ。七夕生まれ。」

「私は6月生まれだから、私が振り駒でいい?」

「もちろん」

 そう言うと、彼女は歩を5つ取り、振った。表が3つ、裏が2つだった。

「それじゃ、私が先手ね」

 というと、彼女は楽しそうに初手を打った。久しぶりにやる将棋だったけど、感覚は残ってたみたいで、順調に進められた。最初こそ、かなりの接戦だったが、後半はかなり駒を保有して、彼女の手を適当にいなしていた。相手に気付かれないように、駒を進め、

「王手」

「え、ちょっと待って。しかもこれ詰みじゃない?逃げ道完全になくなってる……」

「そうだね。これで僕の勝ちだね。」

「もう1回。今度は八雲くんが先手。」

 彼女の我儘で始まった第2回戦。今度は、終盤までかなりの接戦だった。しかも、何度も王手をかけられてヒヤヒヤしたけど、彼女の手はどれも中途半端だったので、詰むことはなかった。

 長い間防衛戦を続けていると、いくらか駒が揃ってきたので、一気に畳み掛けた。攻めにほとんど駒を回した彼女は、守れるほどの駒がなく、あっけなく詰みに持ち込めた。

「むー」

 それから五分ほど彼女は御立腹の様子だった。僕が適当な慰めの言葉を探していると

「キーンコーンカーンコーン」

 と、チャイムが鳴り響いた。このチャイムノアとは、2年生まではこの後は部活動に行くのだが、3年生はもう部活はない。まあ、そもそも僕は部活に入っていなかったので、変わらないが。 どちらにせよ、急いで立ち去らなくちゃ行けないということだ。

 チャイムを聞きながら帰り支度をしていると、いつの間にやら碁盤と駒野片付けを済ましていた彼女は、

「この続きはまた明日」

 そう言い残して、立ち去った。彼女に続くように、僕も図書室をあとにする。

 やや走り気味に正門まで走ると、運のいいことに先生は誰もいなかった。普通ならここで先生に捕まり、色々話されるので、覚悟してたけど、それは免れた。常人の息の切らし方とは比べ物にならないほどの呼吸をしていたから、そのことも気にかけていたけど、バレないで済みそうだ。

 そのまま、昔の慣れで駅まで歩いた。ほとんどなんにも考えないで電車に乗って、昔の駅に着いてから大事なことを思い出した。

 家がないんだ。

 お金ならかなりの額が残っているけど、そのお金を使ってまで宿に泊まるのは気が引けた。でも、ホームレス生活も、知り合いに見られたら終わりだ。

 答えの出ないまま数時間、ベンチに座ってカバンに入っていた参考書やらを解いていた。特にやることもないし、暇つぶしと逃避が目的だ。気がつくと黄昏時になっていて、それ以上外で参考書は嫁なさそうだ。そろそろ真面目に寝床を探さないといけない時刻になってきた。それでも、ダンボールかビジネスホテルかで決めかねていると、

「八雲くん?!」

 と、ついさっき聞いた気がする声が、どこからか響いてきた。

「暁さん?!」

 と答えてあたりを見回すと、駅の方から歩いてくる暁さんがいた。彼女は僕を見るなり質問してきた。

「どうしてここに?」

「いや、色々あるんだよ。うん。」

「その中身は後で聞くとして、今は何してるの?」

 と言って、僕の横に座ってきた。さっき会ったなのに、意外に積極的で、女子と話すのが得意じゃない僕は、対応に戸惑った。

「今ある問題をずっと解いてたんだ。それより、暁さんは?」

「塾の帰りだよ。ここ家の最寄り駅だし」

 同じ駅を使ってたってことだよね。学校に通ってた頃でも見てない気がするんだけど。もし、前からこの駅を使っていたとすれば、毎日同じ駅を行き来しておきながら、ほとんど話さなかったどころか、一緒の駅を使っていることにも気が付かなかったんだ。

「八雲くんはこれからどうするの?家に帰るの?」

 暁さんの質問に僕は悩んだ。家がないことを打ち明けるべきなのかを。

 さっき会ったばかりの人に家がないって言われたら、確実に変な人に思われるだろう。でも、もしかしたら適当な場所に匿ってくれるかもしれない。それに、誰かに言わないと解決できない問題だから、わずかばかりの可能性にかけて、伝えることにした。

「実は今、家がないんだ」

「え、どういう状況なの?」

 当然な驚き方をされた。普通の中学生が、唐突に家がなくなることはないからね。適当につじつまを合わせることにした。半分の真実を混ぜて。

「ほら、僕ってずっと入院してたじゃん」

「そうだね」

「僕が入院している間に、親が海外に転勤しちゃってさ。親は、僕があの家に帰ることは無いだろうと思って、お金のことも会って、売っちゃったんだ。それで家がないんだ」

「それじゃあ、どうするの?」

「それで、今ちょうど悩んでいたんだ。適当な宿に泊まるぐらいの金ならあるけど、無駄遣いしたくないし。」

「だったらうち来ない?うちの家は、かなり広い方だし、今は海外赴任で親がいないから、部屋も余ってるんだ。」

 一瞬何を言っているのか理解できなかった。ようやく理解できても、おsの真意がわからない。普通の女子なら、男を家には誘わないだろう。しかも、今日になってやっと名前を知ったような男をだ。お人よしのレベルではない気がする。それに、泊まらせてもらうのも気が引けるので、疑問形で返しておく。

「そう?」

「うん。それに、前まで妹がいたんだけど、今はもう1人で寂しいんだよね。」

 彼方のことは、知ってはいたけど、知らないふりをしておいた。話したことのないような人に、入院している家族のことを知られていたら驚きだろう。だから、話題をつなぐためにも聞いてみる。

「妹さんは?」

「色々あってね。今は病院にいるよ。」

「そうなんだ。じゃあ、本当に暁さんの家には、誰もいないの?」

「そうなるね。1人で家にいてもつまんないんだよね。話し相手としても、将棋の相手としても、ちょうどいいなあ、って思ったんだ」

 なるほど。確かに家に一人でいるのは、つまらないと思う。それに、空き巣や強盗などに、怯えながらの生活は辛いだろう。だからこそ、僕のことを快く迎えようとしてくれたのか。こう考えてみると、僕が彼女の家に泊まることに、両者メリットだらけなのかもしれない。それに、ここで断るのは、暁さんののやさしさを踏みにじるものだと感じて、念押しをしてから、了承することにした。

「本当に泊まってもいいんだね」

「もちろん。」

「じゃあ、よろしくおねがいします。」

「了解。私についてきてね。」

 そう言うと、彼女はベンチから立ち上がって、僕の家があった方とは反対方向に歩き出した。僕も彼女を追うように、ベンチを立った。

 こっちの街については、ほとんど知らなかったけど、あんまり怖くなかった。生来の好奇心と強さが働いたみたいで、この町について知りたい気持ちのが強かった。

 無言でただ歩き続ける彼女に

「そう言えばさ」

 と、僕は切り出した

「ん?」

「家ってここからどれくらいの距離にあるの?」

 家から駅までの距離は僕にとって、大切なことだ。あんまりに遠いと、この体で歩いていけるか不安になる。

「だいたい、徒歩で15分くらいかな」

「結構近いんだね」

僕の家から、最寄り駅までは30分は絶対にかかっていたので、15分は近く思えた。すると、彼女は意外そうな顔をして答えた。

「そう?周りの人だと、10分の人とかいるよ。うちはまあまあ遠い方だと思うけど」

「そうなのかな。僕の家からだと30分はかかるからさ。すごい近いと思ったんだけど」

「それは遠すぎない?遠くても20分ぐらいだと思ってたよ。」

 もう、ここで不毛な言い争いをする意味はないと思って、話題をシフトさせる。夜道の駄弁りで口喧嘩をする気はない。

「そんなもんなんだ。そういや、暁さんって部活何やってたの?」

「ソフトテニス部だよ。せっかくだから、中学から始めてみたんだ」

「そうだったんだ。総体には出たの?」

「もちろん出たよ。3年生だしね。準決勝で負けちゃったけどね」

 準決勝まで出られるても。悔しがるような言い方をするほど強いとは知らなかった。

「うちの女テニってそんな強かったんだ」

「知らなかったの?うちの女テニは、県内でもかなり強いことで有名なんだよ。個人だと優勝した子もいるしね。」

 本当に強かったらしい。部活とかやってなかったし、そこまで深い興味もなかったから、全然知らなかった。県内有数の強さなのに、生徒が知らないって#可笑__おか__#しくない?でも確かに、よく女テニは表彰されてた印象はあったけど。

 今度は彼女から話を振ってきた。

「八雲くんは何部だったの?」

「僕はどこにも所属はしてなかったかな」

 事実、ちゃんとした入部はしていなかった。

「そうなんだ。背が高くて、痩せてるなら運動部は大歓迎だっただろうけど。それは、入院というか病気?のせいなの?」

「そうだね。どうしても参加率が低くなってしまうから入らなかったんだ。それに、部活に入らなくても、練習に参加はできるしね。しかも部に縛られることないし。」

 そう。僕は、勝手に部活に入り浸っていたんだ。

「それズルくない?ちゃんと入部した人は1種目だけでさ、入部してない人はどの種目をやってもいいみたいなの。」

「その代わりに、大会参加とかできないし、4時半以降は練習も出来ないから。僕みたいな人にはちょうどよかったよ。適度に参加して、休んでも何も言われないし、好きな部活ができるし。」

「確かにそうだね。じゃあ、その中で八雲くんは何を1番やってたの?」

「僕はバレーボールだったかな。中学では珍しく男子のバレーボール部があったし、高身長なのがすごい得なスポーツだからね、  あとは剣道部にも行ってたかな。剣道は少しだけ経験があったから、楽しめたよ。」

「どっちも身長でなんとかなりそうなものだね」

 というと、暁さんが急に、横にいる僕から、前に視線を移した。

「なんて言ってたら、そろそろ着くよ」

「ほんとに15分で着いちゃったなぁ」

「でしょ。これだったら登校も楽になるんじゃない?」

「すごい楽になるね。まあ、住み着くことが前提だけど。」

「ほら、ここが私の家。」

 と言って、僕の話を無視して指差した先には、豪邸と呼べるほどに大きい絵が立っていた。

「これは予想よりも大きかったよ。なんか豪邸ぐらいに大きいね。」

「元々は貸家的にいろんな人が住んでたからね。遠い親戚とかもここにいたんだよ。」

「今はもう居ないの?」

「両親が海外に行く頃に、みんな自分の家を買ったんだ。おかげでこの家にはもう居ないね。」

「なるほどね」

「それじゃ、ここが玄関だからね 少し入り組んでるから、間違えないように」

「お邪魔します」

 そう言って、彼女が開けた扉をくぐって、僕は彼女の家に1歩踏み入れた。最初の感想は、玄関から綺麗に整えられていて、しかもとても広かった。僕が住んでた家とは、比にならなさそうだなと思った。

updatedupdated2024-11-072024-11-07